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チェリまほ THE MOVIE ― アレはシレッとああなっていたけど、ひたむきにソレへと進んでいく物語だった

好きだけど、正直なところ、最終回には何かモヤッとしたものを感じていた、ドラマ版『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(チェリまほ)。

ドラマ終了から1年くらい経って、映画が制作されるという発表には驚いたけど、安達の魔法がまだ使える設定になっていると知って、さらにのけぞった私。

――ドラマの最終回で、安達、魔法使いじゃなくなったって言ってなかったっけ? そこからどうやってまた魔法使いに…?

そこに納得性のある理由付けがされていないと、映画を見てもまたモヤモヤしそうだなぁ……

と、楽しみにしつつも半ば恐る恐る、という気持ちを抱えて見に行った『チェリまほ THE MOVIE ~30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい~』だけど。

――ドラマの最終回の、魔法使いじゃなくなった設定は、なかったことになってました……!!!!!

映画の冒頭、ドラマをサッと振り返るなかで、あの最終回の屋上のシーンから黒沢の部屋のベッドに場面が移るのだけど、そこから映画のストーリーが始まった感じ。

特に説明がされているわけでもなく、シレッと安達は魔法使い設定でストーリーが展開していったのでした。

なんでしょう……観客の想像や憶測に委ねるこの感じ――確かにいろいろ理由を付けたり説明したりしたところで、みんなが納得できるとも限らないから、あれは最善の解なのかもしれないけれど。

あまりにもシレッとフワッと展開していったので、「お、おう……」てな気持ちになったのでした。

ある意味、力技でねじ伏せられたような感じもしないでもない――。

とはいえ、では見終わってモヤッとしたかというと、そんなことはありません。むしろ、じんわりとした満足感を感じて映画館を出られたほど。

この映画版チェリまほは、安達と黒沢の、結婚へと一直線に進む物語でした。

いや、結婚に向けて、二人の関係をオープンにすることを目指していく物語だったというべきか。

「二人の関係を公にしていないと、お互いに何かあった時に、家族や勤め先には連絡が行っても、恋人には連絡が来ない」という、現実でもよく耳にする切実な問題や

「家族に、同性の恋人を紹介して結婚の許しを乞う」≒「自分はゲイだとカミングアウトする」という緊張を孕むシチュエーションが、丁寧に丁寧に描かれていて、だからこそ見終わった後に、じわーっとほんわりとした気持ちになったのだと思います。

――ドラマ最終回の駆け足展開とは大違いだよ……!

ちなみにサブカプの柘植と湊は、「一緒にいたいから」という理由で、二人で一緒に暮らす決断をします。これも、もしかしたら「結婚」的な関係を示唆しているのかも。

というわけで、”BL”というより”LGBTQ”に寄り添った作品を見たような感覚にもなりました。


映画を見た後、チェリまほで町田くん推しになった友人と映画についていろいろ話したのですが、どういうわけか”ツッコミどころ”の話で盛り上がったので、ちょっと記録しておきます。

それがチェリまほスタイルなのかも!?

映画版ではキスシーンくらいはあるのかしら、と思っていた私たち。

いや、ありました。ありましたが……

「してるんだかしてないんだかハッキリ分からない」アングルだったんだ……!

いや、キスシーンを見たいというわけではないのです(見たくないわけでもないけど)。ドラマのラスト、エレベーターが閉まったおかげで、「キス……したよねきっと? したんじゃ……ないかな!?」と、周囲をざわつかせていたので、映画ではドラマのような仄めかし演出ではないのでは……と予想していたのです。

しかし、結果は先述のとおり。

「しかもさー、また二人とも、白シャツ来てたよね、朝、ベッドの中で」

と、苦笑する友人。そう、恐らくそういうことのあった朝、安達と黒沢は寄り添って目覚めるのだけど、しっかり白Tシャツを着ていたのです……ドラマでの最終回と同じように。

もうここまでくると、キスも、首から下の肌色も、断固として見せないのがチェリまほ路線なんだろうねきっとね! という結論に友人と落ち着いたのでした。

でもキスシーンはしっかり見せてくれてもよかったんじゃ……(やはり見たかったのでは)

黒沢の料理が本格的すぎて逆に笑いたくなる

「チキンラーメン食べる?」と言って出てきたラーメンが、おなじみのあの手軽なインスタントラーメンではなく、お店で出てくるようなラーメンだったり、大晦日の蕎麦がどうやら手打ちだったり、長崎で作った朝食がやたら豪華だったりと、黒沢の料理は「え、まじで!?」と心の中で突っ込んだほど本格的。

友人も「そこまでする!? って思った〜!」と笑っていたけど、まあ、安達のために力を入れて作ってるんですものね。

そういえばドラマでの、プレゼン後のおつかれディナーも凝ってたし、原作でも黒沢はサプライズ好きだし、映画の中のすごすぎる料理は、安達を好きすぎて逆にトンチキムードを醸し出している黒沢のキャラクターをよく表しているのかもしれません。

安達の転勤は”長期出張”とか”出向”なのでは……?

