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オッペンハイマーと、ナラティブの話

先日のアカデミー賞で、オッペンハイマーが作品賞を含む最多7部門を受賞したことが話題になりました。日本でも遅れての公開が確定しており、心待ちにしている人も多いのではないでしょうか。

本記事は、ずっと公開すべきか悩んでいたものになります。政治的な論点が主立ってしまわないか、誤解を生んでしまわないかと思い、書いては消してを繰り返していましたが、このニュースを踏まえ自分の中では重要なトピックであることを再認識したため、書くことにしました。今回は、昨年アメリカ人の知人との会話を通して感じたことから派生し、チリでの生活でも度々直面する「ナラティブ」について考えてみようと思います。

「原爆は終戦において必要だった」

会話の発端は、オッペンハイマーの公開が(会話時点では)まだ日本で確定していなかったこと、さらには同時公開されたバービーとの合作で出された宣材に対して日本側が抗議したことについて、アメリカ人の知人数名に意見を求められたことでした。当時はまだ映画を見ていませんでしたが、報道や海外在住の日本人のSNSを通して大方の論点は把握していました。第二次世界大戦を題材にした多くのハリウッド映画とは異なり、一度に大量の死者を生んだ出来事を扱っているにも関わらずその実際の被害と残虐性は全く描かれていないこと、長崎についてはほとんど触れられていないこと、また原爆を投下する都市を決めるやり取りにおいて心無いジョークが台詞としてあり、多くの日本人にとっては受け入れがたい描写になり得ること等、自分なりの意見を伝えました。

その結果、全て真っ向から否定される形になりました。かなり議論が白熱したため全ては覚えていませんが、枢軸国側の日本での出来事に関して同盟国側のユダヤ人の虐殺と並べて話してはならない、作品自体は原爆の是非を問うものではなくオッペンハイマー自身に関する伝記映画である、心無いジョークも史実に基づくものなら仕方がないといった内容が中心でした。中でも最も印象的であり深く傷ついたのは、「終戦において原爆は不可欠だった」という言葉でした。終戦直後の米国政府によるプロパガンダに過ぎないと思っていたため、それが未だにコンセンサスとして根強いこと、さらにそれが広島平和記念資料館を訪れたことのある知人からの発言であることに驚きを隠せませんでした。

今思えば、そもそも友人同士でもない間柄で、このように意見が別れ強い感情が絡むような内容について話すのは避けるべきだったのだと思います。一方で彼らからすると、私は英語が話せる帰国子女であり、彼らの文化と価値観に対する一定の理解があるため、同じような意見を持っているだろうという想定があったのだと思います。また私としても、リベラル寄りの思想を持ち、日本への留学経験を持つ人もいた中で、少しは賛同してくれるだろうという期待がありました。それまでのコミュニケーションでは一切感じたことのなかった断絶に直面し、少なくとも私にとってはショックの大きい出来事となりました。

ナラティブの存在

この会話の後しばらくは彼らに対する不信感が拭えず、超えられない壁があるようにすら感じました。今では時間と共に自分の中で消化でき、もう少し冷静な視点から考えられるようになった気がします。それは、この会話において身を潜めていた「ナラティブ」の存在を認識できたからです。

ナラティブ (“narrative”) とは、直訳すると「ストーリー」「語り」という意味です。ここでは、同じ事実を前にしても、語り手ごとの主観と解釈によって異なる物語を編み得る状態を想像しています。私たちの意見や思想は多くの場合、ある特定の語り手によるストーリー、所謂ナラティブに基づき形作られています。それは国・言語・文化といったある意味物理的な枠組みの中で生きる上では避けられないことであり、一つのナラティブに沿った世界観を持つことや、複数のナラティブが乱立すること自体は自然なことです。危険なのは、異なるナラティブの存在を見失うこと。さらにはナラティブ同士が衝突した際、自分のそれを唯一のものとして認識し、他の存在を認めないことです。

