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ファンタジスタ・ライフ


「こんなものか」

邪神はつまらなさそうにそう言い放つと、そこから腕を思い切り引き抜いた。赤い飛沫が飛び散り、地面の黒々とした深淵と深く混ざりあった。首領竜ゴルファンタジスタは、べちゃりと音を立ててうつ伏せに倒れ込む。彼の胸には剛流振のゴールのようにぽっかりと空いた穴が開いており、邪神がその生命をホールインワンで葬ったことを示していた。ゴルファンタジスタは邪神の足元に手を伸ばそうとするが、力を使い果たした今、スノーフェアリーの赤ん坊ほどの気力も湧いてこない。地に伏した巨体を中心に、鮮血は丸く、美しく広がっていく。深淵のリングに、勝者と敗者が1人ずつ。観客席も観戦者も消え去って無秩序なガレキの一部と化し、それ以外の部分はただ洞々たる闇ばかりだった。
突然深淵に邪招待され、左腕を失いながらも邪闘シスを打破したが、奮闘は文字通り邪神の足元にも及ぶことはなかった。全霊の「回転」も決死の努力も無意味に終わり、ただ深淵に吸い込まれるのみ。やがて意識すらも消え始めていた。しかし、動かない体と薄れゆく意識と裏腹に、頭の「回転」だけは恐ろしく速くなってゆく。次々に昔の光景が脳裏をよぎっていく。

剛流振場。クラブハウス。豊かな自然溢れる日常。

『……スタ様!』

声まで聞こえてきた。これが走馬灯か、とゴルファンタジスタは思う。
今際の際に、彼はゴルフコースの木々の匂いと、あるスノーフェアリーの声援の中にある記憶へ、少しばかり身を委ねた。

……

「…ここか」

若き日のゴルファンタジスタは大地を踏み締めた。澄み渡る青い空とのんきに漂う白い雲。これ以上ない晴れ模様であり、大きく深呼吸すれば大気のマナが全身に満ちる。最高の剛流振日和りだ。爽やかな風が体表を心地よくくすぐる。だがそんな世界とは裏腹に、彼の表情は硬く曇っていた。
中継では画面に彼の背中を映し、自然文明中に放送していた。至るところにいるジャイアントたちは画面に釘付けになるが、視線は彼の背中には向いていない。その先に映る、ゴルファンタジスタがちっぽけに見えるほどの巨龍、エターナルグリーンの体がうねり、空を埋め尽くして大地を砕いた。
「剛流振」最終試験、ここまでで生存者はゴルファンタジスタただ1人。目の前に鎮座するのは18番目、ラウンドナンバーズ最後のコース龍エターナルグリーン。未だかつてクリアした者はおらず、生きて帰って来た者すら僅か。これは、ゴルファンタジスタが首領として認められるか否かが判定される試練だった。

ゴルファンタジスタが地面を軽く蹴ると、一度加えられた力が何十回と「回転」し増幅され、体が軽々と飛んでいった。エターナルグリーンのコース上に着地すると、衝撃でその尻尾部分がずんっと音を立てて沈んだ。中継はその姿を追うが、鬱蒼としげるグリーンの、フィオナの森の大木のような高さの芝に紛れて見つけきれない。上空から見れば平たい大地のように見えるエターナルグリーンだが、そのグリーンの規模は文字通りスケールが違う。地方の伝説上の巨鳥ディルガベジータも、このスケールの前には黙るだろう…と言われていたりいなかったり。
ゴルファンタジスタは愛用の剛流振ボールをなんの気なしに上へ投げる。あまりの「回転」にボールは空中で静止した。やがて重力に従って落ち、手の中に戻るとボールは大気のマナを吸い込んで丁度いい心地がした。
ついで、巨大なストラトバッグから剛流振クラブを1本引き抜く。ブーストドライバーなんてちゃちな得物は使わない。ドライバー職人、式神オーダーメイドに要求したのは「回転」に耐えうる圧倒的な強度。これはそれのみに特化した特注品だ。
いつものように、目を閉じて1発素振りを行う。…微かに、切先がブレた。それでも風圧で芝が一気に倒れ込み、呼応してエターナルグリーンが雄叫びをあげた。そして…。

