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語ることの意義〜弟のための物語・兄のための最期〜

刀剣乱舞ミュージカル 髭切膝丸双騎出陣2019~SOGA~の千秋楽が終了しました。わたしも一回の観劇とライブ配信とで拝見しました。そして様々なところでの考察を読みわたしもアウトプットしたい~~~!ということで珍しく考えたことをつらつら言語化します。長い文章を打つのでパソコンをわざわざ開いての力の入れようです。笑
今回の話の中心は「源氏の重宝の二振が曾我物語を演じることの意義」の考察なので、その他の人物や表現にはあまり触れられませんが…、見る楽しみが少しでも伝わればうれしいです。

語ることの意義~弟のための物語・兄のための最期~

 この作品は三浦宏規演じる髭切と高野洸演じる膝丸がそれぞれ兄の曾我十郎祐成(一萬)と弟の曾我五郎時致(箱王/筥王)を演じるという劇中劇の手法で表現されている。つまり髭切・膝丸が曾我兄弟に扮しているというところを前提としている、ということを起点に話を進めます。
 この物語の冒頭で「物が語るゆえ物語」というセリフが、語りである女(演・加納幸和)から述べられます。

室町時代には、曾我兄弟の仇討ちを物語る『曾我物語』など、合戦の群像ではなく、個人の運命を描いた物語が作られます。悲劇の運命をたどった者への共感と鎮魂の思いの込められた「語り」を通して、人々に享受されました。(「書物で見る 日本古典文学史」展示解説より)

 「語り」として成立した物語を、「物」である「刀」である二振が語り直すという構図そのものに大きな意味があったと考えられます。そもそも「語ること」については野口裕二が『物語としてのケア――ナラティブ・アプローチの世界へ』の中で次のように述べています。

 しかし、たとえば、誰にも言えなかった秘密を誰かに打ち明けたときのことを考えてみよう。それまでは、どうしても打ち明けられない秘密をもった自分がいたはずである。それが、打ち明けた途端に、秘密をもたない自分に変わっている。同時に、打ち明けられない「情けない自分」が、打ち明けられた「勇気ある自分」に変わっている。つまり、自己を誰かに語ることがそのまま自己を変形していく。
 これはなにも深刻な秘密に限った話ではない。今度の試験のことが気がかりでちょっと暗い気分のときに、誰かにそのことを語る。そうすることで、試験のことを気にかけるような自分、つまり、試験などどうでもよいのではなく、「試験を大切にしている自分」がそこに存在するようになる。あるいは逆に、試験ごときで落ち込んでいる「小心者の自分」という方向にいくかもしれない。いずれにせよ、誰かに何かを語ることは、そのひとをなんらかのかたちで表現することにほかならない。つまり、自分を語ることが、そのひとの輪郭をかたちづくっていく。
 もちろん、これには相手の反応も大きく影響している。「そう、それは大変だね、がんばってね。」と言われれば、「がんばりやの自分」が現れるかもしれないし、「そんなこと気にして心配性なんだから。」と言われれば、「心配性の自分」が現れるかもしれない。あるいは、相手になんと言われようと気にしない「マイペースの自分」に出会えるかもしれないし、相手の言い方に必死で反論する「気の強い自分」に出会えるかもしれない。自分を語ることとそれに対する相手の語り、さらにそれに対する自分の語り、そうしたやりとりのなかで、「自己」は姿を現し、変形され、更新されていくのである。

 もともとのキャラクターとして髭切はおおらかで細かいことを気にしない、ふわふわと掴み所のないような性質。それに対し膝丸は兄を思いあれこれ世話を焼くようなしっかり者。「一般的な」兄弟とは逆転した人物として描かれています。そのせいか髭切・膝丸が出演している「ミュージカル刀剣乱舞 つはものどもがゆめのあと」や「真剣乱舞祭」のやりとりでは髭切が力の抜けた柔らかい表情をしているのに比べて、膝丸は常に気を張った、眉間に力を入れているような表情が多いです。兄の持つキャラクターに対してしっかりあることを望んだ膝丸、という描かれ方であると考えることができます。しかしその一方で「つはものどもがゆめのあと」の中での膝丸の存在にはあまりスポットが当たりませんでした。劇中、三日月宗近の真意について触れる役となる髭切はおおらかでふわふわしたキャラクターとしてみんなを見守る眼差しと、鋭い考察をおこなうような二面性が表現されています。しかし膝丸はその考察に対し「兄者の考えていることは俺にはわからん」とあきらめにも似たセリフを残しています。また、源頼朝が「髭切」の太刀を持っていたことから三日月宗近の意図を知るきっかけとなる記憶が流れ込むことに対して、「膝丸」の太刀が出てくることはありませんでした。
 これらの過去作品(主に「つはものどもがゆめのあと」から考えると膝丸の存在ということが髭切に比べて薄い描かれ方であったと感じます。また「髭切」の太刀は多くの名を持ち、「膝丸」も同様ですがそれに加えて複数の(大覚寺、箱根神社など)所有が確認されています。このことからも「髭切」「膝丸」の太刀というのは揺らぎのある(=確固としない)存在であり、ミュージカルでの描かれ方としては「膝丸」においてそれが顕著であるという印象を受けます。
 それに加えて原作であるゲーム内のセリフでも兄である髭切に関するセリフが多く、徹底的に、といってもいいくらい「兄」がいてはじめて「弟」である膝丸のアイデンティティーが成立できています。膝丸の存在には髭切が欠かせないのです。
 では先ほどの野口裕二の引用部分に照らしあわせると、「語る」ことによって「自分の輪郭」つまりどのような自分か、が作り上げられます。そこから考えても比較的確固とした髭切に対し、膝丸の存在はどこか兄である髭切いてこそ、感が否めません。膝丸の存在の揺らぎ、というか弱さはミュージカルでも、原作のセリフでも共通しているように思えます。

