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梅花藻


今年もまた
彼女と過ごした夏が来る
僕はとても風変わりな彼女にたぶん二度命を救われた
そしてもう二度と会うことはできない
なぜなら 彼女は大人になってしまったから


夏休みに入るとすぐ

僕と妹はお婆ちゃんの家に預けられた

冷戦状態だった両親はとうとう決着をつける気になったようだ

休み明け僕たちの生活は一変するのだろう

家族がばらばらになってしまうのは悲しい

本当に悲しい けど、

空気のぱんぱんに詰まったふうせんみたいに今にも破裂しそうな雰囲気の家は…

もう要らない

妹は自分を責めてばかりいる

母方のお婆ちゃんの家はど田舎だった びっくりだ

スマホはほとんど圏外

テレビは3局

ネットは無し


僕は何をして過ごせば良いのだろう?

山の中の一軒家

おばあちゃんは一人暮らし

空気のせいか、水のせいか、歩き回るからか、齢90を超えても元気がいい

計算したらわかると思うけど

うちの母は晩婚でおばあちゃんの末の子供だ


意外な事に妹はすぐにこの田舎ぐらしに慣れた

しかも楽しんでいる

おばあちゃんの後について料理、洗濯、畑仕事、裁縫

常家豆腐なんてもの、おばあちゃんはどこで覚えてきたのだろう?


すぐに慣れてしまった妹とは反対に僕は途方に暮れていた

持ってきたマンガはすでに読みあきてしまった

仕方なくベタに昆虫採集でもやってみるかと補虫網と虫かごを持って外に出てみた

でもやっぱり素人でカブトムシがどの木にいるかわからず、蝉にはオシッコひっかけられるし、トンボにはバカにされっぱなしだ

でも、まあ 良いこともあった

例年になく宿題が8月に入る前に終わりそうだ

しかし、そうなると本格的に僕にはすることが無くなってしまう


そんなある日

おばあちゃんが泳ぐのに良い川があると教えてくれた

それで母さんは水着を持っていけと言っていたのか

僕は迷わずその案に乗っかった


澄んだ水はひんやりしてとても心地よく

どうした具合か天然のプールのようになった場所も滑り台のような所もあった

最初の頃は一緒に来ていたおばあちゃんと妹は3日もすると

もういい

と ついてこなくなった

僕は下手だったクロールの技術がメキメキ上達した

でもそれが慢心を招いたらしい


苦しかった

たくさん水を飲んだ

上と下がわからなくなりパニックを起こす

意識が遠くなりかけた僕の視界に天女が現れた


パン、パパン
突然顔に衝撃を受け 気がついた
いってぇ
身体を起こそうとすると吐き気がした胃の中のモノを吐きだす
苦しい
それでもお腹がパンパンだ
両頬が痛いし
なんだこれ?
身体が重く 思うように動けない?
ああ、僕は溺れたんだっけ
重い瞼を押し開けると目の前に見慣れない女の子が覗き込んでいた

「良かった、あんたになんかあったらチエちゃんが悲しむから」

誰?
チエちゃん?
覗き込んでいた女の子が身体を起こした途端視界に入る

「ちょっ、ちょっと なにやってるの?」

女の子は全裸だった
いや、申しわけ程度の布が腰に絡み付いている

「ん?ああ、ヒトはこれがダメだったっけ」

女の子は自らの胸を左手でトントンと叩いた
女の子は見た目僕と同じくらいの年に見える、色の白い…
白いっていうか薄い緑色っぽい?
凄く淡いグリーン
肩を少し越えるくらいの髪
大きな目と拗ねたような唇
アヒルのような唇
あれ?
ヒトハコレガダメダッタッケ?
ヒトハ?
ヒトハ?
ヒトハ?
人じゃない?!
僕は慌てて起き上がると荷物を置いておいた所に行き、タオルを巻き、ビーサンを履いた
少しでも対抗できるように
かなり心もとない装備だけど意を決して女の子を振り返る
彼女はそんな変なモノには見えなかった
大丈夫そうだな
彼女はにっこりした

