「大事な何か」を失うということ。
今回はの話は、何かの理論に基づいた話でもなければ、コーチングに関する学びや教訓も一切ありません。
また、人によっては読むのが辛いとか、反発したくなる気持ちが湧いてくるかもしれません。そのような場合は一度、この記事を閉じていただけたら幸いです。
❚~2019年2月
今から2年前、高校時代の親友Aが急逝したとの連絡が入った。
訃報をもらう1ヶ月前まで、いつも通り連絡を取り合っていたこともあり、あまりに突然のことで混乱した。
思い返せば、
高校時代のほぼ全ての思い出にAがいた。
Aとは地元が違うため、高校からの付き合いだった。
1年生のクラスが同じで、最初の座席配置では、Aは私の2つ後ろの席にいた。Aは声が大きく、挙動も滑稽で「変わったやつだな〜」という印象だった。正直、クセが強い彼とはあまり関わりたくないと思っていた。
しかし、
話してみたらすごく繊細な面も見えてきて、気づいたら学校の授業中、休憩時間中、昼ごはん、学校が終わったあと、休日など、タイミングが合えばいつも一緒にいた。
また、Aは毎晩のように電話してきたので、学校+1時間くらい毎日のように話していた。私はAに「うちら恋人じゃないんだから、電話の頻度すこし減らさね?」と伝えたこともあったが「寂しいこと言うなよ!」と言われ逆に頻度が増えた(実際、話題は尽きず、いつも会話は盛り上がっていたし、私も正直、楽しんでいた)。
そして、あらゆる話をした。
アルバイト先に新しく入ってきた可愛い女の子の話(男子校だったので、女子トークは盛り上がった)、共通の趣味である音楽の話、お互いの家族の話、お互いの地元の交友関係、将来に対する悩みや夢、中学校までに経験した辛い体験、嬉しかったことなど、ありとあらゆることを話した。
また、些細なことで言い争いになったこともあったし、夜な夜な集まって将来の夢について語り合ったりもした。
3年間、同じクラスだったので文字通りずっと一緒にいた。
困ったときには助け合ったし「大坂谷が困ったときにはいつでも駆けつける」と言ってくれた。逆に「Aが困ったときには俺が本気で助ける」と伝えていた。
実際、私が交友関係で悩んでいると相談したら、(合法的に)鉄拳制裁を加えてくれた(話し合いではなく、力で証明するのが男子高流だった。たぶん)。
逆に私も、Aがネット上で誹謗中傷を受けて憔悴していたとき、あの手この手で犯人を特定し、直接呼び出して、熱血指導をしたこともあった(今の自分じゃとても考えられないけど、いい思い出)
ここに思い出の全てを書き出したら、本1冊分は余裕で書けるくらいの量がある(むしろ、1冊じゃ全然足りないし、彼との思い出を文章でまとめたいとも思わない)。
高校卒業の間際、
担任のK先生が、私とAに言ってくれたことも未だに心のなかに残っている。
こう言われた。
その時は「へー」くらいだったが、大学に入学してから腹落ちした(ただ、どうしてK先生がAと私にそんなことを伝えようとしたのかは未だに分からない)。
❚大学〜社会人
大学では、サークル活動やアルバイトに励むので、そのコミュニティ内での時間が多くなる。同じく、小・中学校の友人たちも、地元は一緒なので何かと会う機会は多い。
一方で高校は、物理的に中途半端な距離があるため、集まろうにも集まりにくかったりする。
そんな中、Aとは大学は別々だったけど、進学後も定期的に連絡をとり、仲良くしていた。
一緒にライブを観に行ったり、格闘技の試合を観に行ったり、飲みに行ったり、泊まりに行ったりと、高校時代には見えなかった一面も見れるようになり、関係性はどんどん深まっていったように思う。
社会人になってからは連絡をとる頻度は下がったが、それでも連絡は取り続けていた。たまーに連絡がきては飲みに行き、今の仕事でやっていること、やりがい、愚痴や不満、将来の目標や夢などを共有しあっていた。
他にも、彼が長く付き合っていたパートナーとの話も経過から何から何まで話してくれた。婚約したと聴いた時には、自分のことのように心から喜んだ。
彼は、瞬発力があるし決断力も行動力があるので、仕事の話やプライベートの話を聴いてはいつも刺激をもらっていた。
2019年1月にも「近々、飲みに行こう」とLINEをしていた。
❚2019年2月~
2019年2月。
「Aが亡くなった」と訃報が入った。
信じたくなかったし、実際、本当に信じられなかった。混乱していたため悲しみという感情も出てこず、冷静にお悔やみの言葉を伝えた。
どうして良いかわからず、AとのLINEでのやりとりを、何度も何度もスクロールしながらぼーっと眺めていた。そして、Aの使っていたSNSのアカウントを開き、タイムラインを何度も何度もスクロールした。Googleで、Aの名前も検索したりもした(「誤報だった」という情報を期待していたのかもしれない)
「気持ちを落ち着けよう」と思いシャワーに入った。
