見出し画像

部屋の空気は重い

ふと我にかえり、さっきの親子連れをみたときの娘を思い出しました。 あの時の娘の涙はあの子に対して何かを感じたのではなく あの子の中に自分をみたからではないだろうかと。なのに娘は淡々としている。娘は昔から口が重い子で表情も豊かではなく、自分の喜怒哀楽を相手に伝えることはもちろん自分一人で発散することも苦手な子でした。
そしてストレスを知らないうちにためてしまい、帯状疱疹や円形脱毛症になってしまうこともよくあり、そのたびに反省したものでした。

めったに泣かない娘の涙の裏にはかなりの心のキズがあると思いました。ずっと志望校別コースでトップでいつづけた娘が不合格。男子より得意だった算数での痛恨のミス。
別のに憧れていて、学校別模試で一桁順位だったのに志望校を最難関に変えさせられたあげくの不合格。娘自身のプライドはズタズタでしょうし、私や塾の先生を恨んで暴言をはいたっていいところだと思います。
私なら「私は◯◯に行きたかったのに!」と先生を恨んだかもしれません。いや、実際に似たようなセリフで親を責めたことがありました。けれど娘はじっとしたまま黙っています。

娘がこのあとどんな進路に進むかわからないけど、
最低でも大学受験はしなくてはいけない。ヘタすると明日もどこかに受験にいかないといけない。彼女が今、悲しいのか怒りがあるのか、なんなのかはわからないけど今後の人生でチャレンジすることを恐れるようになるのは避けたかったのです。

それと、私自身が今何を考えているのかを彼女に伝えておかないとと思いました。さっきの親子連れの「おかあさんの気持ち」も気にしていたので。
今のままでは
・私が不合格を怒っている
・私が不合格を悲しんでいる
・私が娘がバカなことを嘆いている
・私が娘がバカなことをバカにしている
・私が子どもが最難関にいけないことで恥ずかしいと思っている
などと娘が誤解しているかもしれません。

「カモメ、ごめんね。カモメを最後まで頑張らせることができなくて。お母さんがもっとカモメを応援すればよかったんだよ。」

そう言って娘を抱きしめました。これは本当の気持ちでした。最難関を受験することになる前もなってからも色んな場面で私は「何もそこまでしなくても」と思っていました。例えば大安の日の振り込みとか、早朝に並んでの出願とか、そんなことをしなくても今の学校のように受かるときは受かるんです。でも、そこに拘る親御さんは「それだけ真剣」なんだろうと思いました。今でも正直なところ「そこまでできない」のが私のスタンスですが、だから紙一重のところで踏ん張りきれなかったんだとも思うのです。

「違うよ~お母さんのせいじゃないよ~」
といったまま娘はわんわんと泣きました。
「カモメが頑張ってなかったんだよ。でも合格したかったんだよ」
娘も娘なりに頑張っていたんだと思います。でも娘も合格したお友達ほどの「何が何でもあの学校」という熱意が自分にないことを自覚していましたし、不合格であらためて実感したようです。


続きはこちら

https://note.com/leciel_ruban/n/n6bf317329863

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?