分かりにくい理不尽さと
分かりやすい理不尽さは、分かりやすく怒ることができる。無茶を言う上司がいる、ステレオタイプな考えを押し付けられる、明らかな差別を受ける。遠慮なく、声に出して怒るべきだ。
それよりも分かりにくい理不尽さは実際は多く溢れていて、やり場のない思いを抱えている人のほうがきっと多い。いろんな立場の人がいて、みんなそれぞれ考えもやりたいことも違って、世の中の出来事はいろんな人の思いが入り混じって、起こっている。そのそれぞれの立ち位置を想像できる人ほど、分かりにくい理不尽さに敏感なんじゃないだろうか。分かりにくいことを理解して、正しく怒れなくて迷ってしまう。
不安なときほど、人の心は弱く揺れやすい。揺れた心は、簡単に人を誤らせる。
たとえば、いま旅をすべきなのか、すべきでないのか。
関わる立場や、自分や周りの考え、置かれた環境で、どうとでも正しさの基準も尺度も変わる。目に見えないことは分かりにくい。人の思いも遠くの人の生活も。
目に見えないものは、回り道をしてでも、言葉を探して伝えていくしかない。
安心はいつも言葉を尽くした先にある。言葉にしづらいこともたくさんある。それでも、もやもやしたことは、もやもやしたままでいい、言葉にならないことを確かめ合いたい。上手く言葉にできないのだけど、の繰り返しの先に、答えの出ない問題との上手な距離の取り方がある気がしている。
世の中はだいたい理不尽で、でもいちいち辟易しなくていい。ときどき迷子になりながら、迂回路を探す。壁にぶつかったとき、乗り越える以外方法もあるのだから。
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