見出し画像

ファン・ゴッホが残した「功績」

<ゴッホ展〜響き合う魂 へレーネとフェンセント>東京都美術館

いまだにゴッホの魅力がよくわかっていない私。
今から2年前(2019年11月)の<ゴッホ展>(上野の森美術館)も
「私はゴッホがあまり好きではないなぁ」と思いながら鑑賞していました。
2年前の私が考えたゴッホ像は…。

画商、牧師を目指すも長続きせず挫折
思いつきで画家を目指すも決して絵が上手ではなかったゴッホ。
ミレー を始めとする画家の模写や真似をしながら、短期間のうちにコロコロ様式を変えていったゴッホ。
最後には自分自身の画風を確立しつつあったが、弟テオに経済的負担をかけながら成功を見なかったゴッホ。
愛に飢え、自分を理解してくれる人を求め続けたのに、それが叶わなかった。
自分は何でもできるんだ!という思い込みと、実際にできることとの隔たりに悩み精神を病んでいったゴッホ。
※ 私の勝手な思い込みによる記述をお許しください。

現代の日本で絶大な人気を誇るその理由は、作品が独創性で 人を惹きつける魅力があるのは確かでしょう。
しかしそれ以上に、
① カンヴァスでは表現しきれなかったことを補うために「書簡」を数多く残したことが幸いして、一つ一つの作品と画家の心情をリンクする鑑賞者の理解を助けている。
テオや親しい友人に、自分はこんなに頑張っているんだ!自分の作品はこんなに素晴らしいのだ!とわかってもらいたかったのでしょう。

② 精神的に病んでいく画家の数奇な運命が、小説や映画の題材としてピッタリ!壮絶なドラマとして興味を引かれる。衝撃的な死を選択したことも、ドラマ演出の一つとなっているかもしれません。

これらがゴッホ人気の最大要因なのだ!…と考えていました。

+++++++++++

ダメだ、このままではゴッホの魅力に気づけないまま終わってしまいます。
何冊か本を読んでみました。
小林秀雄氏『近代絵画』(新潮社)で引用されていたドイツの哲学者ヤスパースの言葉。

ゴッホの絵に、分裂病的な特徴を読んだだけでは、何事もはじまりはしないが、又、ゴッホの絵が、他の健康な天才的才能を言うのと同様な意味で独創的だと言ってみたところで、何を言った事にもならない。彼の絵に現れた「特殊な或るもの」を体験しなければ駄目だ!

よし、体験しに行かねば!

ゴッホの作品に深い精神性や人間性を感じ取ったへレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションを通じて、「特殊な或るもの」を見つけてくるぞ!
と、10月16日(土)東京都美術館に足を運び、じっくり鑑賞してきました。

********************

画商、語学教師そして牧師を長く続けることができなかったゴッホについて、『週間美術館・ゴッホ』は、
“ゴッホは神のしもべになりたかった。しかし、「情熱がそれを妨げた” と解説しています。

「僕はいったい、何の役に立つのだろう。何をしたらよいのだろう」と最後まで苦しんだというゴッホの生涯は、 
“その「個性」との凄まじいまでの格闘”(小林秀雄氏)でした。
彼が「情熱」をぶつけ、「個性」と格闘した作品を、私なりの視点で振り返ってみます。

+++++++++++

◉ 〜ファン・ゴッホの「デッサン」〜

“画家になるためにはまず素描に習熟する必要があると強く確信していた”(図録) ゴッホは、巨匠による版画や素描見本に倣って何百点も模写しました。
しかし友人の画家ファン・ラッパルトから
「種まく人ではなく種まく人のポーズを取る人である」などと動きの乏しい生硬せいこうな表現を批判されたと言います。

左)『耕す人』(1883年10月半ば)
右)『刈る人』(1885年7-8月)

