【天地創造】を想像する
2017年夏に絵画鑑賞を始めるまで、キリスト教や聖書に触れる機会はほとんどありませんでした。それでも、「混沌(カオス) 」という言葉を知ったのは、学生の頃に読んだ【天地創造】に関する記述だと思います。
何歳の私が どこで何を見たのか覚えていないのですが、「混沌」という語感から、この世ができる前の無秩序な状態を自分なりに想像したのを覚えています。
最初に観た【天地創造】は、2018年3月の大塚国際美術館(徳島県)の陶板作品でした。
ヒエロニムス・ボスの『天地創造』は、三連祭壇画の外翼(閉じている蓋の部分)に描かれたグリザイユ(緑灰色のモノクローム)。神が天地の創造を始めて3日目、大地から水が引き、草木が芽生える様子を描いているようです。
おっ、左翼の左上!
静かに蠢き始めた地球を、満足そうに眺める “創造主=神” が小さく描かれています!「何だか面白い絵だ」と喜んでいると、あれれっ。外翼が自動で開いていきます。
中から現れたのは、内翼にあるもう一つの作品=色鮮やかで摩訶不思議な人間世界『快楽の園』(下の画像)。
これこそが「混沌(カオス)」ではないですか!。
大塚国際美術館ならでは! の驚きの演出を何度も眺めながら、ボスという画家の想像力に圧倒されたのを覚えています。
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さて現実の世界。
2月19日(日)は、単に大量の荷物を新居に移動しただけ という引越し直後の状態。100個以上のダンボールに囲まれて 日常品を探し回るという「プチ混沌」を抜け出したくて【天地創造】を鑑賞してきました!
今回は絵画ではなく、ヨス・ファン・フェルトホーヴェン合唱団の
演奏会 <ハイドン『天地創造』>です。
クラシックの演奏会に自分から進んで足を運んだのは、2022年の<カルミーナ・ブラーナ>が初めてでした。詳しいことはわからずとも、とにかく楽しかったので 今回もお誘いを受けたとき「是非行きたい!」と即答。
チラシを見ながら「へぇ〜。“オラトリオ”って、キリスト教の題材をオーケストラ、独唱と合唱という構成で劇のように演奏するものなのね」とまた一つ学ぶのでありました。
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ハイドンの『天地創造』には、起承転結や人間ドラマはありません。
キリスト教を信仰する人たちにとって【天地創造】ってどんな意義を持つのでしょうか?
創られた物語ではなく、真実当たり前の大前提なのでしょうか。科学技術が進歩した現代において、子供たちに【天地創造】をどのように教え説いているのでしょうか。。。
今回の指揮者ヨス・ファン・フェルトホーヴェン氏によると
ふむ、ふむ。
我々の現実世界とは異なるが、決して創作された物語ではない、信仰の概念における根本的な大前提…とでも捉えればよいのでしょうか。
そして、なるほど。
キリスト教における「天地創造」ってそういうこと(何の憂いもない幸福な状態)なのですね。現在でもオーストリア・ウィーンで、新年の演奏会に恒例としてこの曲が演奏されているという記述に納得です。
「最近、誰かが苦しんだり悲しんだり、ドロドロした関係を描いたドラマや映画は見たくないんだよね」
と、ちょっとお疲れ気味の旦那さんにも「罪も罰も苦難もなく、邪悪なものなど入り込む余地のない、啓かれた世界」を聞かせてあげたかったです。
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前置きが長くなってしまいましたが、本題へ。
今回の演奏会を鑑賞して、
① さまざまな楽器の音色に酔いしれた
② “合唱” という表現方法の素晴らしさを発見した
③ はじめて、「指揮者の力量」を感じたのです。
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まず、
①さまざまな楽器の音色に酔いしれました。
開演前のランチタイム。演奏会を一緒に鑑賞する友人が
「学生時代に吹奏楽部でトランペットを担当していたの」と教えてくれました。
あらっ、まぁ。
実はわたくし。小学校の運動会で大役に抜擢され、短期間だけトランペットを練習したことがあります。
全校生徒、先生そして父兄の方々が固唾を飲んで見守る中、男子2人と私が運動場の中央まで走り出て胸を張り一呼吸。そして運動会の開会を告げる合図のファンファーレを高らかに吹き上げたのです。あの青空、気持ちよかったなぁ。
