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“グッとくる瞬間”を摑む準備は、できているか。戦略コンサルのマネージャーを辞し、スタートアップの一員になる覚悟

まだ、社会に出る前のこと。当時、純粋な想いで描いた「なりたい職業」に今就いている人は、どれだけいるだろうか。また、「そのチャンスは二度とやってこない」と考えている人も、少なくないのではないか。

Leaner Technologies COOの田中英地は、学生時代に掲げた「日本再興の一助になる」という夢を実現するために、戦略コンサルティングファームのマネジャーというエリート街道を辞し、3人目の社員としてスタートアップへ飛び込んだ。

田中は「人生の中で、リスクを冒してでも飛び込みたいと思えるチャンスは、滅多にない」と語る。“グッとくる瞬間”を逃さず、夢を叶えるキャリアを生きるためには、どのような準備が必要なのか。

夢を叶える道を歩き始めた田中に、転職の経緯とゴールへのロードマップを聞いた。

「日本再興の一助になる」——夢を実現する第一歩、戦略コンサルタントへ

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—— 一橋大学を卒業し、外資系コンサルファームに就職。マネージャーとして活躍されていたとお伺いしています。なぜ安定したキャリアを辞して、スタートアップに転職されたのでしょうか。

田中英地(以下、田中):Leanerでなら、学生時代に描いていたゴールを実現できると思ったからです。そのゴールとは、グローバルで戦う日本企業を経営すること。Leanerにはそのポテンシャルがあると直感し、転職を決めました。

—— 「グローバルで戦う日本企業を経営する」というキャリアのゴールを設定された背景について、お伺いさせてください。

田中:学生起業をしていた兄と、叩き上げで上場企業の役員まで上り詰めた父の影響から、以前より商売に興味を持っていたんです。野球に明け暮れた高校時代が終わったところで、商学を学ぼうと一橋大学に進学しました。

大学では経営史を専攻しており、その経験がキャリアのゴールを定める一つのきっかけになりました。授業の初めに読んだ入門書はまず、ものづくりで隆盛を極めた日本経済と“失われた20年”の比較から話が始まります。

そこで、日本は世界的に見ても経済先進国だと思っていたのに、実情はそうではなかったことを知るわけです。また、自分の生きてきた20年が「失われた時代」だったことにも気づきます。

そこで、いずれは自分が、日本再興の一助になりたいと強く思いました。就職活動の軸はその一択で、当時は日本発のグローバル企業をいくつか視野に入れていましたね。

—— しかし、ファーストキャリアはA.T. Kearneyという、外資系の企業を選ばれています。なぜ、当初描いていたキャリアとは違う道を歩まれたのでしょうか。

田中:いい会社がたくさんあり、決められなかったんです。また就職活動をしながら、実力がなければ、経営者として世界と戦う日本企業を牽引することは難しいだろうとも感じました。

そこで選んだのが、戦略コンサルという道。「自分が行きたい道が明確に見えたときに、そこで戦える実力をつけること」を直近の第一目標に据えたんです。いくつかの企業から内定をいただいたのち、最も魅力的な選択肢に感じたA.T. Kearneyに入社しました。

ちなみにA.T. Kearneyを選んだ理由は、面接でさえ自分の成長を感じられたからです。僕の最終面接は、現在日本法人の代表を務める関灘茂さんでした。3時間半にも及ぶ彼との対話を通じ、「こんなにも優秀な人材が集う環境なら、必ず成長できる」と確信したんです。

グッとくる瞬間を待ち、虎視眈々と備えよ

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—— A.T. Kearneyでのお仕事についてもお伺いさせてください。同期の中で最も早くマネージャーに昇進されたとお伺いしています。

田中:結果的にはそうですが、マネージャーになるまでは相当苦労しています。と言うのも、僕の同期は僕以外が全員東京大学の出身です。また、そのうち7割は大学院を卒業していて、僕よりも圧倒的に優秀でした。

ただ、自身の強みと弱みを認識し、ラーニングカーブを描くことを意識し続けて仕事をした結果、マネージャーにまでなることができました。具体的に何をしていたのかといえば、「仕事のできる上司のモノマネ」です。