画像2

確かに、デッサンだけで 農民たちの「動き」ある日常を描き切った!とは言えないような気がします。あくまで誰かの模倣であり、ゴッホらしさ・ゴッホの個性は全く感じられないのです(私見)。

“ゴッホに素描の天賦の才はなく、彼にもその自覚があった”(図録)といいます。そこで、絵画を始めた初期だけでなく、その後も “何ヶ月も人物素描を描き続け” る こともあったそうです。
“当面は色彩に関する問題と距離をとり、大筋としてはできる限り純然たる素描に専念した” ゴッホ。 
ゴールを急ぐことなく 基本を習得するために努力を続けるその姿勢。私も見習わなくてはなりません。

+++++++++++

◉ 〜ドラクロワの「色彩」〜

ハーグ派の暗い色合いで描いていた初期の油彩画では、まだ人物の動きや農村の生活感は描ききれず、人も自然も空気も止まったままのように感じます(あくまでも私見です)。

『織機と織工』(1884年6-7月)

画像3

この作品を描いた後からゴッホは「色彩を使う実験」を試みていきます。
ドラクロワの色彩理論から最も強烈なコントラストを持つ「補色」を学んでいくのですね。

『白い帽子を被った女の顔』(1884年11月-1885年5月)

画像4

展示会場で、ゴッホが色を重ねたひと筆一筆をじっくり見てきました。
画像ではわかりにくいのですが、“顔に使われた赤と、周縁の緑の陰影がコントラストをなして” います、お見事。
「色彩」でゴッホ作品に大きな変化が起きたようです。描かれたモデルが、一気に生々しく魅力的になりました。
また、補色を使う実験の過程で、ゴッホが何度も筆を重ねて色の効果を試していることがわかります。はからずもこれが厚塗り手法へとつながっていったのかも知れない…と勝手に興奮していました。

+++++++++++

◉〜モンティセリ「厚塗り」、印象派の「筆致」、浮世絵の「構図」〜

色彩の扱いについてゴッホは、
“ドラクロワを手本とし続け、自らとよく似た色彩の扱いを好んだモンティセリを同志だと感じた。モンティセリの密度の高い規則正しい厚塗りを見て、ゴッホは激しい筆遣いを試みるようになった”(図録)そうです。

“激しい筆遣い”… アドルフ・モンティセリとの出会いもゴッホにとって非常に大きかったのではないでしょうか。
そういえば、2年前の<ゴッホ展>で私の足が止まったのが、絵の具を厚く塗り重ねたモンティセリ『陶器壺の花』の前。
大胆な色彩表現、厚塗りによる荒々しい筆触による描写表現。うんうん、ゴッホに大きな影響を与えたという記述に納得です。
以下3点)モンティセリ作品(今回の展示会には出品されていません)

画像1

調べてみると、2008年にマルセイユで<ゴッホとモンティセリ展>と題し、ゴッホがモンティセリから受けた影響に注目した展覧会が開かれたそうです!見たかったです。

パリに滞在していたゴッホは、印象派の画家たちと交流を深め、また日本の浮世絵版画が “彼の制作と思考を強く刺激した” といいます。
印象派の「明るい色彩」と「筆致」、新印象派の「点描」そして浮世絵版画の大胆な「構図」…。

左)『レストランの内部』(1887年夏)
右)『石膏像のある静物』(1887年後半)

画像5

次々変わるゴッホの作風は、自分だけの表現手法を探す過程での 彼の挑戦と努力の賜物なのですね。

+++++++++++

◉〜ファン・ゴッホ「」の作品〜

アルルの光と太陽に魅了されたゴッホは、
“真の現代の芸術家とは、卓越した色彩家である” と考え、「自然の色から出発するな。自分の色調の調和から、自分のパレットの色から出発せよ」と言う根本の考えを変えなかった(小林氏)そうです。
彼は書簡の中で
「絵画における色彩とは、人生に於ける熱狂の様なものだ。これの番をするのは並大抵のことではない」と書いています。
ゴッホが自分の「個性」「情熱」をぶつけることができたのはデッサンではなく色彩表現でした。