私は中高大を日本で過ごし、高等教育を日本で受けたため、史実に関する理解は日本の教育制度によって形成されており、その解釈に沿った平和教育を受けています。周りも同様の教示を受けており、そのような人たちの視点を通して整理された情報を、日本語という共通言語を通じて得ています。私の中では、原爆は決してあってはならなかった惨事であり、それは私が日々触れるナラティブにおいては確固たるファクトとして存在しています。

それがアメリカ人の彼らにもそのまま当てはまることを認識できていませんでした。あくまで推測にすぎませんが、原爆は恐るべき兵器である一方で、日本を降伏させるには投下する他なかった、結果的には原爆によって多くの(少なくとも米兵の)命を救うことができたといったナラティブの中で生きてきたならば、原爆投下は終戦において必要な出来事であったという見方はファクト同然のものとして定着するのでしょう。そしてそれが大量の犠牲者を生んだのだとしても、あくまで敵国側の陣営での出来事であり、また実際の被害の深刻さが身近なものとして浮上しないならば、やはり正当化され得るものとして内面化されるのだと考えられます。

ナラティブを踏まえた人との対峙

原爆は多少エクストリームな事例かもしれませんが、チリでも同様のことを経験しました。例えばチリは1990年代までの16年間、ピノチェトの独裁政権下にありましたが、軍事政権によって行われた拷問・虐殺に関する史料をまとめた「記憶と人権博物館」が設立されている通り、二度と繰り返してはならない暗い過去としてのナラティブが存在します。チリに移住する以前も、例えば高校の世界史では民主化達成前の政治的抑圧という文脈において学んでおり、触れてきたメディアのコンテンツにおいても忌まわしい歴史としてのコンテクストでしか登場しないような内容でした。そのため、移住したての頃、ピノチェト賛成派 (“Pinochetista”) が今でも一定割合存在するという事実に衝撃を受けました。人権侵害を犯した政権をどう正当化できるのか理解に苦しみましたが、軍事政権下で経済成長が加速し、生活の質が改善し救われた人が一定数いるのも事実のようです。ここでも、異なる立場と背景から立ち上がる別のナラティブの存在を認識するに至りました。

このような経験を経て振り返ってみると、自分とあまりにも異なる世界観を持つ人と出会った際、異なるナラティブの存在を認識していないがために、その人自身をジャッジする方向に走りがちでした。実際にアメリカ人の知人との会話でも、自分との思想のギャップの大きさに足がすくみ、受け入れられない倫理観を持つ相容れない存在として距離を置いてしまいました。その裏に潜む異なるナラティブの存在を認識できていたならば、相手を切り捨てるような見方をせずに済んだのかなと思います。ナラティブそのものは全く理解できなかったとしても、その存在は認め、同じ人間として尊重し合い、互いにリスペクトを持って対峙できたのかもしれません。

オッペンハイマーの限界

原爆及びオッペンハイマーに関する論点において、私の意見が変わったわけではありません。そして映画を見た今でも感想は変わりません。一個人に関する伝記であったとしても、一瞬にして多くの犠牲者を生んだ大量破壊兵器が題材でもある本作品において、その実際の被害が全く描かれていないことにはやはり違和感があります。また原爆を開発したことに対する後悔・謝罪の記録は一切存在しないにもかかわらず、オッペンハイマーがシンパシーのある眼差しで捉えられていることに疑念を感じます。そして原爆が終戦において必要だったという考えそれ自体を問いただせていない点を踏まえると、私のコアを形成するナラティブが欠落していることを認識せざるを得ません。史実に基づいていたとしても、そもそも誰かのレンズを通して語られるストーリーである以上、少なくともニュートラルな作品として鑑賞することはできないと思うのです。

一方で、この作品中のナラティブに共鳴する人には称賛されているのも事実です。日本でも私とは異なる見方をする人はいるのだろうと想像します。

日本での公開予定日は3月29日。受け取り方は人それぞれですが、作品中にナラティブが存在するのだという認識、そしてそれが唯一のものではないという理解が醸成されることを祈ります。


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