実力は最初なのか

実力以上、という言葉があります。

例文としては「実力以上の評価をされている」という類でしょうか。

この「実力以上」の存在が、SNSの発達に伴い増えることになりました。


たとえばフォロワー数。

実力(この言葉が定義するところは広いですが)とフォロワー数は必ずしも一致しません。

教育界で言えば、高名な先生より駆け出しの先生の方が何倍もフォロワー数が多い場合だって大いにあるのです。

もちろん、

「それはSNSの使い方の上手さなのだ」

「それも含めての実力なのだ」

という意見はあるかと思います。

それはさておき、

別の角度の意見として

『実力とフォロワー数(=影響力)が見合っていない』

ことに懸念を示す人もいるかもしてません。


しかし、です。

私は、特に現代において、

「実力が先」という概念は崩れつつあるように思います。

努力する→実力がつく→認められる

典型的なこの構図が、社会に身を置く人に当てはまなくなっているのではないでしょうか。

すなわち、極端に言えば、

認められる→努力する→実力がつく


これでも良いように思うのです。


・何かをきっかけに目立つようになる(=認められる)

    ↓

・目立つからそれに見合う努力をするようになる

    ↓

・実力がつく


こういうケースが、どんどん増えている気がします。