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Trainingか、Learningか

L&Dとは、Learning & Developmentの略だ。何を今更?と思われるかもしれないけれど、実はL&Dという名前はなかなか噛みごたえがある。今回はその「Learning」についてのお話。以前、「人材」「人財」「開発」「育成」全部苦手だ、という記事を書いた。実はこの話の続きみたいな話だ。

L&DであってT&Dでないのには理由がある

Learningを日本語でいうとなんだろう。ベタに訳すなら「学習」「学び」といえばいいだろう。では、Trainingは?「育成」「教育」ではないだろうか。この両者は違う。そして、L&Dは、T&Dではないのだ。この違いは実は結構大きい。

以前書いたとおり、「学習」と「育成」の最大の違いは、その主体だ。学習の主語は「学習者」であるのに対し、「育成」の主語は「教育者」だ。つまり主役が異なる。「学習」とは「学ぼうとする行為」のことであり、「育成」とは「教えようとする行為」だ。

Trainingという言葉は、Train(軌道)に乗せるという行為が語源であると聞いたことがある。つまり、Trainingという行為は、皆が同じ軌道の上に乗って、同じ道を同じように走ることができるようにするための訓練のことだ。かつて流行った「ビリーズ・ブートキャンプ」みたいな世界観をイメージすればいいかもしれない。

ではLearningとはどういうイメージか?私がいつもこれを伝えるために使うのは乳幼児だ。乳幼児は、生まれたときから日々自ら「学んでいる」。自分の手の届く世界、目が認識できる世界、音が聞こえる世界、舌で味わえる世界を感じ、何かをしてみることで、少しずつその世界の成り立ちを学んでいく。砂糖は甘いこと。積み木は食べることができないこと。自分の傍らにはいつも自分を保護してくれる存在がいて、優しい声で話しかけてくれること、そしてなにか要求したいときは泣けばその存在が駆けつけてきてくれて、おむつの交換や、ミルクや、暑い、寒い、鼻が出た、眠い、退屈だ、などを察知して対処してくれること。四つん這いになって手足を動かせば自分の意思で移動できること。これらは「教える」のではなく「学んでいる」といえる。こういう状態がLearningだ。

Learningの立ち位置からできること

ではLearningの場合、本人にしかできることはないのか?いや、そんなことは全くない。むしろLearningの観点から見たほうがTrainingの立場よりもはるかにやるべきことは多い。

まず、周囲がLearningをサポートすることができる。子供に色々な声をかけてあげることで子供は言葉を理解していく。カラフルな積み木をあたえることで、木のぬくもり、硬さ、色を理解する手助けができる。少し年上の乳幼児の側に連れていけば、はいはいの仕方についてアイディアを得ることができる。これらはすべて、Learningのサポーターにできることだ。

これは相手が大人であっても変わらない。Learning & Developmentという機能は、人の学びを支援し促進する仕事だ。どこまでも主役は学習者だ。

必然的にこれは「スコープ」の違いにも関わってくる。「研修部」のスコープは、研修を提供することだ。しかし、Learning & Developmentにとって、研修の提供とは「学習者が学ぶ手段の一つを提供する」という、スコープのごく一部でしかない。それ以外にも、学習者を支援するというスコープにふくまれることは多岐にわたる。学習の手段だけでも、研修を提供するだけでなく、本を紹介する、学習コンテンツサイトを提供する、アプリを紹介するなど様々だ。Peer to Peerでの学習方法の紹介を企画することもある。また「学びの環境を整備する」という意味においては、OJTを整えることだってスコープだし、もっと言えば、「忙しすぎる」「モチベーションがわかない」「学習の習慣化ができない」などの学習阻害要因への対処も含まれる。

イノベーションエンジン

個人的な考えとしてはもっと広い。例えば評価/報酬制度だって、Awardだって、学習を支援するためのツールだと思っている。タレントマネジメントも、学習のPDCAを可能にするための可視化の手段だと思う。多分ここまで言うと一般的な人事組織論とは異なってくるし、多くの方は首を傾げるだろうけれど、でもそうわかった上でも私の考えは変わらない。組織の存在意義はその存在によって社会に貢献する(付加価値を提供する)ことだし、その付加価値はイノベーションから生まれるわけだし、イノベーションを生み続けるためには組織そしてそこに所属する人々が「変わり続ける」ことが必要だ。そして変わり続けるためのエンジンこそがL&Dだ。


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