「あ、ありがとうございます 助けてくれたんですよね?」

「うん、苦しそうだったから」

「ありがとう えっと、君は誰?
近くに住んでるの?」

「梅花藻 住んでるのはココ」

「バイカモ?ココ?」

「そう。夏に梅の花に似た花が咲く水草の名前を貰ったの
ここが私の住んでる所
言っておくけど、人ではないわよ
あんた達の言うところのカッパだわ
妖怪って言うの?
それ」

か、か、か、か、カッパ?
えええええええええええええっ
なんだそれ?マジか?
ドッキリ?
どっかからカメラ出てくるの?
彼女はすっと立ち上がるとペタペタと足音をたて近づき

「ほーら、食べちゃうわよ~」

と怖い顔をして見せた


「バイカー!」
露出狂の変態お姉さんの梅花藻は話してみると思ったより面白いヤツだった
胸が凄く恥ずかしいと言ったら 宝物の水着を着るようになった
川に来てたカップルを脅かしたら
男だけ先に逃げて女は大泣きで裸のままその男を追いかけていって見事な飛び蹴りをかました
そのほれぼれするような飛び蹴りは伝説になり、忘れて行ったといういわくつきの派手派手な水着はバイカの宝物になったんだそうだ
最近はそれを着用してくれている

いちいち設定が完璧なんだ

毎日、梅花藻と泳ぎ
カッパ泳法なんてモノまで習った
カッパ泳法は平泳ぎに近い
彼女はしょっちゅうチエちゃんの話をしている
彼女によるとチエちゃんは美人でスタイルが良くとってもよく笑う完全無欠の女の人らしい
そんな時の梅花藻はとってもキラキラしていて
僕は少しだけ興味が湧き
そしてほんの少しだけ嫉妬した
僕は日に日に日焼けして真っ黒になって行く
梅花藻は日焼け止めを塗っているのか青白いままだった

それにしてもチエちゃん…
どこかで聞いたことあるような…

そんなある日

妹が
お兄ちゃん、毎日派手な女の子と泳いでるね そう言った
晩ご飯の食卓での事だ
僕は口に入れたばかりの味噌汁をぶーっと吹いてしまった
慌てて布巾を流しに取りに行くと

「それは梅花藻か?」

布巾を渡してくれたおばあちゃんが聞く
なんでおばあちゃんが知っているの?



あ!
ばあちゃんの名前 チエだ!
おばあちゃんはおばあちゃんとしか認識してないから思いつかなかったよ
梅花藻の言ってるチエちゃんはおばあちゃんの事?!
嘘だろ?

妹は僕が忘れた水筒を届けに来て梅花藻を見てしまったらしい

おばあちゃんは会いたいと言っていた

一度バイカに了解を得てから

そうおばあちゃんに約束し 翌日川に行った

川はおばあちゃんの家から20分ほどの森の先にある

ビーサンでは歩きにくい木の根がボコボコした一本道

周りは苔がびっしり生えた岩や倒れて朽ちた大木

そんなのを抜けて行くとある

妹とおばあちゃんに見つかったことを梅花藻に話さなければいけない

僕の足取りは重かった

秘密

バイカの事は僕だけの秘密だったのに

カッパだ妖怪だというバイカと僕はこの先どうなってしまうのだろう?

森を抜けると正面の大岩にまるで女神像のようにバイカは腰掛けて居た

「来たな」

僕を見るとニヤリと笑う

ドキっとした

嫌われたくない気持ちとちゃんとしなくちゃという気持ちとが行ったり来たする

急にいたたまれない気持ちになってビーサンをぬぎすてると

安定感のない石の上を走って梅花藻の所まで行き腕を掴んだ

「バイカ、実は妹とおばあちゃんにばれたんだ」

「ばれた?」

「うん

おばあちゃんがバイカに会いたいって言ってる」

梅花藻はびっくりした顔をした

「チエちゃんが、私に会いたいって?」

やっぱりおばあちゃんがチエちゃんか!