「きゃああああ!」

可憐な悲鳴が一つ、コース中にこだました。
さっと上を見ると、空高く金髪の少女が打ち上げられている。

「…ファー!?」

訳の分からない状況に思わず声が出て、次の瞬間彼は少女を空中でキャッチしていた。

「あっ…ゴルファンタジスタ様!」
「…お前は…」

風圧が収まった芝に再び着地。ゴルファンタジスタは呆れ顔になる。その少女の姿には覚えがあった。すらっとしたスポーツウェアに身を包み、信じられない量の金髪をロールにしている。難関コースに挑戦する時もそうでない時もまとわりついてくる厄介な追っかけ。彼女の名はアカネといった。

……

「という訳で!バッグの中に忍び込んでクラブにしがみついてたらゴルファンタジスタ様がびゅーん!と…」
「ファー!バカかお前は!」

お転婆娘の金髪頭をスパンと軽く叩いた。

「オービーメイカーの時もそんな感じだっただろ!今日は大事な日なんだ、小娘は帰んな!」
「むっ…小娘じゃなくてアカネです!それに…」

途端に、エターナルグリーンの体がまた大きく蠢いて、哀れな小娘は再び宙に放り出されそうになった。間一髪ゴルファンタジスタがその手を掴み、なんとか事なきを得る。

「無理ですよ帰るのなんて!あっ、ゴルファンタジスタ様が手伝ってくれたら…」
「一度挑戦したコースを途中で降りる首領がいるか?」
「はっ…確かに!さすがゴルファンタジスタ様!」

とはいえ、1人で帰らせる訳にはいかない。ファンを見殺しにする首領はもっと許されないからだ。ゴルファンタジスタは渋々、さっさとエターナルグリーンをクリアして小娘と一緒に帰ることに決めた。
クラブのヘッドをまっすぐ地面に突き立て、意識を張り巡らせる。

「ゴルファンタジスタ様ー?」
「黙れ!集中してるからな!」

しばらく経つと、辺りに漂うマナの奔流が視界に浮かんで来た。クラブを握る手に力を込めると、マナの流れが「回転」しはじめ、クラブを中心に集約し始める。

「きゃー!」

騒がしい悲鳴がまた耳に届き、首領候補は明らかに不機嫌に眉をひそめた。

「今度は何だ!?」
「こ…これ…」

アカネが腰を抜かしながら指さす方を見ると、眉間はますますシワが深くなった。

巨大な生物の頭骨が、芝の中に紛れていた。ぽっかりと空になった双眸の奥の暗闇は闇文明、ゼナークたちのすみかを想起させた。骨の周りには濃厚なマナが纏わりついている。

「…エターナルグリーンはPar Life。そうそうクリアできるもんじゃない。OBを出して死んだ、どこかのジャイアントのものだろうな」

ここでOBを出してしまえば、ダン・ディランというガイア・コマンドのクリーチャーに体を貪られる運命にある。そうして死んで大地に還ったマナは、エターナルグリーンをより活性化させる。誰かがコースをクリアしない限り、マナは解放も許されずずっと十八番龍の体内に留まり続けるのだ。「霊魂と怨念のドライバー」という、ここから漏れ出すマナを利用した悪趣味な品があるほど強烈なマナの海。このコースは生まれてこの方ホールインワンしかしてこなかったゴルファンタジスタでも、やすやすとクリアできる自信が無かった。

「…小娘。さっさとクリアしてこんな場所出ちまおう」
「…う~ん…」
「何だ?俺の顔に何かついてるのか?」

アカネは思案と想起の混じった顔でゴルファンタジスタを見つめていた。

「…いえ、さっき私を打ち上げたスイングがブレていたじゃないですか。それにあの頭蓋骨を見た瞬間、お体に集うマナがすごく乱れていたし。不安なのかな~…って。いや考えすぎでした。大丈夫ですよね、ゴルファンタジスタ様なら!」