コンサルは、アウトプットに対してフィードバックをもらうのが仕事の進め方の基本ですが、あまり過程を教えてもらえません。そこで直接話を聞きにいき、なぜそのようなフィードバックをされたのか、教えてもらうようにしていました。そして、そこで聞いた上司の口癖や思考を徹底的にモノマネするんです。マネージャーになれたのは、そうした小さな改善の積み重ねだと思っています。

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マネジャーとしての立ち居振る舞いをワークを通じて学ぶ
A.T. Kearneyの海外研修「Leadership Quest」

—— 苦労しながらマネージャーにまで上り詰めた過程で、やりがいを感じたり、印象的だった仕事はありますか?

田中:キャリアの後半は、企業の役員の方と1on1でプロジェクトを任せてもらえる機会もありましたし、バイネームで案件をいただくいただくこともありました。もちろん子どもだと思われているのは承知ですが、「君はどう思う?」と意見を聞いてもらう機会が増え、参謀になれている気がして嬉しかったですね。

また、私はそもそもA.T. Kearneyという会社が大好きでした。尊敬できるメンバーに囲まれながら働くことができますし、コンサルタントは収入が高い職業でもある。充実した毎日を過ごせていたと思います。

—— 充実した日々を過ごすなかで、転職を考えられたことはありましたか。

田中:転職活動をしたことはありませんが、いつか転職するだろうとは思っていましたね。日本企業を経営するという目標もありましたし、年齢を重ねれば重ねるほどリスクを取りにくくなることも重々承知していたので。コンサルティングファームは、昇進を続けていくと指数関数的に年収が上がっていきます。つまり、キャリアを重ねるほど会社を去る意思決定が難しくなっていくんです。

ただ僕の場合、まだ所帯がある訳でもない。失うものがない訳ではありませんが、その失うものは、僕の人生にとって「取るに足らないもの」でした。たとえば、週に一度の贅沢な食事が半年に一度になるとか、着ているスーツの値段が下がるとか、家が少し狭くなるとか。

僕は仕事が好きですし、人生の3分の1は仕事に費やす時間です。そうであれば、働く時間を幸せにする方が、幸せな人生になると思っています。なので、当時は「グッとくる瞬間があれば、コンサルを辞して飛び込む覚悟を持つこと」を自分に言い聞かせていましたね。

11:00 p.m. お好み焼きを食べながら「手伝おうか?」

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—— 初めて本格的に転職を考えたのは、Leanerのオファーを受けたときでしょうか。

田中:いえ、以前とあるスタートアップからオファーを受けたことがあります。役員陣全員と面談しましたし、株主とも話をしました。当時の自分には十分なオファー内容でしたし、熱意も感じ、正直かなり心が揺らぎました。ただ、結局のところ転職しませんでした。

その理由は、一言でいうなら「エモい気持ちになれないと思ったから」。会社のメンバーたちがこぞって話す「あのときの、あの事件」が僕には分からず、本当の意味で、自分の会社だと思えないと感じたのです。

オファーを断ったことで、自分の職業観が固まったと思います。僕は世界で戦う日本企業を経営したいし、その企業を自分の手でつくりあげたかったんです。出来上がりつつある組織に転職するのでは、その想いは満たされないのだと理解しました。

—— Leanerに転職を決めたのは、フェーズが若いから、つまり「自分の会社だと思える」ことが大きいのでしょうか?

田中:フェーズが若いというより、代表の大平の存在が大きかったと思います。彼はA.T. Kearneyの後輩で、朝まで飲んだり、旅行にいったり、公私ともに仲のいい存在でした。

彼はすでにファームを離れて起業していたのですが、相変わらず二人で飲みに出かけた日のこと。自分が立ち上げた事業についてあまりにも熱く、楽しそうに語る勢いに押され、気づけば「手伝おうか?」と声をかけていたんです。

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代表の大平裕介と二人で食事をする様子

田中:その日は解散し、一両日後、正式にオファーをもらいました。1〜2週間して返事をしましたが、オファーをもらったその瞬間に、僕の心は決まっていたのだと思います。

リーナーの事業ドメインは、コンサル時代に大平とプロジェクトを担当したこともある、自分が関心を持てる領域です。また、入社すれば自分が3人目のメンバーになる。つまり、愛すべき後輩が社長を務める会社の創業メンバーになるということです。世界で戦う日本企業を、大好きな仲間と一緒につくりあげるチャンスだと思いました。

