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袖ふりあうのも他生の縁。

人間関係の難しさに日々戸惑う中で、ややかび臭さの香るこの言葉に、年を重ねるにつれ不思議な力を感じるようになった。人はひとりでは生きていけない。そんなことはわかっている。でも、誰かと関わり続ける辛さや煩わしさをずっと感じながら生きていく窮屈な気持ちは、いったいどこへ収めればいいのだろうか。冷静に振る舞うと角が立ち、感情的になると意固地になり、無駄なプライドをぶつけあう。それでも人は、誰かに救われて生きているのだ。そう思える場面に、今まで何度となく立ち会ってきた。ゆえに、縁という定性的で不思議な連鎖を、妙に楽しんでもいる。

作家・青山美智子さんとの出会いも、まさに縁といったところか。
初の著書『木曜日にはココアを』は、東京のとあるカフェからはじまる12編の連作短編小説だ。最初の主人公はひょんなことから雇われ店長として店を任された青年。毎週木曜日に決まった場所に座り、毎回ココアを飲み、エアメールを書く女性にほのかな恋心をよせる。次の物語の主役は、その女性の席に偶然先に座っていた母親。彼女は主夫である夫の代わりに、明朝息子のお弁当を作らなければならない。料理はからっきしダメな彼女。何度試しても、息子の大好きな卵焼きをうまく作れない。

同じ場所で、変わらぬ食べ物を食べて、同じ教育を受けていても、人の人生は人の数だけあり、同じ道を進むことはない。それでも、ひとりひとりの人生のちょっとした仕草振る舞いが、別の人の人生に大きく作用してドライブがかかっていく。そんな当たり前のことを、無駄な言葉を省いた表現で編んだ物語である。濃密な人間関係や、重厚な面構えのストーリーは出てこない。ライトな読み口は、人物の描写に物足りなさを感じる人もいるかもしれない。それでいて、人の魅力を爽やかに描き切るのは、著者がそのように他人を見ているからなのだろう。歯がゆさすら感じるその目線は、潔くて心地いい。

気づかぬうちに人生は誰かに救われている。そう思うと、もう少し人に優しく接することができるかもしれない。この本をきっかけにその穏やかな連鎖が、たくさん生まれることを願っている。

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