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藍、揺蕩う。

やかましいな。ふと、そう思います。

何がだろう。
どこからだろう。

心の引っ掛かり。
日常の中、些細なことを流し、流れて、沈殿したものなのか。

珈琲のネルドリップやエスプレッソの残りのように、ポジティブな感情の搾りカスのようにネガティブな感情が残るのかよくわかりません。

過程はわからずとも答えのみがわかっている時、その過程の証明はめちゃくちゃにめんどくさいこともよくわかってます。

まあ、どうだっていいんです。

色々すっ飛ばして、やかましいな。って感情が出てくる時、
要は、想像の自分で話せれる時のそのギャップがうるさいな。って思うんです。

甲子園の高校球児を先輩だな。
と、思いながら見ていた時、それが同い年になり、年下になってもいつまでも画面越しの甲子園は大人っぽく見えてました。

ふと、高校生と話す時、こんなにも幼いのか。とフラットに思うことも増えました。

自分の想像の中の25歳はもっと大人でした。大人っぽく見えていました。

27歳のリアル。
最近はそんな一曲を一つの目安にしています。

日常の中、何が欲しいのか。
ざっくりとそんな曲です。

なんとなく、遠い先のこととして聴いていた曲がすぐそこにいること。

高校球児を先輩と思えていた時のようにまだ柔らかく考えれる猶予があります。

最近、やる気がなくなりました。
突発的なことでもあり、ある種の習慣めいたことでもあります。

心が折れているようでシンプルに体調が悪かっただけですが。
年に数回だけですが、思い切りダメになる時があります。心身ともにです。

多分、やりたいことが多すぎて心身の限界を余裕で無視してしまうからだとわかってます。

じゃあ、ブレーキをかければいいんだ。と思い、今年の目標は健康第一だったのですが、12月になってもう少しで逃げ切れたのに目標達成できずでした。

体調を労わろうと思い休んでいるとやたらと考えが浮かびます。

流石に、めちゃくちゃに体調悪い時に体調悪すぎて寝れなかったので天井を眺めてたらアイディアが湧いて来すぎてスマホでメモをとってたらより悪化したことは自戒の意味も込めて記録しておこうと思います。

実際はこんなものです。

何も良いことは多分、世の中的に見たらないです。
世の中の幸せそうの基準にもし仮に僕が見えても、実際に僕の生活をしたいのか。と聞かれたら割と誰もやりたくないだろうな。と思ったりもします。

でも、それ以外の生活が僕はできなかったです。
だから、現状、僕は幸せだと割と大きな声で叫べるくらいは幸せです。

ただ、最近思うことは、
世間の物差しの幸せの基準のものは何もないな。と思います。
それはそうです。その基準で積み上げてきてないからです。
これからはそう言うこともしていきたいです。

この前、高校の同級生で集まった時に、僕が来る前は過半数は結婚予定でした。

幼馴染の披露宴にも行きました。
今までずっと見てきたけど、今までで一番綺麗だったし、素敵な時間でした。
人は感情を纏うんだ。と改めて感じました。

本当は全部どうだって良いんです。

ただ、目の前の人間を大切にできる力が欲しい。

目の前の問題を解決できる力が欲しい。

大きなことを言いたい。なんて気持ちはとうになくなって、いつか戻ってくるかな。野心。なんて思ったりもしたけど、ただ、この手の中の日常を大切にしたいだけなのにそれすら叶わないのが理不尽でしょうがないと思ってしまいます。

僕が好きなことを思い切りやりたいだけなのに、それだけでは自分の半径5mの小さな世界さえも大切にできないことが多すぎる。

自分の好きなことに、自信を持って人を幸せにし続けることができる力があるって言えないことは惨めだな。
何か、理由をつけて一部の人を幸せにできるから何かを犠牲にしてもしょうがないよね。と、言い訳とそれっぽい雰囲気を作ることだけの経験値だけを積み上げた人間が大嫌いです。

ただ、そんな人間を否定できる要素が僕にはなにもないです。

僕は恵まれてます。

昔、付き合ってた人が40歳まで奨学金という借金があると言ってました。

正直、感覚が頭では理解できても奥底までは染みてこなかったです。

作り手という仕事を辞める僕より発想力も実力も覚悟もある人をたくさん見てきました。

くだらない世の中だな。
そう思います。

どれだけ主語を小さくしても、
本人に限りなく非が少ない場合に、そもそも頑張れる環境すらない場合、そんな環境下で希望を見いだせ。と造花のような言葉を語る人間が大嫌いです。

僕にも勿論、何も言う資格はないですが。

どんな環境にも希望はあります。
大切なのは比率です。

希望があることなんて分かりきってるんです。

逆に希望だけの環境もないです。
多分、簡素で複雑なことでしか成立してないです。全ては。

おかしな話ですね。

何が言いたいのか謎ですね。

全てを曝け出せなくても、自分自身、限りなく自然な状態で生きていきたいです。

かっこ悪いを。
カッコつけない。ダサいと思われても良いと思える勇気と覚悟が欲しいです。

結局は全部自分で選んだんです。
できない。
と言う選択を自分でしました。

想像をしても具現化しないように。
そもそも、想像すらできないことは絶対に具現化しないように。

想像できない。
と言う、自分を自分で想像したのです。
全ては自己責任なんです。本当は。恥ずかしい話です。

格好つけないだけのかっこよさが欲しいです。
お世辞を言わなくて良い自信が欲しいです。
お金に執着しなくて済むくらいの生産能力が欲しいです。
付加価値をつけれるくらいの価値が欲しいです。
価値がつけれないのであれば、これが価値だと言い切れるくらいの嘘をついても心が傷まないくらいの覚悟が欲しいです。
本音を言ったら相手が喜ばないかもしれない。と思った時のアクセルとブレーキが両方欲しいです。
結局は、身近な人を大切にできる力が欲しいです。
結局は傷つけることも傷つくこともできないから何も大切にできないのです。
結局は自分でできないって諦めたんんです。虚しいです。
できない。という選択をなんやかんやと理由をつけて自分でしたんです。自分でしたんです。

全ては利他です。

全ては愛だと思うのであれば、全てを愛することしかできないんです。

足掻き苦しむことを青春だと言った本を、
明け方が一番暗いと、それでいて一番綺麗だと言うのであれば、藍色の時期を過ごしてるのかもしれないです。
全ては綺麗だと言えなくても良いです。
大切なのは大切な人や物を大切のすると言う選択肢がこの手の中にあることです。まずは。

そんな、激流な中、日々生きている感覚があります。
でも、そんなことはどうでも良いのです。
激流だと思うから激流なんだと理解してます。

激流だと認識してしまう日々を、
激流だと認識しながら、深海のような冷たさと静かさに心を閑かにしながら、

怖くなってしまうくらいの激流の速度を等間隔の細波のように音を楽しみ穏やかになりたいです。

全てはイメージです。
それでいて、自分にできないこともできないまま纏って生きます。
これからは。

僕は僕だよ。そう言いたいのでこれからは言い続けていこうかな。
そう思ったよ。と言うお話しでした。

婉曲に言いましたが、
僕は昔付き合ってた人の40才までの借金を一括で払いたかったし、職人を辞めると言う自分より賢く悲しい選択をした友人を人生丸々雇用したかったです。

それができない、そんな夢すら思い描けない自分、カッコ悪いな。そんなお話しでした。救いはないです。自分で救えるくらいの実力をこの手の中に収めるまでは。





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