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メンタルコーチング日記 慶應義塾大学女子ソフトボール部 〜1周目を終えて〜

メンタルコーチングを始めた.

対象は大学生女子の部員と男子コーチの5名.

ここに書くのはどういう話があったとか,そういう具体的なことではなくて,自分のコーチングスキルに関することだ.

彼女らの練習に参加したり,技術的指導をしたりということは何年か前(頻度が特に多くなったのは昨年夏頃)からである.その中で自分の立ち位置も探り探りやってきた部分はあり,いわゆる「指導者」という立場でいないようにしてきた.ただ今の2年生(新3年生)の代になって,人数も少なく,彼女らの「ソフトボールを上手くなりたい」という純粋な気持ちもあり,アドバイスしがち,指導しがちになってしまっていたことに気づいた.

ここで自分はもう一度,「引き」の立場,「第三者」的な立場を取り戻す,回復することにチャレンジしようと考えた.その取り組みが「メンタルコーチング」である.

やるたびに思う,「コーチングは難しい」.対話というのが一つの軸として考えられるが,そのための手段を意外と持ち合わせていないことを痛感する.

これまでも何度か同様のことをやろうとしたことはあったが,ここまでちゃんと各部員と時間をとってやるのは初めてのことだ.今まで指導はしていた彼女らだから,自分の先入観もあり,意外な言葉が飛び出てきたりする.

メンタルコーチングを始めたことで感じたひとつの大きな問題は,「メンタルコーチ」「ソフトボールコーチ」という2つの人格が自分の中に存在することである.

「メンタルコーチ」は基本的に主観を交えない.相手の話すことに耳を傾け,その中にある成長要素を自ら発見する手伝いをすることだと解釈している.それに対して「ソフトボールコーチ」としては,選手の知らない情報を提供したり,自らの知見を元に意見を言うことを望まれている.「ソフトボールコーチ」の人格に,「メンタルコーチ」的要素を加えることは良いコミュニケーションをうむきっかけになれるだろうが,逆は良い効果を産まないのだろうと予測している.

「メンタルコーチ」として接する以上は,こちらの意図のないコミュニケーション,「クリーンランゲージ」であることが重要だと考えている.つまり,「メンタルコーチ」と「ソフトボールコーチ」の人格を明確に分かつために,練習とは別に機会を設けて,「メンタルコーチング」を行うようにしたわけである.

昨日,スポーツメンタルコーチの勉強会に参加したばかりなので,その辺りも少し触れたいが,まず重要なのは安心安全な場を用意できるかということであると考えている.

言葉に話すことを,「正解として出力すること」だと,考えている人が中にはいる.ただそれだけが言葉を話すことではないと自分は考える.自分のかんがていることを言葉に出しながら,なんとなく自分の考えていることの概形にたどり着く,みたいなことも言葉を話すことの一部である.

そういう風にすると話が長くなったりとか,着地点が見つからなくなったりするので,話し方として難しくなるような部分もあるのかもしれないが,コーチングとしてはそれくらいごちゃごちゃしていることでも,言葉にしてくれた方が嬉しいし,そこにコーチングの価値があるのだろう.

そしてそのステージに導くには,安心安全な場であることは前提条件として必須であるし,完成した答えを聞きたいのではないということを,選手たちにも伝えていくことで,より良いコミュニケーションが作れるのではないかと自分に期待するところである.

最後に話の流れと全然関係のないコーチングでの感想を書いておくと,「本気で何かに取り組んでいる人の話を聞くのは面白い」ということだ.

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