「ちょっと思ったんだけどさ、安達の長崎への転勤って、あれって”転勤”なのかな……? 8ヶ月だけとかだったら出張とか出向じゃないのかね……?」

という友人の疑問は、私もかねがね感じてはいました。確実に本社に戻ってくるってわかってましたしね。

まあ、会社によって定義とか扱いとか違うってことですかね。

同居は黒沢の部屋の方がよかったのでは問題

安達が長崎から帰ってきて一緒に暮らし始めた二人。

――でもさ……どうして安達の部屋で暮らすことにしたの……?

もちろん、その理由は黒沢がしっかりと話していたけれども、「黒沢の部屋の方が確実に広いし二人で暮らしやすそうだよね」と、友人とうなずきあったことでした。なお、原作では黒沢の部屋で同居している模様。

二人の関係を認める家族が素敵

お互いに大切な人だと家族にも話しておきたい――との思いから、双方の実家に挨拶に行く安達と黒沢。

安達の家では、驚きの後にあたたかく祝われ、黒沢の家では、息子を心配するゆえの屈託が無事に解け、祝福の言葉が送られました。

黒沢の母親は安達を前にして、自分の懸念や不安を話していましたが、それでも安達家、黒沢家はどちらもわりとすんなりと、二人の関係を認めて受け入れた感じ。

「あんなにすんなり受け入れてくれたらさー、世の同性カップルは苦労しなくていいのにねぇ!」とは友人の言葉。本当にそのとおり。

ついでにいうと、結婚式のシーンで、藤崎さんや六角ばかりか、浦部さんや上司までもお祝いしていて、これが当たり前になるといいなぁと思ったことでした。

そういえば、安達の実家で真っ先に祝福の言葉を送ったのは母親でした。どちらの家も父親より母親の承認や理解がカギ、みたいな感じになっていますね。

黒沢と安達のスタイリングがステキ

映画版では、どのキャストもドラマ以上に役に馴染んでいる感じがして、それは「きのう何食べた?」の映画版でも感じたことなのだけど、一度演じている役だからなのかな? などと友人と話していたのですが。

「もうさー! 黒沢の衣装、どれもカッコよくなかった〜!?」と、大興奮していた町田くん推しの友人。

確かにカッコよかったけど、もっといえば黒沢だけでなく、安達のスタイリングも素敵でした。考えてみれば、二人がスーツ以外の服を着ているシーンが多いのは、映画版ならではなのかも。

いえ、スーツ姿ももちろんステキでしたとも。特に、安達を心配して長崎に駆けつけた、雨に濡れた黒沢、もとい町田くんの色気は凄まじかったな……!

ちなみに友人のイチオシ黒沢スタイリングは、安達の実家に行くときのもの、私のイチオシ黒沢&安達スタイリングは、黒沢の実家に行くときのものでございます。

「魔法の利用」はやりたい演出だったんだろうなと邪推

シレッとフワッと、ドラマ版の”魔法使いじゃなくなったエンディング”はなかたことになっていた映画版では、安達の魔法を利用して、安達に触れてコミュニケーションを取る黒沢と、それに戸惑う安達の様子がコミカルに描かれていましたが。

――これ、演出でやってみたかったんだろうなぁ……

と、見ながら思いました。だって可笑しいもの、シチュエーションが。

心の声がわかる人にワザと触れて、自分の言いたいことを物言わずして伝えるという状況もさることながら、それを真面目で内向的な安達と、安達にゾッコンで思いが伝わり浮かれている黒沢、という組み合わせで見る、なんともいえない可笑しみ。

原作でもこのシチュエーションは描かれていたけど、やはり読みながら笑っちゃったもんね。きっと映画制作スタッフの誰か一人くらいは、原作のあの可笑しさを映画でもやりたいと思ったんじゃないかなぁ……。

――と、友人とうなずきあったのでした。

ところで、映画の中で、安達が魔法の力で黒沢の声を聞くのは、本当に最初のあたりまで。

転勤直前、安達が黒沢の心の声を聞こうとしたけれども未遂に終わったし、安達の魔法は、その後の二人の関係を前進させるフックにはなっていたと思うけど、復活(ではないんでしょうけど)していたわりには、それほどストーリーに関わる重要な設定ではなかったなぁという印象。

やはり、『チェリまほ THE MOVIE』は、安達と黒沢の、結婚へとまっすぐに進む物語でした――あ、でもあの結婚式、"本当に"行われたのかしら……という疑問を、実は私、密かに持っているのです。

なぜなら、ラスト、安達と黒澤が手をつないで歩くシーンの表情が厳しく、これから何かに立ち向かっていくかのように見えたから。

もしかしたら、同性婚が認められるように戦っていこう――という二人の決意というか意志を表してるのかな……などと深読みしたりしているのでした。

映画公開直後に配布されていたポストカード。実は結構早く見ていた……(結局2回見た)


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