間違いであって欲しいという心の中で一縷の望みは潰えた

「嫌なら良いんだ」

「嫌って言うか、私成長してなくて子どもっぽくて恥ずかしい」

照れたように言う梅花藻に絶句

いやいや、そこかいっ!

「でも、私もチエちゃんに会いたいと思ってた」

胸の奥で何かがチクっとした


梅花藻とおばあちゃんの再会はとっても感動的だった

無理もない

何せ80 年ぶりの再会

梅花藻はしきりに成長のない自分を恥ずかしがっていた

おばあちゃんは

私の子どもたちも孫もずっとここで見守ってきてくれたんだろ

ありがとう

そう感謝を告げていた

そういえば母さんもここで泳いだんだ

梅花藻の事、知ってるのかなあ


それからおばあちゃんは暴力的な蝉の鳴き声がする日は冷え冷えのスイカを差し入れしてくれるようになった

スイカは梅花藻の好物らしい

なんでそんな事知ってるんだろう?

さすが 完全無欠だ

強い台風第12号は、18日15時に日本に上陸のおそれ 1時間におよそ15キロの速さで西へ進んでいます。中心の気圧は955ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は40メートル、最大瞬間風速は60メートルで中心から半径90キロ以内では風速25メートル以上の暴風となっています。また、中心から半径280キロ以内では風速15メートル以上の強い風が吹いています。


台風が近づいてきている

朝から台所でラジオが流れている
おばあちゃんによる外出禁止令がでた
けど まだまだそんなに近くない

風がさっきより強くなってきているか?

ラジオから流れる声は単調で独特の不安を煽る感じがする

怖いようなワクワクするような

僕と妹は畳の上に足を投げ出して座り、木枠のガラスサッシから見える誘っているような木々をぼんやり眺めていた
たまにガタガタと風に揺られサッシが音を立てる

「大型ってどのくらいなんだろうね」

突然妹が言った

「ん?」

「お父さんとお母さんの居る所は大丈夫なのかな?」

「んー?建物の中にいれば大丈夫だろ?」

そっか、やっぱり両親と離れていると不安なんだな

川とかに近づかなければ…

川か 、カッパとか台風の時はどうしてるんだろ?

ふと梅花藻を想った


窓の外は風が強く吹いている

「ちょっと行ってくる」

「お兄ちゃん?!」

まだ台風遠いし、ちょっと見てくるだけだから大丈夫だろ

カッパの川流れなんて諺もあるくらいだし 1日くらい家にいてもらってもいいんじゃないかな?

外に出ると大きめのTシャツの裾がバタバタとはためいた

僕はいつもの川へと走る

半分ほど走った所で森はざわざわと鳴り始める


雨?


僕は足を止める

上を見る

大粒の雫が落ちて来た

と、ざあっと雨が降り出した

やばっ

僕は川へと急ぐ雨はどんどんと強くなっていった

僕は顔に当たる雨を腕で避けながら走った

ーーーーっ

風雨に混ざって誰かが何か叫んでいる


バイカ?


立ち止まって目を凝らすと

濁流の中 梅花藻は泣きながら空に向かって何か叫んでいる

バイカが泣いている

泣いている

僕は必死に走った


「バイカー!」


僕の声に気がついた梅花藻は一瞬こっちを向き
そして濁流の中に姿を消した

「バイカー!」

「バイカー!」

「バイカー!」


茶色に変わってしまった川の水に何度呼び掛けようと返事は無かった


台風一過
風が全部吹き飛ばしてくれたようで雲ひとつない空
梅花藻は来なかった
次の日も
その次の日も
何がいけなかったのだろう?
どうして出てきてくれないんだろう?
なんで泣いていたんだろう?
何を叫んでいたんだろう?
今日も梅花藻は来ないのだろうか?
会いたい
今日はいるかも
そんな期待を胸に川に来るけれど
今日も梅花藻は居なかった
川の水に足を浸し、あの日の梅花藻のように空を見上げた
飛行機雲が一直線に空を二つに分けて行った