話を戻します。
最初のひと吹きだけで人々の注目を一気に集めるトランペットの音色。
オーケストラの中でどんな役割を果たすのでしょうか。
『天地創造』の中でトランペットはどんなシーンを表現するのかしら。興味津々。
そしてこの彼女の昔話が、私の鑑賞態度を決定したのです。
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いよいよ開演。観客たちはシートにゆったり座ってコンサートホール全体に響き渡る演奏に身を委ねています。
そんな中、私はオペラグラスを片手にステージ上のさまざまな楽器を観察するためにキョロキョロ。
「この音色はどの楽器から聞こえているのかしら?」
「オーボエとクラリネットの音色って、全然違うのねぇ」
「うわーーっ、あのファゴットの王様みたいな楽器はどんなシーンでどんな音色を奏でるんだろう?」
公演中ずっとオペラグラスを覗いていたのはおそらく会場で私一人だけ。
そして演奏中にパンフレットを広げて正式な楽器名もチェック。
今回編成されたオーケストラ(レ・ヴァン・ロマンティーク・トウキョウの皆様)は、
フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ、フォルテピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス…。
ノスタルジックな音色はチェンバロではなく「フォルテピアノ」なのね。
ファゴットの王様は音色も王様、名前は「コントラファゴット」!!。
私の怪しい挙動で周囲の人に迷惑をかけてなければよいのですが。。。
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演奏会が終了。
「動物たちが誕生する時の演奏が素敵だった!」
感受性豊かでまっすぐな瞳を持つ友人は、偏りなく演奏会を楽しんだようです。流石!。
一方の私は、楽曲の中で「ここが耳に残っている」、「このメロディが印象的」…という部分は正直ありません(特異な鑑賞方法を選択したからかも知れません)。
しかしそれぞれの楽器に “見せ場” があり、その音色がとてもうまく生かされているような気がしました。
「コントラバスの刻む重低音のリズムにクラリネットやオーボエの優しい音が乗ると、大地の響きを感じるんだ!」
「やはり小鳥たちの囀りはフルートが似合うのね」
「突然のホルンは、何かが誕生したシーンにピッタリだぁ」
いやぁ〜、楽しかったですね。そして感動しました。
楽器という道具を使って何かを表現する、そして音楽を通して他の人と時間を共有し何かを創り上げる…なんて素敵なのでしょう。
無性に何かの楽器を演奏したい衝動に駆られます。何もできないのですが。
そして、ハイドン『天地創造』のスコア(総譜)を入手して、それを片手にもう一度演奏を聴きたくなりました。ちょっとマニアックに走り過ぎですね(笑)。
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私が酔いしれた「さまざまな楽器の音色」は、物理的な楽器だけではありません。
演奏会の冒頭、オーケストラの演奏にバス・ソリスト与那城さんの低くて響きある声が加わったとわかった時、ちょっと鳥肌が立ちました。
「これは人の歌声なの?」まるで低音パートを担当する楽器の音色のようだったので、与那城さんが立ち上がっていなければ歌っていると気がつかなかったかも知れません。
他のパートのソリストの方々(松井亜希さん青木洋也さん櫻田亮さん)も、それぞれ実力ある素晴らしい演奏者なのだと思うのですが、オペラのように自身を主張することなく、オーケストラの一部であるかのように全体に溶け込んでいました。
まるでハイドンが、オーケストラ構成の一部として歌声という楽器パートを組み込んだかのようです。全てのパートを掲載したスコアには、
・「バイオリン」
・「トランペット」
・「歌声」
・「ティンパニー」。。。
と併記されているかも(笑)。やはりスコア(総譜)を入手したくなりました。
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② “合唱” という表現方法の素晴らしさを発見(?)しました。
そういえば今回は、
“ヨス・ファン・フェルトホーヴェン合唱団 第一回演奏会”
そう、合唱団が主役なのです!
