見出し画像

日本史:平安時代 ①「平安仏教の始まり」

通訳案内士の試験勉強のための、まとめノートです。

都が奈良から京都に移され、唐よりあらたな文化がもたらされました。以後の日本に大きく影響を与える2つの仏教、空海の真言宗、最澄の天台宗です。


平安時代は、「794」年から「1185」年の「桓武」天皇が「長岡京」から「平安京」に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約「390」年間の時代です。

蝦夷征伐

797年 桓武天皇は「坂上田村麻呂」を「征夷大将軍」に任命して東北地方の蝦夷征服を行わせた。

802年 坂上田村麻呂は、東北地方の拠点として現在の岩手県の「胆沢」城を築きました。戦国時代のような石垣で固められた城ではなく、胆沢川と北上川の合流地点にほど近い平坦な土地を、土で固められた塀で囲み、その中に政務を執り行う政庁が置かれていました。この城を拠点として、この地方を支配し朝廷軍と戦いを行っていた「阿弖流為」を降伏させました。その後、アテルイは京に連れて行かれそこで処刑された。

坂上田村麻呂は、京都の「清水寺」を建立したことでも有名です。

平安仏教

国家が支配下にあり、国家を守るための仏教が中心であった「奈良」仏教から、加持祈祷などにより貴族社会へと広がっていった「平安」仏教へと、転換していきます。

804年 「空海」と「最澄」は、第18次「遣唐使」として中国に渡り仏教を学びました。帰国後、空海は高野山に「金剛峯寺」を建て「真言」宗を開き、最澄は比叡山に「延暦寺」を建て「天台」宗を開きました。

平安初期の文化

嵯峨天皇から清和天皇にかけての平安初期は、唐の影響を強く受けた「弘仁・貞観文化」が花開きました。漢文学や、空海、最澄がもたらした密教を特徴とする文化です。

勅撰漢詩文集である、「凌雲集」、「経国集」が編纂されたり、空海の漢詩を集成した「遍照発揮性霊集」が成立するなど唐風の書がはやりました。宮廷においても漢詩文を詠む宴がしばしば催されるほどでした。この時代を、国風暗黒時代と称する日本文学者もいます。

この時代の代表的な建築には、奈良県北東部の山中に建てられた密教寺院である「室生寺」の金堂や五重塔がある。この寺は、真言宗高野山が女人禁制であったのに対して、女性の参詣が許したことから「女人高野」の別名でも知られています。
この寺の金堂に祀られている「釈迦如来立像」もこの時代のもので、国宝に指定されています。

室生寺

平安京への遷都とともに官寺(国立の寺院)として「東寺教王護国寺)」が建立され、唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した弘法大師空海に嵯峨天皇より下託されました。この寺院の「両界曼荼羅」(国宝)は、密教の教えを表現したもので、この時代に発達した密教の仏画として有名です。

藤原氏の台等

866年 天皇が住む大内裏の近くの門が放火される事件「応天門の変」が発生しました。この火災は、大納言であった伴氏、紀氏によるものであるとの訴えがあり、その結果、断罪され、伴氏、紀氏一族は伊豆や隠岐などに流罪になった。これにより古代からの続く名家、伴氏は宮廷から姿をけすこととなった。この事件の後は、藤原氏の権力が増していった。

こぼれ話 ①
伴氏は、古代から続く大伴氏のことであり、平安時代初期に伴氏に改称しました。
天孫降臨の時にニニギを先導した天忍日命の子孫とされる氏族で、大和朝廷以来の武門の家である。令和の元号の典拠となった「梅花の宴」を太宰府の邸宅で開いた大伴旅人、万葉集の大伴家持などが有名です。


英語で日本を説明


素晴らしい文化、自然を海外に発信・広めて行きたいと考えています。