「泣いているのか?」

気がつくと近くに梅花藻は居た

「泣いてない!眩しかっただけ」

知らないうちに溢れ出ていた涙を乱暴に拭う
梅花藻は隣に座り、同じように足を水に浸した

「バイカ、良かった」

「ん?」

「なんか有ったのかと思って」

「なんか、か 有ったなあ」

「たいへんなの?」

「んー?私ね 早く大人になりたいと思ってたの
妹が居て、あの子はずっと前に大人になっちゃってて
なんで私は成長しないのかなぁと思ってたの」

「うん」

「あの子はその辺の事話したがらないから 私は 何も知らなくて」

「うん」

「見て」

梅花藻は自分の首のあたりを指差す
そこには深い傷のような切れ目があった

「どうしたの?それ?
痛い?」

「痛くないよ、コレね、エラなんだ」

「…えら?」

「そう、 魚とかにある、アレ
見てて」

そう言うと大きく息を吸い込んで鼻をつまんだ
すると彼女がエラと呼んだところからブワっと空気が出た

!!

「はぁ
これ、ちょっと苦しい」

「それが大人になった証拠なの?」

「そう、これが第一歩
これからどんどん変わっていくの
だから…
おまえ、もうここには来るな」

「は?」

梅花藻は悲しそうな顔をしながら言った

「もうここには来ないで」


「な なんだよそれ?!

何言っちゃってるの?!

暫く顔を見せないとか思ったらそんな…」

「怒んなよ

私だってこんな事になるなんて思って無かったんだ

普段顔なんか見せないのになんで分かったのかくそおやじが」

「おやじ?お父さん?」

「そう 急に来て輿入れの日が決まったと」

「輿入れ?」

「結婚だよ」

「はあ?結婚?!」

「そーだろ?ピンと来ないよな

あのくそおやじは私が大人になるの手ぐすね引いて待ってたみたいだな

もともと相手は決まっていたんだ」

おかしい呼吸がしづらい

心臓がバクバクしている

「昨日会ってきた

思ったよりいい奴そうだったよ」

「バイカ、そいつと結婚するの?」

自分でもびっくりするくらいゾッとする声が出た

「そうだな

カッパ族は数が少なくなりつつあるんだ

混血も進んできてるし

純粋なカッパ族を護らないと

いけな…いんだろう…な」

梅花藻は泣いていた

「なんで泣いているの?」

「わからない」

そう言って悔しそうに涙を流した

僕はすっかり焦ってしまった

女の子に泣かれたらどうしたら良いんだろう?

「輿入れが嫌ならしなきゃいいじゃん」

そいつとの結婚は泣くほど嫌な事なんだ

歪んだ笑みが浮かぶ


びっくりして僕を見た梅花藻はまたびっくりして

「そんな顔しないで

あのね、妹にも会って来たの

それでいろいろ聞いてきたの

このままじゃ、私 おまえに危害を加えそうなんだ

だから

お願いだから

ここには来ないで欲しい」

「やだ!

やだ!やだ!イヤだ!

もう会わないなんて絶対できない!

危害ってなんだよ

僕の事食うのか?」

そう言うと梅花藻は顔を伏せた

「全然わかんないよ そんなの」

「そうだよね…

…、でも お願い

私はおまえと出会えたことを嬉しく思っているんだ」

梅花藻は顔を上げ

目を合わすと笑顔を作り僕の肩に手をかけグッと近づいてくる

………

耳もとでなにか囁く

僕は耳を抑えてちょっと身体を引いた

胸がバクバクしている

顔が熱い

「なっ…」

「おまじないだ」

まっすぐ僕を見たまま言う

「それ、私の本当の名前なんだ」

梅花藻じゃないの?

「梅花藻はあのかわいい花にあやかってお母さんがつけたんだ

あだ名だよ

妖怪は本当の名前は誰にも言わない」

「それって良いの?」

「良くない

でもおまえにはそれが必要になるかも知れないから

私は何も持ってないから

出会えた想いに 私を、

私の最大の秘密をおまえに渡した」

揺るぎない意志のこもった瞳に僕は何も言えなくなってしまった

二人の耳には川の水が流れる音が静かに聞こえていた

こんなに女の子にしか見えないのに

人ではなくて妖怪でカッパで

大人になるからって僕を捨てるんだ

友だちだと思ってたのに

大事だ思ってたのに

毎日楽しかったのに

梅花藻にはどうでもいい事なんだ!

