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リスキルとは本当にリスキルなのだろうか

天邪鬼な実務家にとってのリスキリング

私は天邪鬼なので、基本的には「一般的にこう言われているけど天邪鬼的には一言言いたい」というスタンスで書いてしまう。でもリスキリングが謳われる様になった背景も理解するし、とても意味あることだとも思う。その本質は正しいと信じる。ただ、実装に際してなんだかおかしなことになってないだろうか?というのが気になる。天邪鬼な上に実務家志向の私としては、思想と実務が乖離していたりするとどうも気になってしまう。Why、What、Howは一貫してこそ意味がある。Howに腐心するあまりいつのまにかWhyとWhatが見失われてしまっては、どれだけHowにこだわっても価値を生めなくなってしまう。

で、リスキリング。一つ前のnoteでは「学び直し」という訳について一言申した次第(「直し」じゃなくて「続け」なければだめじゃない?ということ)。ただ、これは本当は訳の問題じゃなくて、Re-Skillingという原語のほうが問題かも知れない、というのが、今日の話題。

「あなたはリスキリング対象ね」と言われたら、どう感じるか

数年前に、リスキリングのイニシアティブを立ち上げようとしていたとき。様々な議論があった。新しいことを始めるときには反作用はつきものだからあまり気にしないのだけれど、その中で一つだけ、もっともと思う指摘があった。「リスキリングっていう言葉には『あなたのこれまでのスキルはもう役に立たないから、もう一度役に立つスキルを獲得し直してきてね』というニュアンスを感じさせられるので抵抗がある」というものだ。

実際、それに近いケースもあるだろう。これまでに培ってきたスキルが全く価値を生み出せなくなって、一から出直しに近い状況はある。そういうとき確かにそのリスキリングの渦中にある当人の心中は穏やかではないに違いない。しかもそれまでその領域で高い価値を発揮していて、その仕事に誇りがある人であればなおさらそうだろう。これまで積み重ねてきた自分のキャリアがリセットされてしまう恐怖。「リスキリング」という言葉は、そういう状況を想像させる言葉だ。

「引き算」+「足し算」じゃなくて「掛け算」で

一方で、実質的にはやっていることはほとんど同じなのに関わらず、とても受けが良かったワーディングがあった。それは「クロススキリング」。「リスキリング」との違いは、「クロススキリング」が、「これまでのスキルを活かしつつ、新しいスキルを獲得することで、掛け算の価値を生み出す」という意味として伝わったからだ。

これだと受け手の感じ方は随分違う。むしろ逆の意味に感じるだろう。キャリアがリセットされるのじゃなくて、キャリアが進展するのだ。これまでの自分のキャリアは否定されるものではなく、今後も価値あるものとして残り続ける。そして、そこに新たな価値を追加することで、更に希少な存在になることができる。いいことしかない。「あなたはリスキリング対象です」と言われたら、受け手は「あなたのスキルはこれから要らなくなるから、一から出直しね」とキャリアを否定されたように感じるかもしれないけれど、「あなたはクロススキリング対象です」と言われたら、受け手は「あなたのスキルはとても価値あるものだから、これからさらに活躍するために新しいスキルを身に着けてね」と、むしろこれまでのキャリアを認められた気になり得る。

繰り返すが「リスキリング」そのものを否定したいのではなくて、「リスキリング」という言葉が伝えているイメージが本来の「リスキリング」の趣旨とは異なる誤解を生んでいるのではないか、という話だ。結果的に「リスキリング」という言葉がポジティブなパーセプションを生み出せるようになればそれで全く問題ない。ただ、初めてその言葉を耳にした人の側に立って考えると、「リスキリング」と「クロススキリング」の印象の違いは非常に大きい、というのは、ただの言葉遊びじゃなくて、リスキリングイニシアティブの成否に関わるセンシティブな問題だ、ということを書き残しておきたい。

本当は「スキル」じゃなくて「スキルセット」

更にそもそもで考えるならば。この「リスキリング」vs「クロススキリング」の話は、「人は単一のスキルで価値を生んでいる」という誤解から生まれている。仕事として価値を生み出すためには、人は実に多様なスキルを組み合わせているはずだ。例えばタクシードライバーは、第二種運転免許といういうスキルだけで成立する仕事ではない。乗せるお客様に快適な体験をしてもらうための接客スキル、曜日や時間、天候、事故状況、電車の運行状況、お客様のニーズ(急いでいるのか、安く乗りたいのか、心地よく乗りたいのか)などを考慮しながら道を選ぶルーティングスキル、決済手段の多様化などに正しく対応するITリテラシー、場合によっては話しかけてくるお客に対応して、食事処や観光情報、景気や世界情勢などの情報収集/提供スキルなども必要だ。

「キャリア」とは単一のスキルではなくて、多様なスキルの組み合わせ(スキルセット)でもって磨かれていくものだ。つまり解像度を上げていけば、あらゆる新たな学びはすべて「クロススキリング」なのだ。「リスキリング」にせよ「クロススキリング」にせよ、やっていることは、既に持っている沢山のスキルのストックの中に、一つ新しいスキルを加えることでしかない。そして、増えた手持ちの中で今後どのスキルをどのように組み合わせて価値を生み出していくかは、その人次第だ。

例えば「自動運転が普及するとタクシードライバーの仕事はなくなる」ということが言われる。でもそれは正確に言えば、「タクシードライバーという『スキルセット』で価値を産むのが難しくなる」という意味だ。でも、仮にタクシードライバーという需要が少なくなったとしても、これまで培ってきた様々なスキルが失われるわけじゃない。

観光情報に精通しているドライバーなら、AirBnBなどで観光体験を売る仕事ができるかも知れない(実は英語が得意だったりするなら、むしろタクシーでは活かせなかったスキルを活用できるようになる)。お客さんから指名を受けるくらいに接客に長けたドライバーなら、ホテルやショップ、レストランなどへの転身ができるかも知れない。「職業」というビューで観たらそれは大きな転身に見える。でも、「スキルセット」で見るならば実はそれほど大きなシフトではないとも考えられる。一見畑違いのキャリアを始めたつもりでも、結果的に過去のキャリアがとても活かせることに気がついた、というのはよく聞く話だ。

スキルの一つ一つを棚卸しして、新たな価値を産む組み合わせを考える。そして、場合によっては「足りない1ピース」を追加する。これが本当の「リスキリング」ではないだろうか。

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