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感覚と感性の時代がやってくる…らしい

ひえぇ寒い寒い!!急に寒い!暖冬の合間に雪景色とか急にやめて。
今年は意識して腸は鍛えてるし粘膜は潤してるけど、
急にやめて、冷えると普通の風邪は普通にひきそうだから。ビタミンC!ビタミンA!!粘膜!保護!

先日『土の時代から風の時代へ』というエントリーを書きまして、
『物質の時代から情報の時代へ』という事ですよね?と書いていたんですが、

もうひとつ思った事がありました。
それがね、こちら ↓

あー、その時代でもありそうですよねー!っていう。
アート、芸術、感性、感覚。の時代。

ここで、18年前の自分のお話を挟みます。
何の話や。となるので、この高校のエピソードの先に、社会人になってからの発見や、困ったり頑張ったりした話が続いていきます。
【論理思考と感覚】の話に繋げますので、いったん18年前までついてきて下さい。

当方、理系と文系っていうか文化系です…。という人種です。
うっかり進んだ進学校で、3年生になる時の選択科目では
数学の一切を捨てて美術と家庭科を選ぶ!と、徹底的に数字の並んだ教科書から逃げた3年生でございました。

36歳にもなって高校の事を思い出すのは、
背伸びして受かってしまった高校で落ちこぼれたから…ではなく、
割と能動的に家庭科と美術を選択して楽しく真面目にそれらの授業を受けていたからです。数学から逃げるためというより、家庭科と美術をちゃんと学ぶ気があったんです。ちょっと嘘です、数学からは徹底して逃げました。

苦手から逃げた、という罪悪感はどこかにありつつも、
好きを「得意」まで伸ばそう、という前向きな思考は本当にありました。

ちなみに高校の定期テストって、数学は4点で、現国は98点を取ってました。100点満点です。もちろん数学も100点満点です。

得意なことが、「人並みよりでき」たもんだから、
人並みより苦手なことがあっても放置して、自己肯定感を高く生きてました。数学の先生には大変申し訳なく思います、今では。

数Cなんて、数Ⅲなんて、数学でゴハンを食べようという人以外、何の意味があるん?!
と思って生きてました。嘘です、数Aや数Ⅰの時点でそう思ってました。
数Cや数Ⅲは崇高すぎて今でも語れません。

2005年に社会人になってから、
正確には2008年に営業を始めてから、
ビジネススキルとして「ロジカルシンキング」なるものを学び、
「分析スキル」が自分に低すぎることに落ち込みました。
『そうか…中学高校レベルの数学は、論理的な思考を鍛えて、”伝わる”言葉を紡ぐために必要だったのか…!』と、
目から鱗を落としたがもう遅い(←必死になれば遅くはないが、もう苦手意識すぎて必死になれなかった)。

20年ぐらい前、私が半泣きで「算数できて電卓叩けたら生きていけるやん!なんで数学なんてせなアカンの!!」と親に聞いた際、
親は納得いく答えを教えてくれませんでした。
が、いつか我が子に同じ質問されたら、上記のことを答えようと思っています。伝わるかどうかは知らん…。

営業や顧客運営に支障が出ない範囲で論理的思考を何とかかんとか学び、
真面目に生きてきたんですが、
何となく上手くサポートできない顧客がいるし、
何となく分析パターンに当てはまらない売上の店舗があるんだよな…。

真面目に成功パターンをトレースしてるお店が低迷し、
天才なの無鉄砲なの紙一重なの、みたいなお店が常勝パターン。
コロナ禍に売上昨対オンし続ける無鉄砲オーナーたちマジですげぇな…?何か法則見つけたいんだけど全く読めないのよ、強いて言えば自分の仕事すっごい好きってぐらいで…。

そう思っていた矢先に冒頭の本を紹介してもらいました。
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?(山口周/光文社新書)

文章難しくて眠くなっちゃうんで、途中で放り投げましたが(おいコラ)、
論理的思考で導き出せる答えだけでは、どん詰まりが来る。
というようなことが書いてありました。
(論理的思考を放棄しろとは書いてありません!念のため。「だけ」ではもう古いかもよ、と言う感じでした)

どういうことかって言うと、
『論理的思考』『分析思考』の行きつく先は、『正答』を導き出すことが多いわけですよね。
でも、企業運営や店舗運営で1つ、1番目の企業が正答で成功してしまったら、マーケットとしてはレッドオーシャンになっちゃって、
同じ正答を使っても成功できない可能性が出てくるんですよね。

↑ めちゃくちゃ頭悪い説明でスイマセン…すげぇザックリ言いました。
詳しくは本そのものを読んで下さい、読める人。

そんな時、感覚で人々の「ニーズ」ではなく「ウォンツ」を探し当ててお金に換えられる思考、または作り出せる思考、新しい価値を世に生み出せる思考は、正答を探し当てる思考より強いんじゃね?これからの時代、そっちも勉強してないとダメじゃね?というお話。

↑(再掲)めちゃくちゃ頭悪い説明でスイマセン…すげぇザックリ言いました。
詳しくは本そのものを読んで下さい、読める人。

これがまた、まさに物質の時代から情報の時代へ、みたいな転換点にも沿った考え方ですよね。って思いました。
はい、私の話が「今」に戻ってきましたお帰りなさい。ただいま。

・ ・ ・

私は今でも数学的・論理的思考に苦手意識が強いですけれども、
アートなら得意よ!と気取ってみたところで所詮は趣味レベル。
感覚をお金に換えられる『価値』にできるか?と問われると、とっても不安な感じ。
ほう、それが時代の転換点か。と震える感じ。

それでも、
何か、今から営業に加えてマネジメントもしろとか言われたら、
部下の子に納得してもらえる営業スキルのお話とかしてあげられるかなぁ?!と思う不安に比べると、
何かゾクゾクというか、もしかして自分に向いた時代が来るんでは?!とワクワクもする感じ。

私の場合は身近に超絶賢い弟氏がいて、マジで腹の立つことに、
最近は若干、いやそれ私の事バカにしてるを通り越して、何か人間性否定してきてない?!というモノの言い方をされることがあるんですが、
あいつらの時代じゃない時代にもなるんじゃないか、とかザマ見ろ的な気持ちにもなってみたりして。

(だってあいつ、こないだ生まれて初めて「お前」呼ばわりしてきて私の事。絶句したし震えた。育て方間違ったんじゃないか親と私。いなくても良いんだけど妻になってくれる人いたらゴメンなさい、モラハラしたら全力で製造者責任で叱りますって思ったレベル。何なの何様?)

ま、弟が数字に強くて賢くて論理的なのは、それは弟の努力なんで、
お互い認め合って踏みにじらないで済むのが一番良いんですけど。
踏みにじられたら黙っていられないので、姉ではなく人として。

なんか最後話がそれましたね。
文章ぐらいはキレイに組み立てた方が良い気がしますね笑

言いたいことは、時代の話ですよ。
『土の時代(物質の時代)』が『風の時代(情報の時代)』に変わってどんな世の中になるのか、自分はどうありたいのか。と考えるにあたって、
論理思考、分析思考を飛び越えた発想の時代になるんじゃないか、
自分はその時代に自分の得意や好きをどう生かしていこうか、っていう。

せっかく、何だか、「好き」が生きてもよさそうな時代なんですもん。

こうやって書き出してみて思った。
私の10代って得意なことを知る旅で、
20代はできないことや苦手なことに気付く旅だったんじゃないか。
あれ?みんなそうか?

だとしたら30代は感性を磨きたいです、もう折り返してるけど。

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