すると、急に気持ちが溢れてきて涙が止まらなくなった。頭にシャワーを当てながら泣いていたので、どれくらいの涙が出たのかも分からない。立っているのがやっとという感じで、肌に当たるシャワーの水圧がいつもよりも強く感じた。
それから数日間、、、
Aが好きだった音楽を聴きながら過ごした。
家族葬で葬儀には立ち会えなかったため、尚の事、亡くなったことを受け入れるのが難しかった。
このため、
変な挙動と大きな声で「おい!大坂谷、元気かよ!?」とか言いながら、Aがひょっこり出てくるんじゃないかと、どこかで思っていた。
それから少しして、お墓参りにいった。
墓石に刻まれたAの名前を見て、Aの死を“頭では”理解した。
「本当に死んじゃったんだ。もういないんだ」と。
でも、不思議なことに、まだどこかにいる感じがしていた(ホラーとかスピルチュアルな話ではなく)。
だからこそ「この感覚はどこからくるんだろう」とずっと考えていた。
この感覚は「どこかで生きていてほしい」という願いでもなければ「天国で幸せに」という祈りとは少し違う。
(もしかしたらドライに聞こえるかもしれないが、死に正面から向き合うことが弔いになると信じているため、このような表現をしています)。
❚失うもの、残るもの
どうして大切な人をなくすとこんなにも悲しみや喪失感が湧き出てくるのだろうと考えた。
それは自分自身のパーソナリティ(人格やキャラのようなもの)の一部も失うような感覚があるからだと思った。
例えば、
母と接するときは「息子」になる。
兄と接するときは「弟」になる。
弟と接するときは「兄」になる。
小学校の友人Oと接するときは「小学校のOといるときの自分」になる。
中学校の友人Yと接するときは「中学校のYといるときの自分」になる。
初対面の人と接するときは「よそ行きの自分」になる。
それぞれの関係性によって、パーソナリティが存在する(これは別の人格とかではなく、相互に関係し合っているのだと思う)。
そして、
その特定の人と過ごした時間や一緒に作ってきた思い出が、自分のなかで「特別で大事なパーソナリティ」になっていくのだと思う。
だからこそ、
親しい人を失うと、この「大事なパーソナリティ」も一緒に失ったように感じる。このため「自分の一部を失ったような感覚」と表現されることもあるのかもしれない。
確かに、その人と接してきたパーソナリティが表に出てくる機会は減るかもしれない。
しかし、
それが「自分の一部を失った」という事と、イコールにはならないと私は思う。
なぜなら、Aはこの世からいなくなったかもしれないけれど、Aと接していた自分自身は、確かに今ここに存在しているし生きている。
Aと一緒に、笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだりしてきた自分は、確かに今ここに存在している。私が生き続けている限り、存在し続ける。
Aと一緒に大騒ぎしていたときの自分自身をありありと思い出せるし、再現することだってできる。Aが気合いを入れる時にいつも言っていた口癖は、今の私の口癖でもある。
Aが「これは本当にオススメだから」と、しつこく勧めてくれた趣味も、今の私のライフスタイルの一部になっている。
確かにAのアイデンティティは、私のなかに今も息づいている。
「彼の分も背負って生きる」なんて言葉を言えたらいいけど、自分のことで精一杯なので言い切れる自信はない。
しかし、彼から受け継いだ素晴らしきことの数々は、私という一人の人間を介してこれからも世の中に届いていくのだと思うし、そう願っている。
ここまで書いたことは、頭で理解したこと。
やはり思い返すと寂しいし、悲しくもなる。
でも、この感情をなくしたいとか遠ざけたいとは思わない。この感情は、Aが確かに存在したことの証明であり、Aと一緒にいた時の自分(パーソナリティ)が今も自分のなかに存在していることの証でもあると思うから。
だから、何かしようとは思わない。
ただただ、いま自分のなかで起きていることを正面から受け止めようと思う。
完全に私ごとでしたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
あなたがここまで読んでくださり、何かを受け取ってくださったのであれば、Aの人生の歩みと、Aと出会えた私の人生の歩みを、より良いものにできる気がします。
❚綴ったきっかけ
実は、今回の内容をnoteで書き始めたのは、2019年の4月でした。
何度も途中まで書いては、投稿せずに削除していました。
しかし今日、たまたま友人からシェアしてもらった動画を観て、今一度、向き合いたくなりました。その動画は「The X Factor」というオーディション番組。
その出演者が2年前に亡くした友人を想い、それを歌で表現しているのを見て、自分が向き合う後押しになりました。
改めてここまでお読みいただきありがとうございます。
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