自分の店をたたんだ日

この記事は、 CoachingLife Advent Calandarの23日目の記事です。

自分の店をたたんだ日、考えたこと。
そして、私の2024年のテーマの話。

何を書こうか悩みすぎてしまったので、
ちょっとした自己紹介も兼ねつつ、
まずは12/23の日記を記してしまおうと思う。

日記:自分の店をたたんだ日

2023/12/23(土)
今日、私はひとつの店をたたんだ。

大学の同級生と2人で始めた、いわゆる”間借りカフェ”というもの。
名前は「+1」。

今年の1月に開店して、ほぼぴったり1年間の営業だった。

「たすいち」という店名はとても気に入っていて、
相方と練りに練って作った
「日常の側、+1で道草をくう」というお店のメッセージを
いろんな人に誇らしく説明した開店当初が懐かしい。

私も相方も、オープン当時は大学3年生。
私は、サークル幹部の事務作業ばかりしていた日々を
ヘトヘトで終えて間もない時期だった。

あっという間にいまは大学4年生で、
翌4月には新卒入社を控えている。
だから、就職に伴って、店をたたむ。

時間が経てば、状況もきっと変わる。
当たり前なはずなのに、去年の今頃とのギャップに驚いてしまう。
この1年、色んなことに手を出して、色んなことができるようになった。

怒涛のスケジュールが続くなかでも、
週末に1回、土日の片方だけ営業するかたちで
コツコツ続いていたカフェ営業。

お店をたたんだあと、
来月の1週間の過ごし方は
きっと大きく変わるんだろうなと思う。

スーパーに行くたびに値段をチェックしたり、
「今週、来てね!」とか、投稿したり、
まちなかのカフェのメニューを見て
「これつくれるようになりたい!」とか思ったり、
「新しいメニュー、どんなの食べたい?」とか、人に聞いたり。

全部、もう必要ないことなんだな…と、
私をピン止めしてくれていた大切な何かが
フッとなくなってしまったような気がして、
なんだかあっけにとられてしまう。

いまは、
もっとやりたかったな」と思う気持ちと、
「やりきった」と思う気持ちが、
ちょうど五分五分くらいだ。


「もっと」

コーチとしてセッションを提供する中でも、
クライアントの「もっと」という発言に出会うことはそう珍しくない。
でも、その「もっと」を深追いしてみると
人によってあまりにも文脈が異なっていて、
深めてみてよかった、と大抵思う。

「もっと○○したい」の空欄には、
いろいろな言葉があてはめられると思う。

先に記した私がいい具体例だ。

「もっとやりたかった」というのもそのものだし、
「もっと安く仕入れたい。」「もっと集客したい。」
「もっと上手になりたい。」「もっと期待に応えたい。」
とか。

「もっと○○したい」は
まだまだ、抽象的なことだって当てはまる。
究極、「もっと幸せになりたい」とかも。

もっと、もっと…と
手を伸ばしていくのは自然なことなんだろう。

「もっと便利に」「もっと速く」と
発展のやまない世界の様子や歴史を見れば一目瞭然だ。

「もっと」は、人を集中させる。
「もっと」は、人の行動を導く原動力になる。

実際に私は、
「もっと」に引き連れられるまま、
気付いたらとんでもなく忙しくなっていたり、
深みにはまったりしていることがよくある。
「もっと」のおかげで出来ることが増えたり、
強くなったり、器用になったりする反面、
あとから振り返ったときに
「やりすぎちゃった」と反省したりもする。

この記事を読んでくれているあなたも、
「もっと○○したい」を一つ、
思い浮かべてみてほしい。

思い浮かんだら、一緒に考えてみてほしい。

その「もっと」の根本的な動機は、
どこにあるんだろう。

加えて、問いかけてみたい。

その「もっと」に、集中しすぎてはいないだろうか。

「もっと」に気を取られるうちに、大事なことを忘れてはいないだろうか。
何かから逃げてはいないだろうか。
目を背けてはいないだろうか。
埋め合わせようとしていないだろうか。

