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思うところをシェアできたら。 小学校・中学校で不登校経験、のち通信制高校卒業。 離人症…

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思うところをシェアできたら。 小学校・中学校で不登校経験、のち通信制高校卒業。 離人症(解離性の神経症?)、抑うつダウンをきっかけに内面に向き合うがスタート。 放送大学で心理、哲学、社会学など。 由佐美加子"メンタルモデル"欠陥欠損。 塾講師(英語)/フリースクール/yoga

最近の記事

尊さ

あの時にはもう戻らないんだな ってふと思う時がある。 当時はわからないんだけど、 どの時間も尊いんだなって。 ことさら強い喜びがあるわけではなく、 なんてことなく過ぎているけど、 実は尊い時間なんだな、って。 よく聞く話ではあるけど、 ふと思う感じで、自分で感じるとほんとうにわかる。 自分で感じる。 それに意味があるんだね。 むかしは、 すべての時間が尊い なんて聞くと、焦る感覚があったな。 時間を大事にしないと!って。 なんか、焦る、でもないんだよな。 ただ、大

    • 実在

      自分とこの世界が実在していることを感じられること。 わたしの基本的なしあわせとしてある。 離人症で体験した症状。 自分だけがいない、あるいは、自分しかいない世界が代わる代わる切り替わる。 目の前のモノもヒトも、奥行きがないハリボテのようで、生気がない、実在感がない。 自分と、世界が実在してると感じられない。あまりにも奇妙。 あれがおそろしくて、もう味わいたくなくて。 ただ世界が実在してるって感じられればいい。 ほかのことはプラスαのようなもの。 そんな感じすらする。 で

      • やりなおし

        やりなおし… なんだろうな。 生活リズムはくずれ、心はわけもわからず、頭の中もぐちゃぐちゃ。 毎日眠くて、どれだけ寝ても眠れる。 好きなとき、好きなだけ寝れるってしあわせだなって感じる。基本的な欲求(ピラミッドの下の方)のしあわせだろうけども、しあわせはしあわせ。 これでもかと睡眠とって、次にとる立て直しの第一選択は、わたしは"ヨガ"になってる。 とりあえず身体を整えるに間違いなし。なので考えなくていいからラク。 念入りにやると、羽のように軽く、するすると体が動いて、や

        • 『toe』に出会う夏

          好みだー ひさしぶりのヒット!

          哲学に駆り立てたのは

          哲学書を読んだことはほぼないけど、 ライトな入門書や薄いムック本、 解説と謳いつつ読んでも3割くらいしか わからないような本でもなんでも、 哲学関連の本を常に読んでなにかテーマに 取り組んでいないと息も吸えないような 感覚の時期があった。 あの時、自分を哲学に駆り立てたものはなんだったのか、振り返る。 正確な答えはわからない。 あとから言葉で描写しているだけ。 それでも、きっとこれな気が今はする。 まず、とにかく生きるのが心許なかった。 大人たちがみせる世界はあまりにも手

          哲学に駆り立てたのは

          生まれた日からわたしでいたんだ

          米津玄師、この人が新作を出して、 それに触れるたび"ここまで生きたのね"と 共に確認してくれるような心持ちになる。 最近の彼はどっしりとしながら どこか軽やかな存在感を放つように なっている気がする。 このMVで、 彼が映った鏡のヒビが段階を経て減っていき、 店の中の荒れ模様がメンテナンス状態、最後なごやかに人々がただそこにいる様子に変わる。 自己イメージや、世界の見え方が変わっていった表現だとして見ると、彼は自分が見ていた世界が変わっていった(変えていった)ことを忘れな

          生まれた日からわたしでいたんだ

          不二子ちゃん

          ある方との会話をきっかけに、 ルパン三世の峰不二子に憧れていた幼少期を思い出した。 幼稚園のお誕生会?的な行事で、 一人ひとり将来の夢を発表する時間があった。 ルパンのアニメが大好きだった私は、 「女泥棒になりたいです!」と勢いよく答えた。 (「女盗賊になりたい」だったかもしれない、忘れたけど) 先生達のぎょっとした目を今も覚えている… でもたしか、事前のヒアリングもしていたので、主任の先生は承知の上で発表させてくれたのだよな。 よくありのまま発表させてくれたな、と思う

          不二子ちゃん

          記憶、追憶

          このごろ、小学生や、中高生のころを 思い出そうとしている。 幼稚園や、その前の保育園も。 17歳ごろの強い抑うつ症状のためなのか、 私の感覚が変わったからなのか、 それ以前の記憶が自分事にならないような、 実感が持ちづらいところがあった。 でも、当時聞いていた音楽などを聞いて みると、"感覚で"思い出す。 あの時は、確かにあったんだ…。 あの時の私も確かに今の私の中にある。 "あれ"は私だった。それがわかる。 身体は覚えているのだ。 すべての体験の記憶が身体にはあるのだ。

          記憶、追憶