突然、押し黙った。表情が一気に固まる。周囲のマナの重みが増したように思えて、アカネは背をびくっと震わせた。妙に勘の鋭い娘だな、とゴルファンタジスタは思う。

「ゴ、ゴルファンタジスタ様…?」
「……考えすぎじゃねぇよ」

明後日の方を向いて、彼は答えた。

「…特別記念に話してやる。俺の昔の話だ」

……

幼少から俺はホールインワンばかり出していて、まさに飛ぶファイアー・バードを落とす勢いだった。中でも配給の超人の記録的剛球を遥かに凌駕するヒットでホールインワンしたのは痛快だった。俺の周りにはいつもジャイアントが集まり、持て囃されていた…。そんなごろつきの中にも、中々悪く無いヤツがいた。グランドスラム・スコーピオンの内1体。グランドスラム・スコーピオンはその身にコースを持つほど巨大でありながら、自らも剛流振をたしなむジャイアント・インセクトだ。そんな中でも一際大きなヤツのコースをホールインワンしたら、いたく気に入られた。たまに一緒にコースを回ることもあった。俺ほどじゃないが、中々良い「回転」を持っていた。生命エネルギーの循環のさせ方がうまく、俺自身あいつを習って成長した部分もあった。いつだったか、あいつは「剛流振」最終試験にエントリーして、なんと前人未到の18番目まで進んだ。俺たちは素直に喜んだ。あいつならクリアしちまえると信じてた。そして…帰ってこなかった。

「その話を聞いた時な、俺は…」
「よーするにここはとんでもないところなんですねっ!」

アカネはそう言って話の腰を折ると、まあるく大きなあくびを一つ。

「ファー!最後まで話を聞けっ!ここからが本番、ニアピンタイムだってのに!」
「だってゴルファンタジスタ様の話が長くて…年をとると昔語りしたくなっちゃいますもんね」
「ファ…!?ファ…ファファファファ…!?ファーーー‼︎

相当率直で遠慮のない物言いに思わずゴルファンタジスタが咆哮を上げると、肌はちょっと赤く染まり全身からそこそこ蒸気が上がる。それは汗が発熱で即座に気化している証。これぞ「剛流振」の秘奥義、自らの怒りを「回転」させ全力以上の全力を引き出したのだ!!

「お!ゴルファンタジスタ様、その調子!フレ!フレ!がんばれ!ゴ・ル・ファ・ン・タ・ジ・ス・タ!」
「煽ってんのか小娘…!」

アカネは手を叩き、腕をくるくると「回転」させ、ステップで体を「回転」させ、華やかに踊って飛び跳ねる。

「違います違います!エール!応援ですよ!」

アカネはどこからともなく金色のポンポンを取り出し、両手で持って振り始めた。

「ゴルファンタジスタ様って~、コースに挑戦する時~、ぜんっぜん他の人に興味無いじゃないですか!不安で迷えるゴルファンタジスタ様に今こそ必要なのは、かわいい女の子の応援ですよ!チアガールズ!」
「たわけ!そんなのに頼るのは二流!己の肉体と回転を極めてこそ一流の『首領』だ!」

女の子を横に侍らせている輩もいるにはいる。だが、こちらから言わせて貰えばあんなのは偽物だ。ゴルファンタジスタは剛流振は1人で極めると決めている。1人で全部やってみせてこそ、民が安心して任せられる首領だ。本当は色んな感情が底に渦巻いている。向けられる嫉妬、羨望。栄光の裏の影。

エターナルグリーンで消息を絶った剛流振仲間は1体や2体じゃない。その度に、形容できない感覚に心臓を握りつぶされそうになる。小娘には話せなかったが、ずっとずっと考えてきた。自らの頭の中で問題がぐるぐる「回転」し、堂々巡りの毎日。エターナルグリーンを攻略して首領になったとしよう。その後、俺は何ができる?いつか来るかもしれないゼナークの侵攻。それ以外にも、ある日突然強大な敵が現れたら?野垂れ死んで終いかもしれない。心に重圧を抱えながら生きてきた。そんなことしたって、一回転分の足しにもならないことはよく分かってる。しかし結局のところ、自分の嫌な感情は消せない。大胆不敵に強がっても、数多の記憶は魂に深く刻みつけられている。だから、せめて。

