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自由な働き方は雇われていたらできないのか?

大阪〜神戸で活動しているパーソナルトレーナーのたかつです。
スポーツトレーナー学院で校長をしたり、パーソナルトレーナーの寺子屋というオンラインサロンを運営しています。
こちらのブログはフィットネスの世界で働く方、働きたい方、NESTA等パーソナルトレーナー資格をお持ちでスキルアップ、キャリアアップを考えている方向けに書いてます

パーソナルトレーナーとして仕事をして22年目になりますが、22年前と言いますと「パーソナルトレーナー」という呼称を使っても誰にも理解してもらえないレベルでした。当時、フィットネスクラブで働いていたときに「パーソナルトレーニング」なる新たなサービスを導入し、最前線でセッションに当たっていました。あの頃はフィットネスで会費外収入といえば物販であり、指導でお金をいただくのは半ばタブーの状態でした。今では当たり前となりつつありますが20数年前はそんな状況です。

16年前にそのクラブからは独立し個人事業としてこれまでやってきていますが、フリーで働く=自由、好きなことができる、何にも縛られない・・・と思っている人も少なくないようですが、ちょっと考えを改めてみてください。

自由の度合いが大きければ大きいほど、「責任」の枠が大きくなります。例えば、国には頼らない、自分個人の力で生きているんだという人がいたとして、その辺の道路や橋は全て国が管理、整備してくれています。己の責任でとなると全て自分で何でも賄うということになります。日本は今でこそ、危うさがありますが、それでも世界から見れば相当に豊かで安全なとても住みやすい国です。そんな中にいるから、「俺は自由に・・・」と言えるわけです。国が変わって同じことができるとはとても思えません。つまり、自由といっても必ず枠組みがあるのです。責任が取れないのに「自由」を叫ぶほど愚かなことはありません。

また、自由という言葉の捉え方ですが、「Liberty」「Freedom」の二つがあり、前者は文字通りの制約のない自由のことで国境もないとかやや頭がお花畑な思考の自由かなと思います。一方、後者は一定の枠組みがある中で変えることのできない運命の中での自由ということです。これは評論家の小林秀夫というとても賢い人が論じてたものです。なるほどな!です。

 決められた枠組みの中、与えられた条件の中で得る達成感を自由=Freedomであると捉えてみたら、人はあらゆる状況で自由であるといえます。
仕事において全てが自分のやりたいこと思い通りにいくとは限りません。休みなく働く環境下であれば自由がないように感じますが、それもまた進んで選択した結果の充実したもので有れば自由です。20代はそんな働き方でしたが、休みがないから不自由とは感じませんでした。むしろ充実していた。

 逆に家族がある人は家族との時間も大切で、その制約の中で仕事を選択しやる必要がある。それを不自由と感じるかどうかはやはり考え方次第。Libertyを望むなら不自由だろうが、F reedomは必ずある。
金がないから何もできない不自由だというのも捉え方次第で、ないなりの過ごし方自由はあり、金が有ればあったなりの不自由さを感じるケースもある。

 今のこのコロナ禍ではこれまでの価値観が通用しない場面がある。マスク、営業時間、ワクチン…色々これまでにない制約はあるが、その中で各々が工夫し、乗り越えていく。このプロセスを不自由と感じるか、その中で工夫を凝らした自由=Freedomを感じるか。

自由が欲しいからフリーランスになる、という発想はちょっと短絡的ですし、フリーランスだと自由に好きなことができるというのもちょっと思い違いだよ、というお話しでした。

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