「良いよ、どうせ、もうすぐ夏休みも終わるし

家に戻るから

ありがとう、さよなら」

立ち上がって

やっぱりここは握手かな

なんて思って右手を出した

その手を梅花藻は不思議そうに最初は見てたけど同じように右手を出して掴んだ

「さよなら」

悲しそうな笑顔だった

僕は自分の事ばっかりで梅花藻の気持ちを何ひとつわかってなかった



 「お兄ちゃん、ウザい」

ここ数日何をする気力も無くうだうだしているだけの僕に妹はそう言い放った

「はーっ」

僕の口から出るのはため息ばっかりだ
サッシを開け放ったおばあちゃんの家は
木々に囲まれていて軒も深く、陽射しはあまり入って来ないけれど
今日は風もなく湿度も高く
蒸し暑い
扇風機の前を陣取ってジュースを凍らせただけのアイスを持っていた

「はぁーっ」

持っているだけで食べないから溶けてドロドロと手に流れ落ちる
一瞬だけ冷たくて気持ちいいと思うけどやっぱりべとべとして嫌な気分になる

あー!もうこんな気分になるのはみんなバイカのせいだ!
ふざけんなよ!

「はあーーっ」

「ああ!もー、ウザいっ」
通りかかった妹が首に巻いていたタオルを丸めて投げつける

嗚呼、可愛い妹にまでこんな扱いを受けるなんてかわいそうな僕

表で車が止まる音がした
バンっと扉の閉まる音

「おーい、迎えに来たぞ~」

叔父さんだった

叔父さんの自慢のプリウスに乗せてもらって今日は街のお祭りに行くらしい

面倒くさい

車、涼しい

叔父さんの家には従姉妹が居る
僕と同じ歳の女の子だ

「おっ 純 来たな」

いつものように呼び捨てだ
あ、僕の名前は純って言います
今更だけど
「純君大きくなったねえ 学校はどう?
晶は今度ねバスケの大会で…」

なんて叔母さんの話に相槌を打ってる間に浴衣を着せられて
お金を持たされてポイっと提灯の灯る夜に投げ出された

晶ってのは従姉妹
バスケやってるみたいだ 今知った
ちなみに妹は麻友って名前だ
そう言えばバイカは僕の名前聞かなかったなあ…
いつもおまえばっかりで

麻友と晶は楽しそうにイカ焼きを食べていた

バイカはイカ焼き食べるのかな?

ーっ

またバイカの事を考えている自分に腹が立って
テキ屋のおじさんが嫌な顔するほど風船釣りをしまくった

その晩は叔父さんの家に泊まり、翌日おばあちゃんの家に送ってくれた

夏休みも残り一週間
お母さんから迎えに行くと連絡があった

やっと家に帰れる
帰ればもうバイカの事も思い出さない
あんなカッパ女知らん

冷蔵庫から麦茶を出し、コップになみなみと注いで一気に飲む
コップをテーブルの上にどんっと置いて

「はぁーっ」

今日何度目かのため息を吐くとおばあちゃんが寄って来た

「梅花藻を許しておやり」

頭を撫ぜ撫ぜする
僕としては恥ずかしいからそんな子どもっぽいコトやめてほしいのだけどおばあちゃんだからおとなしくじっとしていた

「あの子も心配していたよ」

「は?会ったの?」

僕には会いに来るなって言っておいて、なんだそれ?!
おばあちゃんの手を叩き落とす

「純…」

「バイカの一番はいつでもおばあちゃんなんだ!」

くそーっ言うことなんか聞いてやるもんか

「純、ダメだ!」

静止するおばあちゃんを無視して
腹立ちまぎれに乱暴に玄関のドアを閉めると川に向かって走る

途中で脱げたビーサンを手で持って走る

森を抜け、川に着くと持っていたビーサンを川に向かって投げつける

「バイカ!出てこい!」

川の真ん中から僕に向かって水が大きな塊となって飛んできた

「うわ」

水だと思ったのは梅花藻だった
緑が濃くなり、首のエラもはっきりとして数が多くなっていた

「ココニハキテハダメッテイッタ」

直接頭に響くような声
梅花藻が出てきた瞬間からお尻の辺りがムズムズして下半身に血が集まるような感じで…

なんだこれ?

