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つのつの放送局、感想戦200412


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犀の角の荒井洋文さん、場作りネットの元島生さんとインターネット配信はじめました。

■つのつの放送局
長野県上田市の劇場ゲストハウス犀の角でお送りする、トーク番組。
いくつもの物語が交錯してきた場所で、新たな物語を模索する1時間。

で、こちらが第1回の様子。

視聴は300円。

ぼくは今回、「はがき職人」として参加しました。「しゃむしゃむ」です。

どのくらいの頻度で行えるのかわからないけど、今回はお試し、実験版。ぼくが都合で参加できなかったので、質問をはがきで送り、それからテーマを拾って話していただきました。さらに配信時間もリアルタイムでは視聴することができず、どんな内容になるかわからないまま、はがきを書き、どんな内容になったのかもわからないまま視聴して、今、この感想を書いています。

視聴を終え、感想として最初に思ったのは、「はがき」って読まれると嬉しい。です。自分しか送ってないし、読まれるのわかっていても、嬉しいものなのですね。なんだか新鮮。

視聴を通して全体の感想は、「はがき」の質問はあくまでもきっかけで、例えば、荒井さんから犀の角の経営的な現状からこのタイミングで夜の営業時間中にたまたま人が演奏することが連続的に起こっている話題、そしてそこから「第6感劇場」についての話題につながっていく(22:00ごろ〜)。その感じが、わ!ラジオ!!と感じました。

今回、5通送って2通読まれてました。読まれましたっていうのも変ですが。。。2通目として「スピード」についての質問も読んでいただきました。荒井さんは、ぼくにも感想を求めていただきましたが、放送の中では(38:00ごろ〜)で恋愛の話題から距離と感性話題の中で先取りして触れられていたなと感じました。はがきにした質問をぼくは忘れてしまっているので(笑)、自分の中で同一性がこんなにも脆弱なんだというフィードバックが新鮮でした。

改めて「はがき」と「メール」や「チャット」の違いとして、「自分の言葉」が手元に残るか残らないかということの違いがあるんだなと感じました。メールとチャットでも発信と着信のリアルタイム性のタイムラグによって伝わる意味合いが出てくること思うのですが、手紙は(コピーするという別の作業を介さなければ)手元に自分の文字としての言葉は残りません。残るのは自分の意思だけ。または何度も書き直したり筆圧をかけたりというする疲労感など、行為をしたという記憶を残していきます。逆に、メールやチャット、SNSは自分の言葉の確認(発信)と同時に相手もその言葉を発見(受診)してしまう。だから、現代のリアルタイム性は「身体性がない」のではなくて「反射」反応によって身体性を駆動していないような感覚が強いではないのかなと感じました。

番組の中でぼくの質問に対して「武捨さんの〜」とあった、この新型コロナ感染症やこの社会状況についての「スピード」に関し直感的に受けている感覚について。反射運動として感じづらかった現代のコミュニケーションツールで使っている身体性が、見えないウイルスによって自覚的になったんだと、2人の話を聴き感じました。そしてウイルスの感染拡大や情報の伝達のスピードによって、身体がさらされているのは、両方とも「不安」であり、スピードが早いことに対して人は恐怖を感じやすいのだと思いました。スピードで言えば、少し前から気になっていたことがあります。東洋医学や民間療法は、効果の是非はここでは置いておくとして、強く支持されている理由のひとつに「スピード」関係している思っています。例えば、医師から処方される薬も漢方が一般的になったり、また芸能人や有名人が末期がんの治療として民間療法を選択することも、治療に対するスピードのコントロールを試みているという意味で共通しているように思います。前者は「持続的につかうことでゆっくりと身体への負担を減らし整える」ために漢方が処方され、後者は「コントロールできない迫りくる病状に対して、最大限尊重された意思を介在させる」ことをそれぞに求めているんだと思います。特に後者は直線的なスピードに意思の杭を打ち、体感としてのスピードを殺し、アーチを抱くように柔らかく自ら着地しようとする意思の拠り所としてそれを人は選択しているんじゃないかとぼくは感じています。『急に具合が悪くなる』(著者:磯野真穂、 宮野真生子,晶文社,2019,)の「ラインをえがく」という話題があり、そこで著者同士の往復で交わされている覚悟というのは、そのスピードに対する杭を打ち込むようなことなのかなと思ったりしました。(この書籍ができるまでに交わされたメールでの往復書簡、以外に実はLINEでのやりとりがかなりこの書籍を構成するための2人の関係性を構築していることは、また別の意味で対比的で面白い。)


もちろん「エビデンス」のない医療行為は両手を上げるように肯定はできませんが、しかし西洋や科学的な医学が回収できない人の心というものがあるのも事実です。特に障害福祉において、どんなに正しいエビデンスに基づく支援だろうと効果が薄くむしろ人を「対象」として切り離してしまう危険性がある場合もあります。しかし同時に民間療法は閉じたコミュニティやカルト的な支援も生まれやすく、この問題はなかなかオープンに議論できないところもありますが、それはまた別の機会に質問しようかしら。

主催者として、はがきを送る、タイムラグのある視聴、そしてその後に書いているこの感想まで、をセットして企画の構成についての感想。1つは、個人的には、はがき職人やアシスタントの立場が自分は合っているんだと感じました。この役割を希望したいなと。2人で話していくぐらいが話しの密度的に丁度良く。3人パーソナリティだと少し話題が浅くなってしまいそうだなと思いました。ただ毎回はがき職人が不参加ではなく、画面に映らずパーソナリティとカメラの向こう側から向き合う形で、視聴者が覗いている側にいるような感じではどうでしょう。あと画的に三蜜になってしまうのも今は避けたいです。ラジオで言えば、パーソナリティの遠くで聴こえる笑い声の人、みたいな役割をしたいなと思いました。つまり、元島さんが司会、荒井さんがコメンテーター、ぼくは「はがき職人=構成」になってしまいますが、そういうイメージです。たぶん、ぼくは話す内容よりも構成したい欲求が強いのだと感じています。で、たまに振られたら画面外から声がするみたいな。

あと、毎回番外編も「反省回」を撮影したらどうでしょ?

今回、つのつの放送局内で話題に出た作品。

放送内で話題に出た福岡伸一さんの記事。



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