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皆さまこんばんは、Biz Craftです。
今回もタイトル通り詩集をご紹介していきます。

このタイトル、知っている方はピンとくるはずです。
小林秀雄の著作「ランボオⅡ」を意識しています。

以前ランボー詩集をご紹介しましたが、正直1作だけでは消化不良の感が否めませんでした。
そのような経緯もあったため、第2弾としてランボー詩集を再度ご紹介させていただきます。

☟【ご参考までに】以前ご紹介した記事です

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わが放浪(ファンテジー)

わが放浪(ファンテジー)
僕は出かけた、底抜けポケットに両の拳を突っ込んで。
僕の外套も裾は煙のようだった。
僕は歩いた、天が下所せましと、ミューズどの、僕はそなたに忠実だ、
ああ、なんと素敵な愛情を僕は夢見たことだった!
はき替えのないズボンにも大きな穴があいていた。
夢想家の一寸法師、僕は道々詩を書いた。
大熊星が僕の宿、
み空の僕の星たちはやさしく衣ずれの音させた。
路傍の石に腰かけて、星の言葉に聴き入った。
新涼9月の宵だった、養命酒ほど爽やかに額に結ぶ露の玉、
奇怪な影にとりまかれ、僕は作詩にふけってた、
ボロ靴のゴム紐を竪琴の弦に見立てて弾きながら、
片足はしっかりと胸に抱えて!
                         Ma bohème

新潮文庫 ランボー詩集 堀口大學 訳

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■早熟の詩人の読解は難航

さすらいの詩人ランボーらしさがあふれる一作です。
この作品は彼の詩の中でも比較的わかりやすい詩だと思います。

彼の詩はその時の心情情景をありありと思い浮かべさせてくれるので、何度読んでも新鮮味が感じられます。

こういった青春時代の放浪に憧れを抱く人も多いのではないでしょうか?
そこに共感するからこそ、今も昔もランボーは人気があるのだと思います。

もともと私がランボーという詩人を知ったのは小林秀雄の著作からでした。
彼の訳書にランボオというタイトルが連発していたのを憶えています。

「ランボオって何だ?」こんな素朴な疑問からランボーにたどり着いたわけです。

そしていざ読んでみたのですが、とにかく読解に時間がかかる。

世間に反抗的な詩であるのは直感でわかるのですが、複雑な表現に惑わされて先に進めないのです。
西洋神話と絡めている部分もあるらしく、日本人の感性ではとても理解できなさそうに思いました。

彼の詩はその国の文化・思想を知ったうえで、さらに作者の生い立ちにまで
突っ込まないと理解できないのだと打ちのめされた作品でした。

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■中原中也との類似性

私のお気に入りの詩は西洋詩がメインですが、もちろんそれだけではありません。
日本でも特にお気に入りの詩人がおります。

中原中也です。
彼の詩も読んだことがあるのですが、ランボーと中也の2人はどこか似ている点があると感じます。
少なくとも早世の詩人であったことは間違いないでしょう。

実際、中也自身もランボー詩集を刊行していますし、彼の詩も独特な描写を繰り出すので読解に時間がかかります。

特に修羅街輓歌[しゅらがいばんか]はまるでランボーの詩を読んでいるかのような錯覚を憶えます。

こういった共通点を見つけたり比較したりするのも詩を味わう醍醐味だと思います。
皆さんもお気に入りの詩人や小説家がいたら比較考察してみるのも面白いかと思います。

なお今後もシリーズとして詩作の紹介を定期的に行っていく予定です。

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