「今の職を辞してでも、飛び込みたい」と思えるチャンスって、そうないと思うんです。結果論ですが、Leanerへの転職を通じ、「自分が何を求めていて、そのために許容できる最低限の基準は何か」を決めておくことの重要性を感じましたね。

—— Leanerでは、具体的にどのような業務に従事されているのでしょうか。

田中:役職はCOO(最高執行責任者)ですが、事業戦略の立案から実行までに責任を持つことはもちろん、PLの予実管理をしたり、請求書の発行から入金の確認までなんでもやります。

本当に泥臭いことだらけです。転職してまもなくは、請求書のつくり方が分からず、コンサル時代の先輩に頭を下げて教えてもらったこともありました。ファームを出てからは、知らないことやできないことがたくさんあることに気がつく日々です。

ただ、苦しいと感じたことはありません。イチから自分たちでつくったサービスが成長していくことが、とにかく嬉しいんです。汗水垂らしながら必死になってつくったサービスが初めて売上をあげたときは、涙が出るほど感動しましたね。

新しい未来をつくるメンバーとしての覚悟と胆力

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—— LeanerのCOOとして、プロダクトをどのように成長させていきたいと考えていますか。

田中:間接費の削減は、日本企業がより高次な経営を目指すにあたり、絶対にやったほうがいいことだと思っています。コスト削減は「やれば成果が出る」ことなので。

ただ現在は、高スペックのコンサルタントに高単価で依頼をしなければ難しい。しかしLeanerなら、テクノロジーを用いて安価に、効率的にその機能を代替できます。だからこそ、強い意志を持って日本中に普及させなければいけないと思っています。

でも、そうした大きな絵を描くには、長期的なスパンで物事を考えなければいけません。リスクをとって挑戦する人がいなければ、その未来はやってこない。僕たちは、新しい未来をつくるメンバーでありたいと思っています。

—— 新しい未来を実現するにあたり、現在どのようなメンバーが集っているのでしょうか。

田中:手前味噌ですが、どの企業にいてもエースを張れる優秀な人材が集っていると思います。高いポテンシャルを持っていることに加え、未知の課題に手を伸ばし、自ら解決しにいくタフさを持っています。

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田中:また、起業家として大きな実績を持つクラウドワークスの成田とアンリミテッドの野口、そしてOYO LIFE事業責任者の菊川がアドバイザーとして支えてくれているのも弊社の強みです。

—— 田中さんは今後、どのような人材と一緒に未来をつくっていきたいと考えていますか。

田中:面接をしていて「フィットしているな」と感じるのは、当事者意識がものすごく強い人です。また、成長を目的にしているのではなく、組織や事業に共感し、貢献しようと頑張り続けてきた結果として成長してきた人と相性が良い。

またスキルセットでいえば、逆算思考を持つ人材が活躍できる環境だと思います。Leanerの事業ドメインは、ゼロイチで世界観をつくるのではなく、ある程度顕在化しているペインに対して適切なアプローチを打ち続けることが重要だからです。

—— 今後、入社を考えてくれている方に向け、メッセージをお願いします。

田中:僕は大平と、「一兆円企業になろう」と大真面目に話しています。一兆円という数字に意味はないですが、そのくらいの規模で社会に価値を与えられるサービスと組織をつくりたいと思っているんです。冗談のように聞こえてしまうかもしれませんが、本気です。

このタイミングで入社するということは、ある意味リスクかもしれません。ただ、「自分が組織をつくった」と、数年後に胸を張れるタイミングがきっとくると思います。

コンフォートゾーンの中で生きていたら苦しい思いをすることもありませんが、急成長する機会は得られない。もし次の成長機会を欲していて、なおかつLeanerをその舞台として選んでくれる可能性があるのなら、ぜひ門を叩いてほしいと思っています。そのときは、「一兆円企業になろう」と大真面目に未来を描けたら嬉しいです。

TEXT BY モメンタム・ホース