梅花藻は僕の身体をあちこち触っている
なんか怖い…

「ナマエヲヨンデ」

「…バイカ」

「チガウ」

梅花藻は無表情な顔で涙を流していた
なんで泣いてるんだ?

「梅花藻」

「ソレジャナイ」

梅花藻は僕を押し倒すとお腹を撫でさすり、首もとに顔を埋めた

「ハヤク
ハヤク、ナマエヲヨンデ」

な…名前って
あ、あの時の?

「………?」

そう言った瞬間 いつもの梅花藻が居た
いや緑が濃くなってエラもあったけど

目が合い 時間が止まったようだった
涙をたたえたままで笑顔を見せると梅花藻は水の中に消えてしまった

気がつくと妹が覗き込んでいた
布団に寝かされていて胸に薄い上掛けがかけてあった
ヒグラシが鳴いていた

「おばあちゃん、お兄ちゃん起きたよ」

台所に向かって妹が叫んだ
おばあちゃんは慌ててやって来て痛いところは無いかと聞いた

「痛い所は無いけど、なんだかダルい感じがする」

頭がぼーっとする
身体に力が入らない
何でだろう?
僕は両手を握ってみる
開いたり握ったり

「大丈夫?」

「うん、なんだか喉が渇いた」

分かったと立ち上がって麦茶の入ったコップを持ってきてくれた
よっこいしょって起き上がりコップを受け取りひと息で飲んだ

おばあちゃんの話によるとあの後僕を追いかけたらしい
僕は川岸に倒れていたみたい

「純、怖い目にあったんか?」

やかんを持ってきて僕の持っているコップにおかわりを注ぎながらおばあちゃんは言う
僕は首を振る

「怖く無いよ」

いや、本当は少し怖かった
でもそんな事言ったらもうバイカに会えないかもしれない
そんなの嫌だから僕は少しウソをついた

「梅花藻はわたしらの知っている梅花藻ではなくなっている」

「違う!バイカはバイカだ!」

「純、梅花藻を困らせてはいけないよ」

「…」

「梅花藻はああ見えて妖怪なんだ
本当は怖い生き物なんだよ
わたしらの知らない事情があるかもしれないじゃないか」

「バイカは怖くない…」

知らず知らずのうちにコップを握りしめていた
おばあちゃんにコップを取り上げられた

「カッパに魅入られた者は尻子玉を抜かれるよ」

「…
おばあちゃんは大丈夫じゃないか
なんで僕なんだよ」

「それは自分で考えないとね
今日は寝てなさい」

ため息と共におばあちゃんはやかんとコップを持って台所に消えた
僕は布団にゴロンと横になるとバイカのことを思った
なんだか辛そうだった
僕が困らせてるとおばあちゃんは言った
そうなのか?

扇風機のモーターの音が暑さを倍増させている

暑いな

ジジジジジジ…
セミも鳴いている
僕は辛そうなバイカの顔を思い出しながらまどろみの中に落ちていった

目が覚めたのは夜だった
昼はセミ 夜はカエルの大合唱だ
喉が渇いた
僕は半身を起こした
横には妹と その横におばあちゃんが寝ていた
今日はその隣にもうひとつ布団が敷いてあった
ーーお母さん 来たんだ
ということは、明日には帰るんだろう
ーーバイカ…

