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みんなはどうしてたの

連日、2011年3月11日のことを書いてます。
と言っても当時のmixiから転記しているだけですが…​


新幹線組と飛行機組、首都圏ベテラン組はエキナカでお茶をしようと移動中に地震。新幹線組は阪神を経験しているので、建物の倒壊が怖くすぐに駅の外へ退避。 首都圏若手組の中央線の2人はひとりが静岡出身で地震への心構えがあり脱出。ここで、新幹線組と飛行機組、首都圏組ほとんどが合流できたそう。

地下鉄組の一人は改札に入る前に地震に遭遇。電車は動かないと判断しバスで帰宅。 丸ノ内線利用のもう一人は新丸ビルの地下1階で迷子になっていたそう。 地方出身で土地勘がなかったので世話役の女性ににメールして迎えにきてもらって合流。 中央線組2人のうち、静岡出身は新宿まで徒歩で帰宅。入れ替わりに私が合流。

山手線利用の一人だけが最後まで連絡が取れない。 みんなの話を聞いてみると会社のメールボックスは使っていないとのことですぐに会社のメールボックスにメールしてみた。しばらくしてから、復旧した新幹線に乗って神戸の実家に帰ったと返信。良かった。

私が合流したときには既に会社から2台迎えの車が来ており 体調不良の人と年齢が高い人から順に車に乗って移動を始めたそう。 私は年齢社歴とも若手のほうに属するので早く合流しても待機だった。心細かったけど3時間電車内に座っていられて良かったのかもしれない。

20時くらいに会社の迎えの車がやってきた。やはりここでも社員のHさんと抱き合って無事を喜んだ。Hさんはやり手の女性社員。でも話してる時にずっと手が震えていた。社員だからという責任感で心細さを打ち消していたのだろう。

2台の車に別れて会社へと向かった。私は福岡と兵庫の子と一緒にHさんの車に乗った。ほかの子より少し土地勘があるのと少しHさんと親しいこと、また、あまり地震が怖くない性質なので私が助手席に乗ることにした。

会社に着いたのは22時。社内は意外とマッタリした空気。 出迎えてくれた上司とボスに心配と迷惑をかけたことを詫び、大ボスに挨拶。大ボスがひとまず自宅に電話をかけるように促したのでかけてみたけどつながらない。一般電話回線もダメなんだな・・・少し時間をおいてみることにした。

ふと前をみると、熊本の同僚がいた。彼女が私に気付き飛びついてきた。
「よかった~かおりちゃん。よかった~。」
彼女は私より少し先輩だけどちょっと若く、ベテランの多い西日本では遠慮がちで全国の集まりになるとなんとなく気があって一緒にいることが多いのだった。

ご主人の実家に男の子3人預けていて状況を連絡をしたら
「明日出かけるんだから帰ってこい。」
とお姑さんに叱られたそう。私なら「クソババア!」と言うところだけど地震慣れしていない地域の人が
知らない土地でこんなことになった上にこの仕打ちじゃ辛すぎるなあと。

会社で準備してくれたインスタント食品などの軽食をとった。 私はコーヒーをこぼしてしまい動揺していたことが判明。 関西組は余震のたびに立ちあがり震えてる、トラウマがあるのね。 仙台の同僚は生気が全て失われていてみてはいけないものになってる。

落ち着いたし、おなかも膨れたので 会社が手配してくれたホテルに移動することになった。その前に実家にもう一度連絡し自分が無事で泊まる場所が確保できたことを伝え 帰宅しないので安心して休んでもらいメールや電話は絶対しないように頼んだ。


つづく

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