Ribbon: メビウスの輪と銀河の中心のドーナツ
Ribbon メビウスの輪と銀河の中心のドーナツ
Ayaneさんに「写真はないの?」ときいたのだが、モノクロのエスカレーターにのっているよく見えない写真をおくってきた。そこで僕は「あなたは精霊のように姿のない存在として歌を届けたいのでは?」と聞いたら、「そうなのです。」という木霊が帰ってきた。
「こういう女の子が歌っている歌」というような聞かれ方をしたくないんです。彼女はそうも語っていた。
そして、たしかにRibbonというアルバムは、目に見えないシルフが風の中で歌っているように、あるいは聞く人それぞれのアニマ・アニムスからの幻聴のように聞き取ってほしい。そんな作品だ。
僕はプロモートのために彼女の歌を紹介しているわけではない。こうして書いているのは、僕が彼女の音楽聞いてこんなふうに感じたということを僕自身が記録しておきたいからにほかならない。
発売以来1年間、ずっと、何度も何度もきいて、まるで僕自身の歌のように一体化してから、ようやくこうして書き始めることができた。もはや、それは誰が誰の作品について語っているとかそういうものですらない。
新しいアルバム「魂のハイウェー」がとどいたので、今が潮時だと思い、アトラスが背負う世界のように重たい筆をとった。
Highway of Truth
めちゃくちゃロックっぽいタイトル
リーリースの少し前、彼女のインスタグラムに青い長めのワンピースを来て座っている彼女の写真がでていて驚いた。
人魚姫が人間になったように。サイレーンが3次元水面に姿をあらわした。
そして、届いた新しいアルバムをそっと心の中のターンテーブルにおいて、みえない針を置く。
え・・・これは。
そこには、たしかに今、現実に生きている一人の女性がいた。
Ribbon の方向性をさらに突き詰めていくとしたら、いったいどこにいってしまうのだろうか?とアルバムの発表前には心配していたのだが、いい意味で裏切られた。
彼女は、一旦、黄泉の国の入り口の手前で引き返すことを選んで、一人のシンガーソングライターとして、現実の世界を生きる道を選んだのだ。
うーん、自己模倣をけっしてしない本物のアーティストだ。
誰もが運命と言える音楽との出会いがあるだろう。
僕にとって、Ayane Yamazaki との出会いは、今となっては
ビートルズ
ニール・ヤング
山崎彩音
といってもよいぐらいだ。
そのぐらい彼女は本物のなにかをもっている。
ちなみに、Apple Music でのクレジットが、
Ayane Yamazaki から、山崎彩音にもどっていて、これも驚いた。精霊ではなく、人間として生きる決意表明かとおもって、聞いてみたら単なる偶然なのだそうである。
マスクもとって、写真もカラーになり、言葉を歌うことに躊躇もない。
サウンドも、少し、リアルな音作りになっている。
人魚姫は、夢の波打ち際から、二本の足で音楽シーンへと歩みを始めたようにも思う。
シングル・カットの”Void Time ”は、占星術の用語で、しかも、かなりマニアックなタームである。月が何もアスペクトをとらない空白の時間で、現実的な決定にはむかないけれど、純粋にありのままの時間と空間を味わうにはよい時である。彼女の音楽体験の特徴である時間の手触りを音や声と通じて直に体験させてくれる。そんな不思議な曲である。
あたらしいアルバムでも、彼女の個性である「不思議さ」は健在だ。でも、それをリアルな身体性に引きうけて表現している。
「呼びかけられて」以来、僕は彼女の文学性というか小説を読むのと似たどこかデタッチでクールな表現に惹かれていたのだが、これからはより生活感がある音楽性にむかうのだろうか?
いやいや、おそらくまた、表だと思ったら裏側になっているリボンのような永劫回帰の裏切りを僕たちに味あわせてくれるに違いない。
その前にまるでスピンクスの謎掛けのような2021年のアルバム。
Ribbon の曲についてかいていこう。
Ribbon
おかえり 今日まで会いに来たんだよ。
孤独もさめる夢をみたのね。
世界の心臓の音のような深い催眠にさそうような、
音のパルスの中で「おかえり」といわれて、安らがないでいられる人はいるのだろうか?
