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私たちは「遠距離恋愛」をしているのだろうか???

先日、こども達が学校に行っている時間を利用して『デート』をしてきた。

相手は長子の同級生のママ。
私たちはお互い既婚者だ。
そして、私たちが会うことはお互いの家族全員が公認している。

別に彼女と私は道ならぬ恋をしている関係ではない。
なのになぜ敢えて『デート』と書いたのかというと、客観視すればするほど『デート』に見えてしまう状況だと思ったからだ。

彼女とはどんな関係なのか?

彼女と私の共通点は1つだけ。
「長子が同級生。」
ただそれだけだ。

お互いの出身高校については知っているが、出身大学については知らない。
歩んできた人生もまったく異なる。

長子が幼稚園年少の時、同じクラスになっただけ。
我が家は徒歩通園で、彼女の長子はバス登園だったので、降園後に公園で遊ばせながら話をする機会も全然無かった。
(「こうえん」ごに「こうえん」で。。。声に出すとダジャレに聞こえておかしいと思うのは私だけじゃないはず)

彼女と私をつないでくれたのは、もう一人のママ友。
そのママ友と私は入園後に知り合って仲良くなったのだけど、彼女とママ友は入園前からの知り合いだったそう。
長子達が幼稚園に行っている時間を利用して下の子達を連れて会うこともあったけれど、彼女ともう一人のママ友と3人、というのが多かった。

その後どんどん仲良くなって、彼女と私だけ(下の子達も一緒だけど)で会うことも増えていった。

長子達同士はめちゃくちゃ仲が良いわけではないけれど、一緒には遊ぶ。という間柄。
小学校の学区が違うから、卒園後はこども達が遊ぶ機会は激減するけれど、彼女と私は街中で会うことができる。と安心していた。
が、卒園後彼女の一家は電車で1時間ほどの距離の場所へ引っ越してしまった。

引っ越しをした後も待ち合わせして子連れで一緒にお出かけしたりしたり、彼女が私の住む場所まで来てくれて、お互いがお気に入りのラーメン屋さんにランチをしに行ったり、は続いていた。

が、会わない時間は長いけれど、メッセージツールでのやり取りはとても濃密。

こども達が寝た後に1時間以上チャットで話し続けた(打ち続けたかな?)ことは数知れず。

我が家が海外に住んでいた時もそのやりとりはずーっと続き、今に至る。

彼女と話す内容は多岐に渡る。
・こどものこと
・国の制度のこと
・お金のこと
・政治的なこと
・身体の不調のこと

などなど、いろいろなことを話している。

お互いの意見が合うことも異なることもあるけれど、共感したり自分の意見を述べたり、とにかくいろいろ話している。

今回会うことになったきっかけとは?

どちらかが送ったメッセージをきっかけにして、話がどんどん膨らんでいって、長電話ならぬ長時間チャットを不定期にしているので、心理的距離間を感じることは特にない。

だけど今回やり取りをしていて、ふと「そう言えば前に会ったのはいつだったっけ?」と気になり確認してみると、実際に会ったのは3年近く前。
その時は長子達も一緒だった。

3年近くも会っていないことに気付いたら急に会って話をしたくなり、彼女の予定を探ってみた。

で、予定が合いそうな日付を提案してみた。
もし断られたら、それらを論破したり強引にでも会わなくちゃいけない理由を矢継ぎ早に浴びさせかける気満々で、それらを背中に準備してメッセージを送った。

すると間髪入れずに「その日に会おう!」と返事が返ってきた。
背中に準備した『私と会わなくてはいけない理由』という名の脅し文句を一つも使う暇なんて与えられなかった。

なぜ『デート』と表現したのか

会う日は決まった。
彼女の最寄り駅と私の最寄り駅の中間地点あたりの駅で会うことも決まった。
待ち合わせ時間は10時。

こども達の帰宅に合わせるとお尻の時間は決まってしまう。
ランチ待ち合わせじゃ話す時間が足りない。
でも、お互い家のことを済ませてから出る必要がある。
それらを考慮しての待ち合わせ時間が10時。

彼女と会えるなら、別にお店はどこでも良いと思ってた。
ファーストフード店でも、ファミレスでも、コーヒーショップでもどこだって良い。
ただ、座って話をできる場所であればどこでも良かった。

とにかく会えるのが楽しみ。

会うことが決まってから、時間の段取りを考えたり、何を着ていこうか考えた。
それから、私の髪の毛が今ものすごく伸びているのを実際に見てもらいたいと思い、トリートメントをした。

当日は朝からルンルンで用意をして、家を出た。

この状況を客観視したら『デート』ではないのか???

当日の状況

朝、家事をこなして予定している電車に乗れるように家を出た。
電車に乗ってからも彼女にメッセージを送り、目的地到着を待つ。

待ち合わせが中間地点なので、同じくらいの時間の電車。

いざ会うと、久しぶりだけど久しぶり感のない再会。
だけど、やっぱり会えると嬉しい。

場所はどこでも良いと思っていたけれど、駅ビル内に「サイフォン式コーヒー」を出してくれるお店があるので、迷わずにそこへ。
もう、「サイフォン式」って言葉だけで2人してテンションが上がってしまう。

10時はまだモーニングの時間。
メニュー表を見ながら、モーニングにするかランチにするか迷い「まずはモーニングにして、後からランチをたのもう。その後デザート頼むなりして長居しても良いし、お店を変えても良いし」となり、モーニングを注文。

運ばれてきたフラスコとカップのセットを見て、またまたテンションが上がる2人。

そのテンションのまま、こどもの自慢話に始まり、学校のこと、政策のこと、お金のこと、世の中への不満。。。いろいろなことを話し倒して笑ってあっという間にお別れの時間。

「楽しかったねー。じゃあまたねー」とお互いあっさりと別れ、それぞれの電車に乗って帰宅する。


お別れ時はあっさり、をのぞけばやっぱりこれは『デート』ではないのか?

こども達帰宅後に「今日は〇〇ちゃんのママと会ってきた」とお互いが話すから、その日の夜にまたメッセージツールでこども達の反応を報告しあう。

こうやって客観視すると、私たちは遠距離恋愛をしているのだろうか?と思ってしまう。
だから『デート』と書きたくなってしまったのかもしれない。

彼女と私の間の話題に「こども達」は必須。
私達はお互いに 〇〇の母 というのは誇らしい事実だから。

でも、母としてだけじゃなく「彼女」や「私」個人として話がはずむ大切な友人。

ママ友、というと大変な面ばかりが強調されがちだけど、彼女は「ママ友であり、友人」。

というか、ママ友になれたから友人になれた。

子供を持ってみて感じたのは「子供って私の世界を広げてくれる存在なんだな」ということ。
ママ友のように、私一人の人生では接点がなかった人達と私を、こどもがつなげてくれる。

「彼女」とはこれからもずっと友人でいたい。
こども達が成長していくにともなって、もっと話題も増えていくだろう。
悩みも増えていくだろうし、愚痴も増えていくだろう。

励ましあったり一緒にへこんだりして、これからもずーっと長くつき合いを続けていきたい。

こども達がつないでくれた大切なご縁。
おかげで私の人生、とても楽しく過ごせています。
ありがとう。
こども達。

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