メモ2

たぶん普通のフリをするスキルを思春期時代から身につけてたせいで、自分でも本当の心と虚像の境界線がどこかわからなくなっていたと思う、けど年々社会に属さなくてもいい選択をするうちに 虚像の自分は消えていってる気がする。

そーするとより自分の社不っぷりが浮き彫りになってきて、最近自己理解ができてきた。自分のポンコツさの自覚。

一見マトモでできる子だとなんか思われがちなのだけど、いや僕は本当に正しさの鎧を纏っているだけなんだよなー。その鎧って、メチャ重いかもしれん、最近気づいた。
正しさの真似をしているだけ。間違っている自分を無視するだけ。
正しさが正解だと思っていたし、間違えることを異様に恐れている。本当に。
いまだに間違えること苦手すぎる。これ払拭したいかも、すごく邪魔な概念!いらねー!


学校のテスト、事務仕事、模写、習字、クラシックピアノ、
そういうわかりやすいお手本とか答えがあることはこなせたんだけど。
もしかしたら対人でのストレス思ったよりあるなあ。
ストレスの自覚も苦手だ。
社会の一員として自分が必要とされている時間のとき、たぶんいわゆる"健常者エミュレータ"かなり稼働させてるかも、無自覚のうちに。
普通の人はこんなことで疲れないだろな〜と思うようなことをしている間は、嫌だ、疲れた、したくない、といったネガティブな気持ちが生まれてもそれに気づかないようにしている気がする。
これクセになってるせいで、知らんうちに精神とか自律神経イカれてること多すぎ!


昔っからなんかとにかく、いい子ちゃんでいないといけないと思っていて、それにまだちょっと縛られている気がする
なんか人のこと苦手だとか嫌いだとか思っちゃいけないと思ってたんだよな。
両親が愚痴とかいう感じの人じゃないし、テレビとかも悪口っぽい内容とかはすぐ変えられていたし、犯罪のニュースとかもぜんぜんみなかった。
今はぜんぜん世の中の人たち苦手で〜す。

小5で鬱になった時はたぶん、ストレスとか嫌なことの原因を溜めすぎて それを見つめたり処置するわけでもなく無視しているので溜まる一方で、溜まりすぎてキャパオーバして 本当に心と脳が耐えれんくなったんじゃないかなあ。そんな気がする。

今は無理してない生き方を選んでいるので、キャパオーバにはならんし、居心地のよい場所や友人をたくさん知っているので あの頃のように心身が機能しなくなったりはもうないだろうな。

何が嫌でそうなったとか、うつ病のきっかけはなんだとか聞かれた時に考えても、はっきりと思い当たるようなでかい事柄とかがあるわけじゃあないなあ。
マァ発達障害とか一人称がオレの女の子がいじめられてたり、ホモwwみたいなノリだったり、そういったひとつひとつのことがつらかったと思うな、きっと。世界ってもしかして最悪?と思ったというか。


僕自身はどのカーストに定住することもなく割といろんな子と関わっていた記憶があって、いじめられることもなかったけど
なんか本当に周りのいじめの感じに耐えられなかったんだと思う。
いじめの対象だったりクラスのキモい子みたいな、そういうポジションにいる子たちとふつうに仲良く話していたと思うし、
ああこういうマイノリティの子って排除されちゃうのか、攻撃対象なのか、という恐怖や悲しさや愚かしさに気づいた時が本当に辛かった気がする。
ただの性質を、みんなが間違いとして扱うようなあの感じが、グロすぎるだろと思ったのは覚えてる。その子たちと仲良くできる自分もおかしいの?という発想も生まれた。


ちょうどその頃から自分も性的コンテンツに触れたりし始めて、思春期に入った頃だったから たぶん同性に性的興味がある自分を押し殺していたと思う。
それがよくなかったよなーほんとうに。
今はそう思う、思える、ほんとうに、、、あの時認められていれば!


まあ15〜17歳ぐらいはほんとうにさいあくだったなー。その後もぜんぜんやらかしはある。

けどやっと性的なことへの依存、本当にちゃんと治った気がする。
なんかほんとうに依存症だったかもなあ。
まじでポルノに興味なくなったし、リビドーのない幻想の性欲が消えた。すっきりしている。快適だ。

その依存のくるしかったとこは、別に性的なことが特別きもちいいわけでも、ほんとうにしたいわけでも、それで救われるわけでもなくて、マジで自分にとっていいことがなかったってとこ。

ただそれをしている間は全てのことから逃れられるだけ、忘れられるだけ、現実を現実じゃなくせるだけ、自分じゃなくなるだけ、何かになった気持ちになれるだけ、
だからそこに自分はいない、仮想現実のようなもの。
自分の体で仮想現実やったらそらバグるだろ、まじのVRで我慢できれば良かったのに!!!まあ金もそのブレーキもなかった。ただの自傷。
薬物やアルコールの依存もこんななのかなあ。どうなんだろ。

