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左利きの声は聞こえますか


#デジタルで変わったこと

 デジタルの話題に該当するかわからないが、駅の改札にIC系カードが導入されたときの話。

 世の中で「左利きが器用」と言われる所以は、「右手用のものも扱える」「両手が使える」という点に注目されるからではないかと思う。
 左利き当事者の私からするとそれは必然で、器用と称されることにピンとこない。なんなら手先の不器用さは開き直って誇れるレベルである。
 何が必然なのかというと、日本全体が右利き向けに造られている以上、左利きもそれに合わせるのである。日常的に右利き向け商品や右側に設置されたものを使うのだから、右利きより何かと利用範囲が広くなる。つまり右利き社会が左利きを器用に見せているだけなのだ、と思う。逆にすれば右利きが器用と言われるのだから。

 そんな右利き社会・日本。当然のように駅の改札で切符を入れるのは右側である。なんだそれくらいと思う人は思うだろうが、不便な人には日々積み重なるストレスだ。朝の殺気立つラッシュ時、スムーズに改札を通ることは誰もが願うこと。というか強制されるもの。あのもみ合いへし合いして改札ごとに列をなし、背後から迫る「早よ通れや」という圧力が私は苦手である。
 IC系カードが登場する前、私は常に定期を右のポケットに入れていた。定期券は切符と同じ口に通さなくてはならない。しかも必ず出てくるのでタイミングを間違えず抜かなければならない。タイミングがずれると後ろの人が改札に阻まれたりして非常に気まずくなる。現在IC系カードはタッチ式なのでケースに入れたまま使用できるが、定期券はいちいちケースから出してまた仕舞う手間もあった。それらを主に右手でやらなければならない(別に仕舞うのは後でいいし両手が使えるのだが)。電車通学・通勤であれば毎日避けては通れないと、当時の私は神経質になっていた。
 前述したように、IC系カードはタッチ式であるためケースから出し入れする必要はない。改札機に通す必要がないということは右手の役割が減るということである。なんなら左手でタッチしてもいい。やや体勢が崩れるが、左手で切符や定期券を通すよりは楽である。従来の定期券からIC系カードに切り替えたとき、私はその便利さに感動した。「右手が楽! プレッシャー軽減!」と喜んだ。そのうち「タッチし損なうと後ろの人が」という新たなプレッシャーを知ることになるが、左利きの不便さが少し解消されたことが嬉しかった。

 このIC系カード以外で、デジタル化により左利きの不便が解消された実感はない。デジタル化の美徳に挙げられがちな「利便性」に、左利きの不便解消は多分含まれていない。「右利き向けでもなんか使えるんでしょ。なら大したことじゃないでしょ」と文字通り「大したこと」とは思われていないのだろう。
 大したことないレベルに、左利きが合わせているのだ。受話器が左側にあるから電話しながらメモを取るとき手がクロスしたりいちいち持ち替えたりする。何らかの講義を受ける際ありがちな、「右側にだけサイドボードがつく座席」で体を捻りながらメモを取る。右利きの右側に座ると互いの肘がぶつかるので席順に気を遣う。そうしたことが無意識や日常に刷り込まれていくのだ。不便から生じるストレスを緩和する工夫がサービスされないから、自分に課すのだ。

 右利きであることに不便を感じたことがないそこのあなた。あなたに、左利きの声は聞こえますか。

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