見出し画像

何故、パーソナルトレーナーになろうと思ったの?〜私がパーソナルトレーナーになった理由〜

大阪〜神戸で活動して23年目に突入!パーソナルトレーナーのたかつです
スポーツトレーナー学院で校長をしたり、パーソナルトレーナーの寺子屋というオンラインサロンを運営しています。
こちらのブログはフィットネスの世界で働く方、働きたい方、NESTA等パーソナルトレーナー資格をお持ちでスキルアップ、キャリアアップを考えている方向けに書いてます

パーソナルトレーナーになりたい?そんなこと考えたことなかった

何故、パーソナルトレーナーになったのですか?

よく聞かれる質問です。

実はこれに答えるのは非常に難しい。何故ならパーソナルトレーナーになろう!と思ったことなど一度もないからです。

でも、パーソナルトレーナーを23年もやっています。矛盾してますね。

私がトレーナーというか運動指導者というかそういう類の職業を模索していた1990年代後半には一般呼称としてパーソナルトレーナーというのはなかったので、当然目指しようがないのです。
スポーツ選手につくトレーナーになりたいとかそんなものだったかと思います。
また、当時はスポーツ現場で稼ぐなどというのはごく一部の話で、フツーには難しいでしょうってことで、チャンスの少ない職業という認識がありました。

体育・スポーツ関係の学校を卒業したわけではない私には当然、ルートやコネクションがない。そんなわけで、パーソナルトレーナーを目指すどころか、どこからそのきっかけを得れるかすらわからない状況からスタートしています。

学生時代に、なんらかの運動指導経験を積めるところを探してたどり着いたジムがとても良かった。そこに行ってなければいま私はトレーナーになることすら出来てないかも知れない。それほど、良いきっかけをくれたジムでした。
そこは個人で経営されていて、大手のように不特定多数の会員が出入りするタイプではなく一人一人の顔が見える、そんなジムでした。当時、パーソナルトレーナーという名前は知らないが、今世の中にあるパーソナルトレーニングジムの類と同等かそれ以上のサービスを提供されていたのではないかと思います。
それゆえ、アルバイト、社員という契約形態に関係なく、解剖学や生理学の筆記試験が3ヶ月に一度はあり、実技の試験も課されます。それを点数化し時給やシフトに入る優先順位が決まります。トレーニングも週3-4回はやっていて、それ以外に走る練習もやり、解剖学や生理学も勉強していきました。
点数が取れるようになってきて、お客様から信頼を得れるようになると「担当制」という形でひとりのお客様のプログラム作成から指導、管理まで任されるようになりました。まさにこれ!現代でいう「パーソナルトレーニング」です。
このアルバイト時代に、このジム創業以来、初のテストで満点を💯出すこともできました。
スポーツ系の学校を出ていないということがコンプレックスでもありましたので、必死で勉強したおかげで成果として現れたのも嬉しいですし、何よりこんな勉強なら楽しくて仕方ないという感じでした。

つまり、当時、パーソナルトレーニングという呼称はないものの、パーソナルトレーニングサービスのようなことをやっていたと後から振り返れば、そう思います。

スポーツクラブで感じた矛盾がパーソナルトレーナーになるきっかけ

大学卒業後、スポーツクラブで働き始めた私ですが、ご存知のようにスポーツクラブは個々人への指導はあまり行いません。いや、むしろ、あまりにも個別的に指導すると上司から怒られていました笑

 また、入会後の初回カウンセリングはマニュアル化されていて、来た人みんなに同じことをする(話す)ことになっているのですが、相手が違うのに同じことをいうとかやらせるって変だとしか思わなかったので、自分がわかる範囲でマニュアルを逸脱してその人に合うものを出来るだけ提案していました。
まあ、会社からするとクオリティを揃えて欲しいのは今ではわかりますが、低い方に合わせるのもおかしいと感じたので、一年目の分際でしたが、休日に積極的に社内研修をやらせてもらい、スタッフ全体のレベルを上げるように務めていました。
当時、学生アルバイトで来ていた人が今や大手スポーツクラブの支配人になっていると聞きますので、当日の取り組みは無駄ではなかったかなと思っています。

まだ、この時点ではパーソナルトレーニングはスタートしていません。
まだまだ改善する点がたくさんあるからです。
ひとつは、当時のスポーツクラブでは、月会費以外を払って指導を受けるというものがほぼなかったこと。会社側にも、お客様の側にもその概念がないため、いきなりパーソナルトレーニング1時間◯◯円と始めても無理があったのです。

段階を経て完成したパーソナルトレーニングサービス

 スポーツクラブには入会後に指導(というかただの案内)はあったのですが、それ以降はほぼ放置のようなイメージでした。そこで、既存のお客様にも初回カウンセリング枠と同じように相談枠を設けて、1時間に一回は誰かしらとカウンセリングして、ご案内するということを積極的に行い、正しいフォームで目的を持って取り組むお客様を少しずつ増やしていきました。

 プログラムを作って指導する、というトレーナー本来の仕事の文化を作って行ったわけです。
最初に有料化したのが、ダイエットスクールパートナーストレッチでした。
 その後、ダイエットスクールは今はどこでもやってる2ヶ月のパッケージのマンツーマン指導へと発展します。
この辺りで、特別に指導を受けるには有料になるという文化を少しずつ作っていき、1999年の10月に、満を辞してのフルオーダー型のパーソナルトレーニングをスタートさせました。

 このように、1999年にパーソナルトレーナーを名乗りサービスをスタートしたわけですが、それ以前はそもそも呼称としてパーソナルトレーナーというのは知らなかった。けれども、学生時代に働いたジムの形態はいまのパーソナルトレーニングジムに通じるものがあった。
さらに、私自身が、一人一人に個別対応していくことが大事と考えていた。
そんな中で時代の流れがマッチした。

と、こんな要因でパーソナルトレーナーとなったわけでございます。


時代の流れですから、当時は知らなかったのですが他のところでもやり始めていた人もいるようですが、とにかく関西ではこのスタイルでやってる人はまだまだ少なかったということです。

私がスタートしたのが1999年の終わりで、2000年に入りスポーツクラブも吸収合併などが相次ぎ、2003年あたりからはどこのスポーツクラブでのパーソナルトレーナーを外部契約する流れが出てきました。

2010年ごろからは個人のトレーナーがスポーツクラブの外へ出て行き自前のジムを構えるようになり、2015年以降は、ボディメイクやコンテストブームとともに筋トレの文化が日本にも根付きました。

現在は、資本力のある会社がパーソナルトレーニングジムを複数店舗経営するようになり、既存のフィットネスクラブとは形を変えたサービスを展開するようなっています。

今は、パーソナルトレーナーになるためのお膳立てがたくさんありますから、始めること自体のハードルは低い。その分、競争も激しいわけですが、切磋琢磨しレベルがあがりお客様の役に立つのならこれ以上のことはありません。


======================================================

みっちり1年間勉強してパーソナルトレーナーになるなら、大阪の西梅田にあるJOTスポーツトレーナー学院にお越し下さい。

https://jotst.com/

地方で学ぶ場所がない。パーソナルトレーナーとして活動を始めたが、メンターや継続教育の場を探している方は、パーソナルトレーナーの寺子屋に入塾ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?