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とんかつ定食のすゝめ

昨今の世界情勢のやるせなさとか、自分の半径3mの停滞感とか、収拾つかなくなってしまったようなところがあり、リモート労働というぬるま湯からも出たくない、かろうじて、映画館に足を運ぶために初めて外出することと、もはや誰に向けて書いているかも分からないInstagramへの映画鑑賞記録だけが私を人間たらしめているような気がする年度末(*)ですが、みなさまご機嫌いかがでしょうか. 
(*)アップは5月も終わりですが、書き始めたのが年度末だったのでご容赦ください

私はそういうわけで、「このままではやばい」とは思いつつなかなか体が動いてくれなかったり、ひとつのことを考え出すと頭の中の違う引き出しからもいろんなものがごちゃっと出てくるので、とっ散らかって考えることを放棄するなどしている.

これはまずい.
とんかつ和幸に行かなければ. 

世の中にうまいとんかつ屋は数あれど、和幸の定食ほど、綺麗に食べ切れる達成感に浸れる定食が(少なくとも家の近くに)ない(おかわり設定含め).
本当に何も考えたくない時、メンタルデトックスのため、そしてうまい飯で腹を満たすため年に数回そういうことをする. 

私のベストバランスは、トンカツ1に対してご飯1:キャベツ2:味噌汁2で、トンカツ0.5に対して飯0.5, キャベツ1, 味噌汁1で済ませて、キャベツと味噌汁のお替わりを頼むあいだに箸を休め、お替わりが来たら残りのとんかつとご飯と合わせて食べ切るというもの. 

こうして食べると「まずは、キャベツを一口、つぎはお味噌汁行って、トンカツ行きながらご飯スタンバイ、口直しにお漬物...」というテトリスやってるような感覚と「米が適度に硬くてうまい、味噌汁の塩味絶妙〜..! ここにとんかつを一口...揚げたての衣うまいー」と、孤独のグルメのゴローさんになったような感覚が両方一気に来ます.  
 
最後はご飯一口と締めのお味噌汁数口でフィニッシュしたら大成功. 余計なことを考える隙もない.

一人で飯を食っていると飯を黙々と食べながらも周りの会話が嫌でも入ってきて、実はそれも楽しい. 
良い悪いの話ではなく、シンプルにみんな結構大きい声で色々話してるなと思う.
ついさっき読了した綿矢りさ著「私をくいとめて」でも主人公のみつ子が焼肉屋で同じことをしていた. べつに「おひとりさま飯」と言われようが「ぼっち飯」と言われようが私にとっては大した差ではないのだけど、みんな誰かといると無防備になるもんだね. 自分もそうだと思う.  

そこから聞き取れてしまった断片を勝手に繋ぎ合わせて、店を出たらもう会うことのない(会ったとしても気づかない)どこかの誰かについて、それは大変だなぁとか勝手に頭の中で思ったりする. 
自分のことで考えなくてはいけないことは次から次へとやってきているのにそれを横目に知らんぷりをしながら知らん人の心配をする. 

分からないことは怖い. 知らないことは怖いし、自分が何を知らないか知らないことも怖い. そして私は自分が未だによく分からない. だから目を逸らし続けているような気もする. 

そういうことを考えながら黙々と食べていると、気づいた時にはお皿が綺麗になっていて、結局何も解決していないのに、なぜか店に入った時よりほんの少しだけすっきりした気持ちになってほうじ茶を飲み干してお店を出るのであった.

結局散らかしたもやもやがなくなるわけではないし、この書き出しを書いた後の年度はじめ直後にまたどーんと沈むような出来事なんかもあったりしたものの、今現在はフラットな感じになりつつあります. それは、まぁ、とんかつ定食が直の理由ではないにしろ. 不定期のルーティンは少し自分の軸を戻してくれるような気がする.

これが私が勝手に名付けた「とんかつ定食のすゝめ」の全容です(大したことないよね).
特にこれというわけではないけれど、悶々としてる人がいたら、ぜひ一度お試しあれ.

2022.05

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