オペラグラスで合唱団を覗いていると、きちんと年齢と経験を重ねたであろう方々が並んでいます。
確かに 学生の合唱団やゴスペル・コーラス隊のように見た目の統一感はありません。その歌声も、あらん限りの息を体に共鳴させて精一杯ノドを震わせている大学生の合唱団とは全く異なっています。
しかし 『天地創造』と向き合い真摯に歌っている彼ら彼女らは、オーケストラやソリストたちとステージの上で見事に一体化していました。
はっ!そうか。
今まで、合唱団って “主役を盛り上げるための脇役” だと思っていました。それは大きな間違いで、合唱も楽曲全体を演奏する一つの重要なパートなのですね。
今回の『天地創造』におけるそれぞれの役割は、
・オーケストラ(楽器)…神によって創られていくこの世の有様を表現
・ソリストたち…神の偉業を語る天使たちの語り
・合唱団…天使に賛同する自然の生きとし生ける物の内なる声
を表現しているのですね。
うわーーーっ、素晴らしい!
作曲ができなくても楽器ができなくてもオペラが歌えなくても、自分の体を使って芸術表現者の一員として舞台に立つことができる、それが合唱なのですね。
全編ドイツ語の歌詞を理解し覚え、『天地創造』の喜びを表現することに一年間取り組んで来た合唱団の皆さん。演奏会の拍手に応える彼ら彼女たちは達成感と喜びに輝いていました。
横にいる友人も「合唱っていいよね、楽しいだろうね。いつかやってみたい」と。
なるほど、アリかも知れません。
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そして、
③ はじめて「指揮者の力量」というものを感じたような気がします。
これまで。
有名な指揮者カラヤン氏、小澤征爾氏の演奏をレコードやCDでチラッと聞いたことはあります。指揮者によって、テンポや強弱など細かな演奏が違ってくるのは理解できます。しかし、演奏の出来栄えはやはりオーケストラの皆様の力量に拠るのでは?指揮者によって演奏ってそれほど大きく変わるものなのかしら?と思っていました。
今回。
私が感じた演奏者たちの一体感、観客に伝わってくる壮大な『天地創造』は、指揮者であるヨス・ファン・フェルトホーヴェン氏が創り出す世界であり、演奏会全体が彼の表現なのだと感じました。
もしかしたら日本人、そしてキリスト教の信者ではない我々ではわかり得ない、ハイドン【天地創造】の真髄を最もよく理解できるのは、オランダ人であるヨス・ファン・フェルトホーヴェン氏だけなのかも知れません。
そして彼が感じているところの【天地創造】のエネルギーと魂を、演奏者たちに注入するのが指揮者としての役割なのですね!
作曲者ハイドンがそうであるように表現者それぞれが想像する【天地創造】があります。
指揮者ヨス・ファン・フェルトホーヴェン氏の思い描いた世界を表現するために、
動物たちの誕生を、どんな音色で演奏しましょうか。
神の偉業を伝える天使の言葉を、どんな声で歌いあげましょうか。
天地が創造される様を目の当たりにし、天使の言葉を聞いた私たちは、どんな気持ちを込めて讃美しましょうか。
演奏会が終わってから、じわじわと今回の公演の素晴らしさが広がっています。
いやぁ〜。もう一度最初から鑑賞したいです。
今度は、シートにゆったり座ってコンサートホール全体に響き渡る演奏に身を委ねることができそうです。
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【天地創造】。
ヒエロニムス・ボスは、神の偉業を讃える一方で、それ以降に繰り広げられる人間たちの愚業、そして人間たちの進む行く末をも描き出しました。
キリスト教や聖書について絵画を通じて少しだけ知るようになった私に【天地創造】の意義を理解することは困難です。しかし自分なりに想像することはできます。
宇宙や自然の存在、その全てが神の偉業であるとは信じられなくとも、
とてつもない奇跡の積み重ねにより、自然豊かな緑の地球が生まれ、私が現在、健康でこの場に存在していられる幸運について、
苦難に耐えながら開拓を続けてきた先人たちの偉業があったこと、
この世の未来、そして子孫の平和を願う祖先の愛情がどれほど強いものであったのか。。。
全てのものに対する感謝と喜びを込めて、私も【天地創造】の表現者となりたい!
と思って、この記事を書かせていただきました。
<終わり>
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』については、こちらで少し触れています。
昨年鑑賞した<カルミナ・ブラーナ>については、こちらで。
お時間ある方は、是非。