あんまり梅花藻を困らせてはいけない

おばあちゃんの言葉が蘇る
このまま家に戻ってしまえばたぶんもう会うことはないのだろう

そうだ
僕は僕のこの気持ちをなんと呼ぶのかもう知っている
気がつくのが遅かった
そして確かめるのが怖くて
認めるのも怖くて…

でもそれをバイカに伝えられるのは今だけしかない

起き上がり、台所に向かい
流しの蛇口からコップに水を入れ、飲む

みんなを起こさないようにそーっと外に出た
今日は満月 月は足元を明るく照らしてくれたけどその影の闇はその分暗く僕を怖気付かせた

バイカに好きだって伝えよう
たとえもう二度と会えなくても

月の光に照らされて僕は一歩を踏み出す

「それ以上近付いてはダメ」

川が見通せる場所に着いた時そう聞こえた

「バイカ!」

「いくら名前の効果があってもあんまり近付いてはいけない」

「名前の効果って何?」

バイカは対岸に姿を現した
そこに座る
「そんな事も今の人は忘れてしまってるの?昔の人はちゃんと知っていたのに」

「そか、そんなもんなんだね
だからバイカは僕に本当の名前を言ったんだね」

僕も今立っている所に座る

「おまえ、大丈夫だった?」

バイカは僕をジロジロと見ている
ああ、心配なのか

「今まで寝てたけどなんともないよ」

首を回したり手を振ったりしてみせる 梅花藻はホッとしたような顔をした

「襲われるかも知れないのになんで来るんだ?」

「何が起こったのかわかんないし、
言いたいことがあったから」

「言いたいこと?」

「明日帰る」

「うん そうか 気をつけて」

「…」

「…」

「バイカ、僕はもっとここに居たかった もっとたくさん一緒に泳ぎたかった
バイカの事をもっと知りたかった
ずっと一緒に居たかった」

「…僕はバイカが好きなんだ」

「でも…
でも、それはバイカを苦しめる事なんだと分かった
だから 僕は帰るよ」

「…ごめん」

「なんで謝るの?
何度も僕を助けてくれたよ」

「私もおまえが好きだ
っていうか、おまえに会ったせいで成長してしまった」

「はぁ?」

「そういうもんらしい
バレバレかと思ってたよ 恥ずかしい」

「カッパって変なのー」

かおを見合わせて笑った

「私からすれば人のが変なんだよ
ってかなんでこんなに離れてこんな会話してんだろう」

「本当だ」

川の両岸に別れて声を張り上げての告白が滑稽に思えて僕は笑った
梅花藻も笑っていた
笑って笑って笑って
涙が出た

次々に溢れる涙を僕は梅花藻にわからないように願いながら拭う

月明かりの中の梅花藻は神々しいくらいキレイで僕は胸に刻みつけようと思った

「あ、そうだ!」

梅花藻はそう言うとスルリと水に潜って暫くして戻ってくると何かを僕に向かって投げた

「受け取って」

それは月明かりを受けキラリと光ると僕の広げた掌にストンと落ちてきた

「水晶?」

それは透明で薄っぺらい丸い石

「カッパ族に伝わるお守り

あげる」

「えっ、僕、何も持って無いし、お返しできないよ」

「要らないし

…じゃあ、そのサンダル、ちょうだい」

「これ?」

「うん」

僕はビーサンを脱いで投げようとした

「待って!それ投げると流れてっちゃうから そこに置いて行って」

「あ、うん」

さっきよりも周りが明るくなってきている夜明けが近い?

「お別れだ」

梅花藻は言う

「うん」

僕は立ち上がった

「バイカ、忘れないよ

元気で」

「お前も」

「バイカ、僕は

僕の名前は純って言うんだ

カッパ族ほど大事にしてる名前じゃないけど

バイカに覚えておいて欲しい」

「わかった 純」

「僕、もう行くよ

さよなら

ありがとう、バイカ」

「ありがとう 純」

対岸に居る梅花藻に僕は必死で手を振った

僕は人生で初めて後ろ髪を引かれる思いってヤツを感じながらおばあちゃんの家に向かった

ビーサンをそこに残して

翌朝、おばあちゃんの家の玄関で僕はお母さんと妹が見ている前でおばあちゃんに縋り付いてわんわんと大粒の涙を流して泣いた

泣いて泣いて盛大にしゃくりあげる中、お母さんに無理やり車に押し込まれ僕は帰路に着いた


車の中では爆睡だった


終わり

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