 ここで今回の「双騎出陣」に戻ると、劇中演じる曾我兄弟は髭切・膝丸兄弟とさらに逆転した存在になっています。兄の十郎は父である河津祐泰が工藤祐経に殺されてから笑顔を見せることが非常に少なくなっています。弟と共に遊び楽しむことを封印し、刀の稽古に励み、弟が出家させられることが決まった際はあまりにむごい、自分が代わりに、と母に懇願しています。まさに「兄」としてあることを選び、感情に蓋をして凜としていようとします。そしてそういられるのは「弟」がいるから、と劇中歌で吐露しています。その一方で押し寄せる悲しみ、そして弟と再会した場面それぞれで弟を抱く手には力が入っています。「弟」がいて初めて「兄」たり得るのが、ふわふわとした髭切演じる十郎だったのです。
 一方十郎は「いつもの」膝丸と異なり、大きな口でにこにこ笑ったりふざけたりする、屈託のない表情を浮かべ続ける存在です。父の死についても大声で泣きわめくことができます。(それに対して兄である十郎はそれができません。)また人生においてスポットが当てられているのは五郎だけです。修行先の様子がコミカルなパートとして差し挟まれ、そこでも「ふだんの膝丸」からは逸脱した茶目っ気のある姿として表現されています。が、それは兄である十郎にはありません。十郎がどのような道のりを経て再会に至ったのかは省略されています。またその後の箱根の別当から太刀を賜る場面でも、それは明確に現れています。『曾我物語』の作中では十郎に刀を授けた場面がありますが、劇中ではそれがなく、五郎にのみ緑色の鞘に納まった太刀が与えられます。この場面について『曾我物語』では次のように述べられています。

 五郎には、兵庫鎖の太刀を一振り取り出だし、引かれけり。「此の太刀と申すは、昔頼光の御時、大国よりぶあく大夫と言ふ莫耶を召し、三ケ月に作らせ、一月にみがかせ二尺八寸に打ち出だす。秘蔵並ぶ物無くして持たれける。或る時、此の太刀を枕にたてられし時、俄に雨風ふきて、此の太刀をふき動かしければ、刃風に、側なりける草紙三帖が紙数七十枚きれたりけり。頼光、てうかと名付けて持たれたり。其れより、河内守頼信のもとへ譲られぬ。其れにての不思議に、此の太刀をぬかれければ、四方五段ぎりの虫も、翼もきれ落ちにければ、虫ばみとぞ付けられける。其れより、頼義のもとへ譲られたり。
(中略)
義朝の末の子九郎判官殿、未だ牛若殿にて、鞍馬の東光坊のもとに、学問して御座しけるが、如何にして聞き給ひけん、折々、毘沙門に参り、「帰命頂礼、願はくは、父義朝の太刀、此の御山に込められて候ふ。父の形見に、一目見せしめ給へ」と、祈念申されければ、多聞、哀れとや思しけん、此の太刀を下し給ふと、夢想を蒙り、喜びの思ひをなし、急ぎ参りて見奉り給へば、現に御戸開き、此の太刀有り。盗み出だし、深く隠し置きて、十三になり給ひける年、相伝の郎等、奥州の秀衡を頼み、商人に伴ひて、下り給ひけるに、美濃の国垂井の宿にて、商人の宝を取らんとて、夜討の多く入りたりしか共、おきあふ者も無かりしに、牛若殿一人おき合ひ、究竟の兵十二人切り止め、八人に手を仰せて、多くの強盗追つ返す、高名したる太刀也とて、奥州まで秘蔵せられけるに、十九の年、兵衛佐殿謀叛を起こし給ふと聞こし召し、鎌倉に上り、見参に入り、幾程無くして、西国の大将軍にて、発向せられけるに、今度の合戦に打ちかたせ給へとて、此の御山へ参らせられ給ひて候ふ。(後略)」

