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in the morning -朝をはじめる5つの「かける」スイッチ- その1

気がつくと夜が更けている。どちらかというと、こんな時間!寝なくちゃ!と焦燥感で寝床に追い立てられ、夜明けとの追いかけっこが常。

寝落ちしちゃう…と残念そうに語る友人には、あぁ眠い、と自然と眠りにつくことの幸せさを全力で伝えたい、といつも思う。夜はいつまででも続くかのように眠気がこない私は、当たり前かもしれないが朝が弱い。今起きなければならないならいっそ、一息に殺してくれ、とまで思う日もあるほどだ。
死ぬ気で起き上がったのに、その体勢でそのまま寝ていたり、これでもかと気合いを入れてパジャマを脱いだのに、着替えと間違えてまたパジャマを着ていることもある。控えめに言っても、かなりひどい。

まあまあの低血圧だし、小学校だったか中学校だったか、もうその頃から健康診断で血圧を測るとき、午前の回だと数値が出ず、「午後またきてくれる?」と言われていたほどで、午後でも最低48/最高92とかを叩き出していた。周りの友人が皆そろって最高血圧が3桁なのをみた時は驚いた。私の弱々しいポンプが低い点数をつけられてしまったようで、なんだか悔しささえある。

でも、低血圧なんて関係ない、という説もあるし、小学1年生から電車通学で遠い学校に通っていた私は、なんだかんだ7時には電車に乗っていたわけで(もちろん母は相当起こすのに苦労していたようだが)、甘えてるだけなんじゃないか、と思うと自分がダメな人間なように見えてくる。でも、うん十年、四六時中付き合わなければならない自分に厳しくしていては身が持たないので、そんなダメな自分でもできるように甘やかすしかないのだ。いつまでも自分を若いと思って根性論なんかかざしても、くたびれた末の根負けが見えてる。三十路こじらせ女子なりの、朝の自分に鞭打たないスイッチの押し方を徒然なるまま書いてみる。

無理やりなところもあるのだけれど、「かける」というキーでまとめてみた。きっと、スイッチの入れ方は人それぞれで、三文の徳を十文にも十六文にもしているような玄人もいるだろうと思うけど、苦手な人もいると信じて。こんな私のような試みがヒントになる人もいることを願って。

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懐かしいイタリアの窓・・・!

朝をはじめる5つの「かける」スイッチ 

1.   声をかける -体だけでできる手早いアウトプットと受け手のいる幸せ感-
2.  音楽をかける -自分に合うテンポや音でgood vibesに体を揺らそう-
3.  火にかける -お湯の沸く音と珈琲の香りたるや!-
4.  香りをかける(まとう、垂らす、etc)-想起される景色に包まれる- 
5.  体を気にかける -目覚めのおすすめスムージーとストレッチなど-

なかなかのざっくり具合なのだけれど、この「かける」という言葉の汎用性に思わず拍手してしまう。私は裸眼がひどく悪いので、リモートワークが続く中コンタクトもしなくなり、実際のところは0番にメガネを「かける」がまずあるのだけど。。。笑

その後、階下に降りたところにいるペットのトカゲに声をかける。これが私の1日のスタート。

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フトアゴヒゲトカゲの露伴 (生後8ヶ月)

彼はだいたい、私より早く起きてガサゴソ…食い意地がすごいので、豆苗と格闘していることが多いのだが、未だに「どっドロボー!?」とハッと起きたりする笑

1.   声をかける
-体だけでできる手早いアウトプットと受け手のいる幸せ-

さておき、「声を出す」というのがそもそも、結構目覚めには大事な気がしている。昔からロングヒットで廃れない、"近しい関係登竜門(だと思ってる): モーニングコール" も、大事なのは電話の呼び出し音で目覚めることではなくて、その向こう側にいる誰かと話すことで、無理やり脳の扉を外の世界に向かって開け放つことなのではないかと思う。自分が発した言葉を自分の耳で聞くことで、なんだか自分という存在の実存すら、自然と確かめているのではという気さえする。

私の友人Yは、寝ている体勢から、まず上半身を起こすときに、「うわあああ〜!!」と言いながらガバッ!と起きるらしい。想像すると相当面白いのと、人と住んだときにその誰かさんが違う種類の「うわあっ」を発声することになりそうなのだけれど、効果的なのではないかとは思う。

そんなわけで、とにかく、なんでもいいのだが、「露伴、おはよう!晴れてよかったね!」とか「また食べてるの?!昨日よりおでぶ!」とか、Good news / Bad newsどっちでもよくて、可愛いと思っている何かに、精一杯愛情を込めて声をかけるのだ。私の場合は少なからず先方さんが反応をしてくれるので、なおさらありがたいものの、観葉植物でも、ぬいぐるみでも、なんだかかわいいな、と愛でている椅子とかでもいい。不思議と、相手は愛情を汲み取ってくれている気がしてくるはず。(観葉植物はよりよく育ちそうだし、椅子は… なんだか座りやすくなりそう!笑)

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お気に入りの志田さん(左・シダ植物)にもよく話しかけます

ここで朝の話とは脱線するのだが、「声を掛ける」つながりで面白いレッスンと実体験について話したい。

声をかけること、「かかる」「かかってない」がわかる不思議

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私は大学から上京し、瞬く間に「東京」に魅せられ片っ端から好奇心の赴くまま、奔走した。もちろん、宮城県のほど田舎にいた頃も、それなりに世界を切り拓きながら、多くのことに関わり、足を突っ込んできたけれど、学業以外は音楽がメインだったため、本格的に挑戦する機会がなかった「芝居」に挑戦してみたいと思った。

上京1年目の夏、大学に通いながら日曜だけ通える芝居の専門学校を見つけ、その半年分の学費を払うための新しいバイトも始めた。親には到底言えなかったので、バレないように、学費用のバイトの収入と学費の支出用だけの銀行口座も開設した。笑

さて、その芝居の稽古と言えば、本当に興味深く、自分自身への挑戦と人前で試されるヒリヒリする緊張感、表現を突き詰め、心と体と向き合うみずみずしい体験だった。その一つのレッスンで、「かける」レッスンがあった。

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手書きの絵でお恥ずかしいのだが、こんな感じで5-8人くらいが教室の端っこに並んで私に背を向けて立ち、私は反対端で誰か一人を決め、その人に向かって声を「かける」。皆並んでいるので、声がかかってくる方向などでは到底判断できない。もちろん名前など、その人だとわかるような言葉を発してはいけない。「ねえ!」「こっちみて!」と念を込めて、そのたった一人のその人に向かって声をかけ続け、並んでいる人たちは、「私にかけてるな」って思ったら、振り向くのだ。

やるまでは、こんなの絶対わかりっこない。と思っていたのだが、不思議とわかる。これはとても面白い体験だった。理由はわからないのだが、やはりただ声を「だす」だけでは届かなくて、「かける」という意識で全然違う。

先生は、「台詞はこうして、ちゃんと相手にかかっていなければならない」と言っていた。かかっていないと、本当には反応ができない、上部だけのものになると。

そんな気持ちで、私も毎日ひとりごとではなく、ペットに声をかけている。「かける」という言葉については、次回も別のお題で語ってみたいと思うのだけれど、相手なり状態なり、変化が起こる言葉なので、やはりかけるものが「声」という形のないものであっても、そのくらいのパワーがあるものなのだなと感じる。

では次回は2の「音楽をかける」で、朝にかけたい音楽たちを紹介していきます。それでは、またね。

おまけで、静かな夜に聴きたいナンバーを一つ、ご紹介。


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