では「デッサン」に対する考え方はどのように変化したのでしょうか。
『星月夜』(1889年)について『名画の見どころ読みどころ』(朝日新聞社)にこんな表現を見つけました(今回の展示会には出品されていません)。

画像6

幻であろうとなかろうと、画家にとって「夜空」は静かさをたたえたものではなく、自分自身を取り込んで渦巻くような圧倒的なものとして存在している。それを表すためにゴッホは「見せかけの正確さよりももっと意志的なデッサン」を用いた(山梨俊夫氏)

ゴッホに見えていた風景は、美術のお手本のような風景画とはまるで違っていたのです。そんな見せかけの正確さを表現しようとしていた初期の素描にゴッホの個性がないのも納得できます。

ゴッホだけに見える・感じる世界を描くことに成功した作品では、デッサンと色彩は一体化し、色を乗せた筆でかたどられた景色にゴッホの「個性」は発揮され「情熱」がほとばしっています。「夜空」「糸杉」そして「ひまわり」は熱い情熱を込める題材としてピッタリだったのです。

左)『サン=レミの療養院の庭』(1889年5月)
右)『夜のプロヴァンスの田舎道』(1890年5月)

画像8

+++++++++++

◉〜ファン・ゴッホの「功績」〜

「ゴッホが好きではない」と公言していた私ですが、今回見つけた お気に入りの作品の前に立つと、
空気の流れ、風の温かさや冷たさを感じることができるようになりました。
光は広がり、溶け合い、まぶしく瞬き、また暗く深く影を作ります。
描かれた全ての物に宿る生命はうごめき、もがき、叫んでいるのです。

展示会場で気になった作品。『緑のブドウ園』(1888年10月3日頃)

画像7

アルルでゴーガンの到着を待ち焦がれていた時期に、ゴッホが一日で描きあげたブドウ園。画像や図録の写真では作品の良さが伝わらないのが残念です。

明るい「色彩」を重ねたブドウの木はうねり、我々の眼前に飛び出さんばかり。制作への情熱生きる喜びがゴッホに溢れているのを感じます。
そして特に着目したのがカンヴァスの奥に永遠に広がると思われる景色。観ていると、ゴッホが憧れた 未来の希望ある世界に吸い込まれそうになるのです。
短い時間かもしれませんが、ゴッホが希望に胸を膨らませていた瞬間。そこに、私も立ち会えたような喜びに心が震えたのです。

今回、ゴッホの「書簡」やゴッホに関連する本を読み、彼の努力、苦悩と成長を自分なりに理解して鑑賞することで、ゴッホの魅力に気づき、ゴッホ作品を観る方法が少しわかったような気がします。

ハッ!
Ha!!
はっ!!!

これって、「自分のことをわかってほしい、愛して欲しい!」というゴッホの望み通りになっているという事ではないですか?

後世を生きる未来の、そして世界中の人々が「作品」や「書簡」を通して、自分の苦しみ、喜び、悲しさや怒りを最大限理解しようと 自分の気持ちに寄り添ってくれ、共感最大限の評価と尊敬をくれる…。
ゴッホが生きているうちに叶わなかった望みを我々が叶えているのですね。

これがゴッホの残した「功績」なのですね…凄すぎます!!!
かくいう私も、展示会から戻った後、図録やゴッホの関連本を読み、この10日間はゴッホのことばかりを考えていました。やられた!(笑)。
ゴッホの偉大さ…。私にとって衝撃の大発見でした。

*********************

いつもに増して投稿が長くなってしまいました。
ここまでお読みいただいた方がいらしたら、お疲れ様です。ありがとうございます。
<ゴッホ展>で観た ゴッホ以外の画家の作品についても投稿しようと思っていたのですが、次回にします。

<終わり>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?