 省略箇所はのべ千字を超します。この長い長いセリフこそ、五郎が別当から太刀を受け取る場面なのです。この引用部分は端的に言うと「五郎に授けられた太刀の逸話」です。誰が作り、それを誰が所持し、どのような働きをし、どのような名づけを受けたのか、ということです。これも「語り」の一つです。つまりこの太刀がどのような存在であるのかを「語ること」によって補強されます。「虫ばみ」「姫切」と名を改めながら、確固と存在する刀。それは五郎を演じる膝丸自身の存在を補強することでもあります。原作であるゲームでも、「つはものどもがゆめのあと」でも足りていなかった膝丸を膝丸たらしめることが、この場面でようやくできたのです。そのように考えるとこの物語は「弟のための物語」ということができるでしょう。

 それでは兄である十郎、そして演じる髭切は?と思ってしまいます。彼に与えられたのは「救い」です。それは最期の場面に象徴されるでしょう。
 仇討ちを終え笑い合いながらも致命傷を負った十郎は倒れ、弟である五郎に抱えられます。その時の表情は兄としての凜とした、気を張った表情ではなく、穏やかで微笑を浮かべています。そして冒頭の幼子の頃の場面をなぞるかのように、雁の話をし息絶えます。仇討ちに囚われる前の、ただただ兄弟で笑い合って過ごしてた日々にようやく戻ることができたのです。「弟」がいて「兄」たろうとした十郎は弟に看取られることによって、弟を失う悲しみもなく、「あの頃」に戻って死ぬことができた。この物語は「弟のための物語」であると同時に「兄に与えられた救い」でもあるのです。

 名を変え、幾度も所有され、現在に至る二振の太刀。刀工も不明でそれゆえ「兄弟」なのかさえも怪しい刀、それが髭切・膝丸でした。しかし『曾我物語』を演じることによって=物語をすることによって、この存在は確固としたものになったのです。
 これには観客(=主)の存在も不可欠なのです。鷲田清一は『語りきれないこと――危機と痛みの哲学』の「語りなおしと、その「伴走者」」という章の中で次のように述べています。

 語りなおすということは、青虫が蝶になるようなものです。青虫と蝶は、似ても似つかない形をしていますが、変態するとき、蝶はサナギという移行期の形態をとります。サナギは、枯葉をいっぱい身にまとい頑丈なよろいを着けている。その中で青虫としての身体組織をいったん溶解させて、じぶんの存在をどろどろの不定形なものにする。それを蝶の形に再編成してって、上の羽になったり下の羽になったり触手になったり髭になったりおなかの蛇腹になったり脚になったりする。再編成をして、中がじわりじわりと新しい蝶の形へ固まっていったら外のよろいを取って、蝶として自立するわけです。青虫の物語から蝶の物語に変わるために一度じぶんを解体し、溶解させなければならない。
 語りなおしはこういう変態にたとえることができますが、ただし人間の語りなおしの場合、それは単独ではできません。怖ろしく不安定な状況のなかで、溶解しだしている存在が漏れてそれこそメルトダウンしないようにするためには、その人の語りなおしのプロセスに伴走する人が必要なのです。

 今回、髭切・膝丸は演じることを通して自己の存在を「語りなおし」ています。「演じる」ために必要なのは他者の存在、それこそが伴走者たる主(=観客)の存在なのです。観客であるわたしたちは物語に介入することはありません。しかしその場に居合わせ、分かち合うことが、つまりこの物語を徹底して「聴く」存在であることが、劇中劇を二振の物語として昇華させるのに必要な要素であったのです。
 さらに言えばこれを見たわたしたちが様々な形・観点から「語り」を行うことが、野口裕二の言うとおり髭切・膝丸の存在を「更新する」ことになるのです。

 最後に、このような語り直しができたから「双つの軌跡~となり~」で新しい歌詞で歌われたのでしょう。膝丸のパートでもともとは最後が「誰かの隣」と歌っていたところです。今回の二部では次のように歌われています。

  遠い間 渡り渡り 人ならぬものさえ斬ってきた
  弥久を彷徨い辿り着いたのは 貴方の隣

 誰だかわからない不確かな存在から、明確で固有の「貴方」だと歌うことができた。これは言うまでもなく髭切・膝丸の存在が確固とした二振一具として「更新」されたからでしょう。

 今回の「双騎出陣」は従来の「刀ミュ」とは大きく異なる物です。場合によってはわざわざ『曾我物語』ではなく、通常の形の方がよかったと思う人もいるかと思います。その賛否はさておき、それでもこの劇中劇として髭切・膝丸が『曾我物語』を演じることに大きな意義があったと思うのです。

以上がわたしの考察なのですが、本当は母とかにも触れたかったー!!!あとは他にもたくさん面白い考察があるので…そちらをご覧ください!熱量ーーーー!

#刀剣乱舞 #刀ミュ #双騎出陣 #髭切 #膝丸

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