せめてこんな思いをするのが自分だけで良いように、全てを抱え込んでやりたいと思ったんだ。

民が何の心配もしなくて良いくらい、他人に頼らなくていいくらい、強く眩しく在りたいと思ったんだ。

表に出すのは自信満々で敵なしな理想の自分だけで良い。それがあるべき首領の姿だ。…そう思っていた。

「そんなこと言わずに~。ほら!『回転』ですよ!」
「だから…ん…?」

ゴルファンタジスタは異変に気づいた。体の赤みが引いているのだ。しかし運動能力は変わっていない。憤怒による無理矢理な回転が研ぎ澄まされ、スマートになっていく。アカネは激しい動きで「回転」し続け、自身の強化された生命エネルギーをゴルファンタジスタに送り続けた。
燻っている、不安。恐怖。心にある日刺さった針が抜けないまま続いていくような不快感。そんなものを民に、ファンに見せる訳には行かない。ゴーグルの奥底に沈めてしまわなければ…。

「ゴルファンタジスタ様。ほら!」

アカネは眩しく若い笑顔を見せた。金髪がキラキラと光を反射した。前髪の間から僅かに見えた瞳は、どこまでも澄んでいた。
言われるがままに、ゴルファンタジスタはドライバーを握った。なんでそうしたのかは分からない。ただ、いつのまにか自然と体が剛流振を求めていた。集中している訳でもないのに、みるみるとマナが圧倒的な密度で練り上げられていく。

「これは…」

ゴルファンタジスタの持つ超量の生命エネルギーが、アカネの加護によって相乗し膨れ上がっていく。今まで体一つで戦ってきたため、応援一つがこんなにも違うとは知らなかった。さらに癪なことに、不安も恐怖もプライドも一切合切、この心地よい心の「回転」の前に消え失せてしまったみたいだ。

いけるのか?

「1人だと息が詰まっちゃいますよ!みんなと一緒に、レッツ回転!」

「…一理、あるな!」

いける!

ゴルファンタジスタは構えた。瞬間、ごうっと生命エネルギーが渦巻いていく。恐ろしい速度で「回転」し、もっと深く濃度を高めていく。木々も風も鳥も巨人もどんどん渦巻く感情も、全てはこの一撃のために!

「ファーーーー!!」

天高く打ち上がる、緑のレーザービーム。空気も雲も、驚異の螺旋に巻き取られてゆく。
中継の向こうでは歓声が上がった。剛流振史上最高に大きな生命エネルギーを、自然文明の住人は逃さず感じていた。
全てを込めた剛流振ボールはエターナルグリーンの半分を通過し、ちょうどそこでゆっくりと減速を開始した。ここからが正念場だ。

6割を通過。吹き荒れるマナが、回転を少しずつ剥ぎ取っていく。

7割を通過。アカネの加護が無ければ、ボールはここで果てていただろう。

8割を通過。目に見えて球速がのろくなっていた。中継の観戦者は息を呑む。

9割。

空をつんざく咆哮が走る。エターナルグリーンが暴れ始めた。

「な!?」

最悪のタイミング。「回転」はゴールを追従するが、追い切れない。目指すべきコースを僅かに逸れた。誰もがわかる。この軌道は、ホールインワンを逃すだけにとどまらない。瞼の裏、チラつく2文字。

OBだ。

「…まずい」

ゴルファンタジスタの額から一筋の冷や汗が垂れた。芝の間から、捕食者ダン・ディランの眼光が無数に光る。もちろん自分は大丈夫だ。しかし、小娘は?

芝の中の頭蓋骨が頭に浮かんだ。

消えたグランドスラム・スコーピオンの顔が浮かんだ。

アカネの顔が浮かんだ。消えかかっていた。

「ゴルファンタジスタ様」

声の方を向いた。アカネがいた。

「大丈夫ですよ、きっと」

分からない。なんで何の根拠もない言葉が、こんなにも安心を与えるのかは分からない。アカネの存在はゴルファンタジスタの希望を芽吹かせる。

その時、剛流振ボールに新たな回転が加わった。

「…何?」

その「回転」は、ゴルファンタジスタのものと比べるとずっと荒々しかった。轟廻。そんな言葉が似合う、懐かしい回転。

「…ああ、そうか…」

胸に満ちる希望の正体を、やっと理解した気がした。

「お前たちは…ずっと諦めちゃいなかったんだな」

轟廻な回転だけではない。可憐な回転が、鋭い回転が、柔らかな回転が加わっていく。
ゴルファンタジスタの一打は、この地で死した者達が残したマナすらも、そこに宿った最後の意思すらも再び「回転」させたのだ!

