幼稚園の記憶

幼稚園くらいの時は感情の起伏が今よりもだいぶ激しくて、
ちょっとした町のお祭りがあると
一週間前から楽しみで前日は全く眠れなかったり、
ゲームのデータが消えただけでこの世の終わりかのように錯覚したり、

こういう時期がいわゆる
感受性が高い時期なんだろう。
最近はオートセーブが主流だからゲームのデータがとぶことはないんだろうが。

小学校に入る前までは5つ上の姉と
その友達と遊ぶことが多かった気がする。
ベイブレード、ポケモンカード、遊戯王、ポケモンスタジアム…
奇跡的に住んでた街にはまだ
昔ながらの駄菓子屋さんが残っていて
120円のパチンコをかって
コノテガシワの実を袋いっぱいに集めて色んな所に飛ばして遊んだなぁ。
特に面白かったのが10円ベースボール。
ピン弾いてあたりに入ると金券もらえるやつ。
いま1/12スケールのやつが売ってるみたいだけど、やっぱりあの大きさじゃなきゃね。
人生初めてのギャンブルはあれだったな。それ以来ギャンブルはしてないけど

考えてみると今でも年上の人と遊んだり関わったりすることが多いんだけど、この頃の影響が大きい気がする。
年上は当然だけど生きてきた年数が多い分知らない経験、知識をもってる可能性が高いから話してて飽きない。
知らないことはたぶん無くならないから
知らないことを知る楽しさを知るとかなり人生楽しくなると思う。
とはいえ年下でも自分の知らない経験、知識を持っている人は沢山いるから区別するとそれだけ仲良くなる可能性を狭めているからよくないんだろうけど


幼稚園の時は
楽しいことは誰かから与えられるもので
ベイブレードや遊戯王といった商品を消費することで
今考えたら自分で遊びを作り出す、
ということはあまりやってこなかったなぁと感じた。
(家にLEGOがあったので自分で組み合わせてお人形さんごっこみたいなことはやってたけど)
ゲーム改造して遊んだり、ミニ四駆分解して遊んだりしている年上の人を見てるとそれだけで尊敬した笑

でも一方で0から1にすることって
不可能だとも思ってる。
例えば農家さんは種や苗を買って育てて米やら野菜を作ってるけど、
種そのものを一から作っているわけではなくて、この世にある種を分別して品種改良しているに過ぎない。(すごく努力が必要で大変なことであることには違いないのだが)
機械だって金属を削りだしたりしてネジやら基盤を作ってるわけで金属そのものを作ってるわけじゃない。

んーと、なにを言いたいのかというと
1を感じる感受性と
1を100にする探究心が大切なんだと思う。
今の世の中は100に増幅されたもので溢れていてそれを消費するだけでも充分楽しいんだけど自分としてはエコじゃないと思い始めてきたんだよね。

幼稚園の時はよくも悪くも
100に増幅された刺激をばんばん受けまくっていたから1を感じられなかったのかもしれない。
それはそれで恵まれた環境だったと感謝もしてる。
でも年齢重ねるとそれだけでは満たされない感覚が増してくる。

だから今都市から離れて
小豆島の特に田舎に暮らしているのは
1を感じる感受性を取り戻そうとしているからかもしれない。

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