前提として、
忘れることも逃げることも悪いことではないと思う。

でも、ずっと忘れていたら、
逃げ続けたら、
目を背けすぎたら、
埋め合わせすぎたら。
「もっと」に連れられるまま、
気づいたら遠くに行ってしまうんじゃないか、と。
戻れなくなってしまうんじゃないか、と。

この問いかけは、自戒である。

1年を振り返れば、
店をはじめた動機や興味をもった動機がときどき薄れてしまって、
「もっと」達に頭を埋め尽くされてしまうことがあったなと思う。

もっと安く仕入れたい。もっと集客したい。
もっと上手になりたい。もっと期待に応えたい。

どれも本音だけど、
決してそのために店をやったわけじゃない。

いい店にしたい、いい場所をつくりたい、と思って
いろいろ考えてあの手この手を尽くしていたはずが、
そのための手段や、副作用が独り歩きしてしまうような感覚があった。

もっとコスパを上げたいとか、
もっと印象的なことをして就活で有利になりたいとか、
もっと熱中して不安を忘れてしまいたい、とか。
恥ずかしいことに、
そんな枝葉の「もっと」達に
のっとられかけた時が何度もあった。

そして、この1年間、
「もっと」が生まれ続けてしまう私を
いつも引き留めてくれていたのは
週に1回のカフェでの時間と、場所と、人だった。


「あぁ、私ってこういう気持ちで、こういう動機で、お店をやったんだよな」と、思い出させてくれていた。

自分がカフェをやった動機が、ここに合流することにも気が付く。

日常からちょっと逸れて、道草をくうように、
わざわざここへ寄ってほしい」
お店の名前やメッセージに込めたことが、
そのまま、私に返ってきていた。

自分がいちばん苦手なこと、
自力でできないことを、似たような誰かに届けたかったんだなと気づく。
加えて、あろうことか私自身が救われていた。

誰かにとっても、そういう場所になれていただろうか。そうだといいな。

私の2024年のテーマは、
「もっと」と仲良くすること

このテーマは、
大きな期待や欲望は持つなとか、
贅沢は不要だとか、
そういった諦念や抑圧とは関係ない。

「もっと」は原動力でもあって、その気持ちに蓋をしては意味がない。

私が言いたいのは、
独り歩きしてしまった「もっと」に連れられて、前だけ見て猛進してたら、
自分がどこから来たか、
なんで今ここにいるのか、
なんで今こうなってるのか、
何かもよくわからなくなっちゃうんじゃない?
ということ。

「もっと」が
ふいに頭に浮かんだとき
口にしたとき、耳にしたとき、
「もっと」の声に従順になるのではなくて、
どこから来たの?と尋ねてみよう。

「もっと」がここまで育ってきたストーリーに耳を傾けて、
優しく、仲良くしてあげよう。
本当はどこに行きたいのかを見つけるために、
すこしだけ側によって、時間を過ごしてみよう。

さらに言うなら、
「もっと!」となっているときに
「まあまあ、ちょっと視野を広げて。ちょっと止まって。
いったん整理しましょうか。」と、
自然に導けるような場所や人が
誰しもの近くに在ってくれたらといいなとも思う。

私がそれになりたいとも、強く思う。

私は来年の今頃、何をしているだろう。

自分のカフェという場所を持っていないとしても、
他者や自分の「もっと」と仲良くできて
「もっと」から自由にしてあげられるような
時間や場所をつくれていたら、
そういう人になれていたら、
私はきっと満たされていると思う。

顧客を思って仕事をすることも、
コーチングでセッションをすることも、
友人や家族と過ごすことも。全てに通じていくはずだ。

だから、2024年は、
他者や自分の「もっと」と仲良くする一年にしたい。

この想いさえ忘れなければ、
毎週「たすいち」を大切に営業していた
今年の私を見失うことはないと思うから。

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