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日本史:平安時代 ③「院政の時代」

通訳案内士の試験勉強のための、まとめノートです。

藤原氏の摂関政治から上皇による院政の時代に移っていきました。そして、院を守る武士たちが台頭してきた時代です。

院政の時代

1019年 9世紀から11世紀に掛けて、九州沿岸には、新羅や高麗などの海賊による襲撃・略奪に悩まされていました。 このような中、刀伊(女真族)が北部九州に来襲する「刀伊の入寇」が発生。約3,000人が約50隻の船団で、対馬、壱岐に来襲し、略奪を働きました。続いて、筑前(博多)を襲いましたが、大宰権帥藤原隆家らによって撃退され、朝鮮半島に撤退していきました。

こぼれ話
大宰権帥は、大宰府長官(大宰帥)代理のことです。この時代には、長官には皇族が任命されていたため、実質的に長官として政務を執り行っていました。権とは「仮」という意味で、正官と並ぶ定員外に設けられた役職(権官)です。権官は、権大納言、権中納言など朝廷の役職で使われ、例として水戸光圀は、権大納言に任じられていますが、こちらは格式のみで実権は伴っていませんでした。

1086年 「白河天皇」は、8歳の堀河天皇に譲位することで、自らは「上皇」となりました。これにより、幼帝を後見するために上皇が政務を執る「院政」が始まりました。このように、政務の実権を握った上皇、天皇は、「天地の君」と呼ばれています。この後、白河上皇はひ孫にあたる崇徳天皇の代に渡り院政を敷きました。上皇の力が強まるにつれ、藤原氏の力は衰え摂関政治は終焉しました。

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1096年 白河上皇は、出家し「白河法皇」となりました。

1107年 堀川天皇(28歳)が崩御すると、5歳の「鳥羽天皇」が即位しました。

このころ、寺社勢力の僧兵や神人は、仏罰・神罰や武力を振りかざして、朝廷や幕府に対し自らの要求を通そうとする「強訴」が横行しました。白河法皇は「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」という言葉でこれを憂いていました。

これら寺社の強訴を防ぐため、上皇の身辺を警衛のため院の直属軍が創設されました。院御所の北側に近衛として詰めていたため、「北面の武士」と呼ばれました。

1123年 鳥羽天皇(20歳)は、その子である3歳の「崇徳天皇」に譲位しました。白河法皇の院政は、崇徳天皇まで続くことになります。

1129年 白河法皇が崩御。その後、「鳥羽上皇」が院政を引き継ぎ、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇の3代28年に渡り政務を執ることになります。

武士の台頭

1156年 鳥羽上皇が崩御すると、「後白河天皇」と「崇徳上皇」との政治の主導権争いから「保元の乱」が発生しました。崇徳上皇と後白河天皇は、それぞれ鳥羽上皇の第一皇子、第四皇子であり、兄弟間での争いです。崇徳上皇は、崇徳天皇は白河法皇と鳥羽上皇の后である璋子が密通して生まれた子であるとの説もあります。

この戦いでは、武士たちが活躍し、「源義朝」と「平清盛」が組みした後白河天皇方が勝利。敗北した崇徳上皇は「讃岐」に配流されました。武鎌倉時代、慈円が著した「愚管抄」では、この乱が「武者の世」の始まりであり、歴史の転換点だったとしています。

この戦いにおいて、後白河天皇方で策略をめぐらしていたのは、鳥羽上皇の院近臣であった「信西藤原通憲)」だと言われいいます。この戦いの後、その権力をふるい、強権的な政策を行っていきました。これが後の平治の乱の火種となっていきます。

こぼれ話
「保元物語」によれば、崇徳院は流された讃岐にて「日本国の大魔縁になる」という言葉を残して亡くなりました。その後天変地異が相次ぎ、これを崇徳院の祟りだと畏れ、京都に崇徳院廟(現、粟田宮)を建立してその祟を収めようとしました。
崇徳院は、菅原道真、平将門と並んで、日本三大怨霊とされています。この三人はいずれも平安時代の人物で後に祟りを畏れた人々によって祀られるようになりました。

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1158年 「後白河天皇」が長男に譲位を行い「二条天皇」が即位しました。この譲位にも、信西が大きく関わっていたとされています。

後白河上皇の後ろ盾をもとに政権への影響力を強めていた「藤原信頼」は信西の政策に、また、「源義朝」は同じ保元の乱で活躍した平氏への厚遇に対して、不満を募らせていたと言われています。この2人が後に兵を挙げることになります。

1159年 反信西の勢力である「藤原信頼」と「源義朝」が兵を挙げ「平治の乱」が発生しました。信西を襲撃、信西は自刃に追い込みました。

熊野詣で留守にしていた平清盛が京に戻どり、六波羅にて源氏方を破ることで乱は収束しました。戦いに敗れた信頼、義朝は、処刑されました。

この乱の後、源義朝の三男、源頼朝は捉えられ伊豆国へ配流されましたが、後に後に平家を破り鎌倉幕府を開くことになります。


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