周りの子が当たり前のように彼氏作ったり、性の話ばっかりしたり、それに全く共感できないことが なんかすごく惨めな気持ち?苦しい気持ち?になったというか、当たり前側になりたかったというか。
そうなれたら楽なのかなと思って、そうなろうとしたけど、今だからわかるけど、本当に憧れたりしても無駄だしセクシャリティは自分で選べねーんだよー。
学校で限界だった頃に初めてひととセックスをしてみて、何回かやってみて、そんでほんとうに何も気持ちよくなくて、(別に自慰はできる)びっくりするぐらい何も感じなくて、そこに何もなかったことがなんかショックだったし、自分が空気人形のようで、とっても虚しい気持ちになって、なんで続けちゃったんだろう、あー愚かしさ!
好きになった女の人には彼氏がいるし、それがふつうだし、ぼくも男の子のことを好きな女の子になりたかったんだと思う。
真面目な見た目だけどふつうにえっちなこととか好きな感じの女子高生、それになりきるということをやってみて、なんか世界と繋がっていると思いたかったんだけど、自分の中に入ってくるのはただの虚しくて冷たい空気だけみたいな、そんな感じ。
自傷はしちゃダメ!って思ってたから手首切ったりODとかのわかりやすい肉体的自傷はしなかったけど、精神的自傷ほんとにしたくなかった〜〜。暗黒歴史かもしれん、マジでありえん、思い返したらちゃんと覚えてはいるんだけど別人の話をしている感覚。
てか当時は相手の顔とか声とか気持ち悪いぐらい染み付いていてこれいつになったら忘れられるんだろうとか思ってたけど、マジで何にも思い出せんわ。ちゃんと忘れている。

うーんくるしくなってきた!
でもとりあえず今生きられていることは喜ばしいことだと、今はそう思えている。当時の自分を救いてーよー、泣

家族や親戚や従兄弟はみんなすごく普通のいい人で、変わり者はぜんぜんいなくて 幼少期から恋愛とか結婚の話をされたり "女の子らしさ"を求められたり そうやって続いて広がってできた町だと知っているから、その町にいる間は、逃げられない間は、間違っちゃいけないというプレッシャーが常にあって
とにかくそのいじめのグロさ、攻撃されたくないというきもち、自分は"普通"じゃないと認めたくないきもち、などなどが絡まって、、、絡まりすぎていたな〜。
長年かけてそれをゆっくりほどいていっているような感じです。
考え方的にはパンセクシャルだ、ノンバイナリだ、男女に言論否定していこう、と思っているのだけれど
僕はやっぱ男性性って好きじゃないし、ホモソ死ぬほど無理だし、男性性を好きな女の子たちに対しても昔からなんとも言えない気持ちになっちゃうし、ビアン寄りなんだろーな。
男性で好きだな〜って思える人いてもだいたいクィアだしな。
自分が自分が身体違和かも?と思っていたモノの正体がだんだんわかってきたし、あー、思ったよりぜんぜんぐちゃぐちゃな生き方してきたんだなあー。

また結局ストリップの話に着地してしまいますが、ほんとうになんかセーフティネットというかね、、、。僕が求めていることがほんとうにあるんだよな。

僕が女の子に対して心惹かれたり、性的興味や関心があるのは小学生の頃から自覚しているけど
やぱ普段関わっている人たちに対して恋心を抱いたりしても、それを伝えるのは難しいどころか認めること自体もくるしいと思っていて。叶わないってわかったらほんとうにやっていけない気がしていたし。(今は恋愛至上主義に反対していきたいしそんなに恋愛したいぜ!みたいな欲もないと思うんだけど、まあ憧れや興味は思春期の頃からあんま変わらんのかもネ、、、)
んで、レズ風俗とかも興味はあるし考えたことはあるけど、多分デミセクだし、自分が気持ちいいスイッチ入れられるかどうかはかなり精神的なことが大きいから、多分お金払って肌重ねるってもちろん知らないこと知れた嬉しさとかすけべな嬉しさとかはあるだろうけど、まあ他のことにお金使ったほうが有意義かなあと思ったり。
気持ちいいことになりたいわけではないし、やぱ知らない人にそんなに欲情できないし、好きな子の反応や感情の動きや知らないところを見たいって気持ちはレズ風俗では叶わないなーと思って、なんだかんだ利用してないな。

ストリップはなんかすごくちょうどいいんですよね僕にとって、、、
男性だけに開かれた娯楽の場じゃなくて、同等の権利を得てエロいものを観れるというのが、まずありがたさがある。自分の気持ちをタブー視しなくていいというか。嫌な客がいないのも助かる。(まあごく稀にセクハラ野郎いるけど、それはどこにでもごく稀におる。いや、範囲をどこにでもにすると ごく稀じゃなくいるな。)

演目で描かれるいろんな女性性とか人生とかの美しさを観る時間は、なんか美術館で一枚の絵をずっと眺めていろんなことを考えている時のような そんな気持ちになるというかね、、、
なんかすごく静かで、開けた場所ではあるんだけども そこで過ごす時間は自分だけの時間で、自由に思考できて、ということを他の人とも共有できるので繋がりもあるし、どこか安心感があるというか。
堂々と自分を存在させられるというか、認められるというか、ね。
ストーリーの盛り上がる部分とか、あまりにも美しい瞬間に 気づいたら涙が堪えきれない時があるんだけど、そういう時に踊り子さんに微笑まれたりするとほんとうに全てを赦されている気持ちになるというか。
いっぱいの愛情がある場なんだよな〜〜、いや、やっぱストリップ好きすぎる〜〜〜

ストリップのこと考えてたら美しい気持ちになってきたし、結局愛かと思っています、寝る。

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