「1人じゃなくなったんだな。俺も、お前たちも」

その回転を全て足しても、打った直後の勢いよりずっとずっと弱々しい。それでも、最後の回転は確かにボールの軌道を微かに変えた。
落ちゆく先は、旗の立った黒く狭い虚空。

不安が「回転」する。孤独が「回転」する。生命が「回転」する。

『ゴオオオォォーーーールッ!!!』

……

実況のゴール宣言と同時に、エターナルグリーンが咆哮を上げた。今までで1番大きな咆哮だ。「回転」の余波が、自然文明中に広がってゆく。
植物は生い茂り、生物は活力を取り戻し、世界はいつもより澄んで見える。

「やった!や~った!」

アカネは忙しなく地面跳ねて、嬉しさを全身で体現していた。金髪がびょんびょんと伸び縮みしている。

「さっすがゴルファンタジスタ様!これで晴れて『首領竜』ですねっ!」

「…ま、今回は俺だけの力じゃあできなかったみたいだがな」

「へ?」

ゴルファンタジスタはアカネから視線を逸らし、遥々広がる空を見つめながら言った。

「9割9分は俺様の力だがな!まあ小娘のエールがなきゃ若干回転に曇りが出た可能性も微小に存在するかもしれない気がするような感じだって多分大体あるし、第一まずしっかり俺が準備運動と集中力を高めていれば回転力は約5倍(当社比)だったからして…」

「よーするに?」

回りくどい話し方に辟易した彼女は、あくび混じりにそう聞いた。

「…チアガールってのも悪くないかもな、アカネ」

途端、ゴルファンタジスタの元で、小さな笑顔が太陽に負けじと輝く。帰り道は透き通った青い空が歓迎していた。

そういえば、今日は良い天気だ。今更そう思った。

……

そうだ。あの日分かったんだ。生命は「回転」する。グランドスラム・スコーピオンらがしたように、自身の存在が消えても、それを次の者に託して必ずゴールへ辿り着かせる。上の者から下の者へ、力を継承し、手を貸し、やがて世代が交代する。そうやって世界は「回転」し続けるのだ。首領竜として、自然文明の「回転」は絶対に守らなければならない。

順番が来たのだ。巡り巡るその役割が、今。

「ジャ…シン…」

重たい上体を、腕でなんとか持ち上げた。胸から血がぼたぼたとしたたり落ちる。

「…ほう」

邪神アビスベルは振り向いた。無様な姿を晒している目の前の竜の、内に秘めた強烈な「回転」。今までのなかで1番、あの邪闘シスを倒した「回転」の力すら比にならないそれが生み出されようとしていた。

「ようやく貴様に興味が持てそうだ。…せいぜい、我を楽しませてみよ」

不敵にそう言い放つと、手を広げて堂々と邪神はゴルファンタジスタへ歩み寄っていく。一歩、二歩。その間も、「回転」は牙を研ぎ続けていた。

ゴルファンタジスタは割れたゴーグルの奥から執念の瞳を覗かせた。邪神が幾度となく見てきた、極上の表情。最期の最期の「回転」が、邪神の期待を高めていく。

こつん。足音がして、血みどろの巨体の前に、悠々たる悪意は辿り着く。そして、異変に気がついた。

「…?」

確かに先ほどまでそこにあった、「回転」が消えている。有象無象の生贄のように、塵ほどの力も感じなかった。ゴルファンタジスタの体も、ぴくりとも動かない静止の中にある。

「…貴様…!!」

ゴルファンタジスタが最期に使った「回転」。それは、ことごとく自然文明の守りに消費されていたのだ。
意識の無い首領竜は、後は頼んだとでも言うように満足気に微笑んでいた。そうしたまま、硬直していた。

気に食わない。邪神が苛立ちにより尻尾を地に鋭く叩きつけると、深淵の力はすぐさまリング中に巡り、轟音を立てながら崩壊を始めた。瓦礫が雨のように降り注ぎ、幾度もゴルファンタジスタを傷つけながら覆い隠していく。

そして、全ては深淵に塗り潰されていった。

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