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やさしい手ほどき~On elegance③  装いは思想、スーツ編

前回は、装いのエレガンスが危機に瀕している、という話をしました。「危機だなんて、大げさな」と思われたかもしれませんが、今回もまた大仰な副タイトルで行きます。「装いは思想」。思想ですよ、思想。
でも、ふざけているのではありません。

先日、男性のスーツの歴史に関する書籍「The Suit」を読んで、そう思ったのです。装いは自己表現、とはよく言われることですが、それ以上。文化を、歴史を、教養を、そして思想をーーこれら全てが「装い」に込められているのです。

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上の写真が、今回読んだ「The Suit」という書籍です。残念ながら翻訳本は出ていないようですが、和書でもスーツの文化史に関する良書が沢山あるようですので、是非ページを繰ってみてください。

昔は、王族などが着ていた ↓ のような衣装が公式の服でした。それが世相に呼応しながら進化して今のスーツとなります。

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華美な装いがシンプルになっていく過程には軍服の影響が大きかったそうです。軍服は機能性が大切ですから装飾は取り払われていきます。でも簡素化、というのとは違う。軍服姿で敵に威厳を見せつけたいですし、兵士たちのモチベーションを高めるようなかっこよさも必要です。
ここでお国柄が出てきます。エレガンスやオリジナリティーを重視するフランスのような国もあれば、ドイツのように威圧感を醸し出すことにかける国もある。ロシアのように武骨さを全面に出す国もある。軍服には、その国の、その時代における、文化や体制、歴史的背景が盛り込まれているのですね。兵士たちは、国の思想を纏っているんだなぁ、と思ったわけです。

その軍服が平時の装いに反映して、現代のスーツの原型が生まれます。

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上は前世紀前半に作られたと思われる夫の祖父のツィードです。今は息子達が受け継ぎ羽織っています。

20世紀の終わりにはスーツは完成度を高め、今度はそこに装いのルールが作られていきます。ここにも規律重視という軍服の名残があるのかもしれません。午前中はコレを着る、晩餐会ではコレ、このジャケットを羽織る時は、ズボンはコレでなくてはダメ、靴はこうあるべき、シャツは、ネクタイは、帽子は、と各国、各ソサエティーの文化、知性、階級、品格をスーツの着こなしに反映させます。

ルールがある方がゲームは楽しいもの。欧米の紳士達は、ルールをどこまで理解しているか、と競います。ルールを分かっていない人は見下され、粋人は敢えてルール破りをしたり、と遊びます。スーツの着こなしで、教養や属性が分かってしまうのです。スーツ、恐ろしや、です。

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日本に関して言えば、明治の文明開化で洋装が始まります。何も分からず流行に乗って、袴を脱ぎ、髷を落とした人も多かったでしょう、同時に欧米の思想を受け入れたのだと気づきもせずに。
本人はそこまで覚悟していなかったのかもしれないけれど、そういうものです。だって洋装になれば、歩き方が変わります。そうなると習慣が変わります。そしたら価値観にも影響を与えるでしょう。価値観変われば思想だって変わりますよ。

そう思うと、装いって恐いですね。何を着るかで、考え方も変わるだなんて。


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みなさんはスーツを着るとき、何を思っていますか?
もう21世紀なんだし、欧米のスーツ道なんて気にしていない、かな?
それに「欧米に倣え」という時代ではない? アジアはアジアの思想で生きているって? 
じゃ日本はどこに向かっているの?
あなたは何を思っているの? 
ーー今朝タイムラインに上がってきた東京駅前の画像の中の、無数にあるスーツ姿(背広姿と呼ぶ方がフィットするけど)に、心の中で語りかけています。

スーツごときで何をほざいていると思われるかもしれません。でもスーツの歴史を知ってしまった今は、スーツを纏うときは、そのくらいの気合いというか、覚悟というか、それがないと失礼な気がしてしまうのです。

「一日中スエットでOK」のテレワークが常識になってきて、それ以前にビジネス・カジュアルがあって、夏はクールビズがあって、スーツの意義自体が問われつつあるのでしょう。
それでもスーツを着るときは粋がって欲しい。
「わたしはこういう矜恃を持ってビジネスに挑んでいます」
「こういう教養を培ってきた者です」
「子ども達の未来を背負っています」
「会社を背負っています」
と。

精神論に走ってしまいましたが、いずれ具体的な着こなしについてお話ししたいと思います。

また近々!Au revoir!




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