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私の「観察note」

はじめまして、私はドイツ語圏に住む2児の母よっこです。
子供が大きくなる前に自分が夢中になる仕事を見つけたいと思っていた30代。何を始めてもドイツ語を読むことから始まり、何を習っても映画を見ても本を読んでも上澄みだけしか読み取れていなかったから、きっと雰囲気で笑って、雰囲気で感情を表すだけの10年間でした。

ドイツ語で輪の中に入っていって口数多く話す為に自分の中に積み重なっているものを表現してきたんだけれど、日本を離れて長くなり、更新される情報がここでインプットした上澄みだけになった頃、自分の話の薄さに気づき焦りはじめました。惰性で続けていた活動を思い切ってやめて、今まで面白くもなく読み進めていたドイツ語の雑誌や本やテレビをあきらめて、ワクワクする日本語の世界に戻ってきました。

幸いインターネットのおかげで書籍も映画もSNSもよりどりみどりでリアルタイムに楽しむことのできる世界です。日本語でのインプットは納得感が層をなして溜まっていき、溜まっていた小さい塊どうしがくっついたり影響しあって自分の中に残って行く感覚を久しぶりに味わえて、どうして今までドイツ語の枠の中だけで過ごして来れたのか信じられない思いでした。

ドイツ語で理解できる範囲内のインプットで新しい分野を理解していけるほど私のドイツ語は上達しなかったということであきらめて、その分のリソースをデザインの学習に使うことにしました。

10年かかってやっとたどり着いた結論は本当に楽しくて、やりたいことを日本語で学んでそれをここで使って周りの人の役に立つことだってできるんじゃないかと思い出したのが2019年の春。

あれから2年も経った今、日々の学習の中で自分で何かを発信するということから本当にはなれてしまっていたと痛感していて、そんな中で、佐渡島庸平さんの2019年のnote『「観察力」を鍛える唯一の愚直な方法』に出会いました。フェルメールの絵を使った具体的な観察方法を目にして、私にはこんな思考が足りていたなったんだと気づかせていただきました。

誰かの思いを理解して、それをデザインすることで大勢の人に伝わりやすくしたいと思って始めたデザインの学習ですが、理解する過程で思い違いやすれ違いが起こるので、やっぱりまずはドイツ語が必要なのかと覚悟をしはじめたんだけれど、ドイツ語のレベルに関係なく、まずは理解したい思いの解像度を高める努力がなければ何も積もっていかない、自分のデザインへの興味が全然足りていなかったと痛感しました。

まずはそこにあるものをしっかり観察して詳細に表現できるようになりたい。対象にもっと深く興味を持って、必要な情報を引き出す為の言葉の幅がほしい。まずは日本語で練習しなきゃいけないな。ってさっき思った。
ドイツ語はまた後回しになるんだけど。

なんとも恥ずかしい自分語りになってしまいましたが、だからこそそんな私を観察してみて、まずは私の「観察note」を勢いで書いてみました。

この気づきと気持ちをうやむやにして忘れていってはいけないと思うから、今の自分の中に少しでも何かを積み重ねて行けるように、書き続けていきたいと思います。

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