彼女は、アニマ・ムンディ(世界の母)の声で僕たちに語りかける 。
ボーイッシュでもありガーリィーでもある。幼女のようでもありながら老婆のようにも聞こえる。
しかし、そこには、どこか知らない場所からやってくる智慧がある。
人称が反転し、時制が入り乱れる。
そして、彼女の声はいつの間にか、聞くものの内面の声になっている。
優しくねじれたリボンの表側は僕で裏側が君。主体と客体のメビウス輪が今ここでRibbonの結び目になっている。
なにもかもほどけずに ずっとそばにいるから
安心してよね
人が生まれてきた以上避けては通れない魂の探索。それが生きるということだけれど、それは、決して無駄にはならないということをこの彼女の歌は約束してくれる。
この曲のリボンのメビウスの輪のようなねじれは、「海辺のカフカ」を思い出させる。
「ここでは時間が空間にかわる」 ワーグナー パルジファルより
時間と空間が表裏一体のリボンであるからこそ、「ここまで会いに来た」ではなく、「今日まで会いに来た」のだということ。
2つの魂が出会う場所はいつも、どこかではなく、「今日」でなくてはいけない。
お互いがお互いの母子であり、父子であり、恋人であり、双子の兄弟のような二人は反世界の時間軸を逆方向に歩いていき、無限遠リボンの表と裏が一つになる場所で出会うのだから。
それは少年カフカの旅であり、ヘルマン・ヘッセが「荒野の狼」の中でハリー・ハラーとして自らの分身ヘルミーネに導かれて体験したことだ。
そう、誰もが永遠の「今日」を目指して生きている。
Melody
ドーナツ それは宇宙の形とも言われている。
リンゴの形も、トポロジー的にはドーナツである言われている。
最近、イベント・ホライズン・テレスコープ・コラボレーションによって
銀河の中心 射手座*A にあるブラックホールが撮影された
宇宙を旅する船乗りがいるなら、そこから聞こえる電波のノイズのむこうに
このサイレーンの歌をきいて、銀河というドーナツの甘く深い穴に落ちていくかもしれない。
途方も無い繰り返しを 人生と思い出と恋と いうなら
私はそれを疑わないでしょう
彼女は歌う、永劫回帰する宇宙の輪廻のメロディーにみちびかれて、
甘い深い穴、ブラックホールに落ちていくとどこにでるのだろう。
長い魂の眠りの果に、宇宙の浦島太郎は、目をさますのだ。
今、ここで。
Blue
この曲は、歌になる手前で泡のように消えていく思いをそのまま作品として出している。永遠の未完成をそのまま表しているのはなにやら人生のようだ。何かがおこりそうだが、まだ何も起こらない。その映画がよい映画であるかどうかは、まだ何もおこらないはじめのシーンの裏側で、見ているものにどれだけの予感を感じさせるかどうかで決まってくる。
この曲を聞いた人は誰もが、思い出の映画のことを、いや、思い出を映画のように
思い出す。
遠い未来の記憶として・・・
Feel Summer
魂のサウンドトラック。それは僕が前作「呼びかけられて」を聞いて、名付けた彼女の音楽になずけたジャンル名である。
この曲
もはや、誰が書いたかなんて関係ない。
デジタルムービーではではなく、むしろ、手触りのある銀塩フィルムの中に焼き付けられたリボンのようなフィルムのなかにきざまれた
誰かの夢によりそうサウンドトラック。
ひと夏の避暑地のものがたりなのか?
思い出になるべくしてなされた美しい恋のものがたりなのか?
アカシャに刻まれた魂のレコード。
針を落とすとかすかな痛みのノイズの向こうから
聞こえてくる。
Phase
ウィークエンド 雨はやまずに
脱ぎすてたままのジーンズは
僕の分身のようだ
君なしの日々を ぼんやり生きていたから
ああ、つかれた 時間を閉じ込めてる
月が満ちる夜は 神様を思うこともできる
まどう 曖昧なあの星座は君に見える
ロリータポップのようなハスキー・ヴォイスで囁かれるこの歌も堪えられない。一人称のユニセックスも彼女の作品にはよくあるモチーフだが、それもやはり、魂のメビウス構造を魅せてくれる。
十代の少年の日、ある日突然、自分の魂の年齢を思い出してしまう。
そんな夜があるもので、そんな日はノートにこんな詩を書いていたように思う。
Ayaneさん、あなたは一体誰なんだ?
Sophia
ターター タタタータ
銀河の中心から聞こえてくるモールス信号
それは Sophia がたしかに
声をもって、この星にいることを教えてくれる。
たまたま、それを受信してしまったことは、
偶然なのか、運命なのか?
銀河の中心のブラックホールから来た光が
この間、はじめて写真にとられたよ。
君が言う通り、それは甘い穴のあいたドーナツだったよ。
いつも応援ありがとうございます。 サポートのお金は書籍代など有意義に使わせていただきます。 僕の占星術研究がみなさんのお役にたてることを願っています。