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<悪ものたち> と 【版画】 の魅力

国立西洋美術館・常設展の一室で開催されている小企画展、
<美術館の悪ものたち展> を観てきました。

数十点の【版画】作品と数点の絵画が並んでいます。
版画】って、
① 色を乗せていない作品が多いから、画面のどこに注目していいのか分かりにくいんですよ!
丁寧に説明してくれないと、何を描いた題材なのか分からないんですよ!
という私の声を聞いてくれたのでしょうか⁈(そんな訳はないのですが)。

① 作品に潜む「悪もの」に注目してください!
おなじみの題材をいくつか並べて解説しましたよ!
と。ありがとうございます(^^)。

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まずは、① 注目ポイント

ブリューゲル、デューラー、クラーナハ、ゴヤ、カロ、ムンク、ルドン・・・。
いつもなら作者の豪華さに気を取られてしまうのですが、今回は「悪もの」だけに注目します。
悪魔に魔女、竜に死の化身、人間に潜む “罪” や “悪” 。。。
画面のどこに「悪もの」が潜んでいるの?。
探していると、版画作品に彫り込まれたいろいろな物が生き生きと浮かび上がってくるような気がします。
楽しい!

そして、② おなじみの題材の作品!

以前から国立西洋美術館が所蔵するテニールスとファン・タン・ラトゥールの描いた『聖アントニウスの誘惑』が大好きで、この題材を描いた他の画家の作品も一緒に見たい!と思っていたところです。
今回、残念ながらファン・タン・ラトゥール『聖アントニウスの誘惑』は同じ部屋になかった(常設展に展示されていました)のですが、こんな作品がありましたよ。

左上)『聖アントニウスの誘惑』ダフィット・テニールス
右上)『聖アントニウスの誘惑』ルカス・クラーナハ(父)
左下)『聖アントニウスの誘惑』ジャック・カロ
右下)『聖アントワーヌの誘惑』オディロン・ルドン

聖人を何とか誘惑しようと近づく あれやこれや・・・。
クラーナハ作品(右上)の中にも意地悪な顔をした無数の「悪もの」たちを見つけました。楽しい!。

また会場には、版画に彫り込まれた「生き物」を探すクイズ・パネルもあります。

<美術館の悪ものたち展> は写真撮影OK

答え合わせは、是非 会場で。

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またジャック・カロの描いた『七つの大罪』。
この題材は、映画『7(SEVEN)』を見てから非常に興味を持っていました。

左上から『傲慢』『怠惰』『大食』『淫乱』
左下から『嫉妬』『憤怒』『貧欲』

七つの大罪が1枚に並べられた作品は、ラテン語表記も美しく「superbia=傲慢」「pigritia=怠惰」「gula=大食」「luxuria=淫乱」「invidia=嫉妬」「ira=憤怒」「avaritia=貧欲」。
シンプルな構図で統一感があり、ひとつ一つが小さいので遠目に見ていると “罪深い” 人々が描かれているとは思えません。
しかし近づいてみると、それぞれの “罪” の象徴とされる動物が一緒に描かれているようです。「傲慢」には孔雀、「怠惰」にはロバ、「大食」には豚、「淫乱」には山羊?、「嫉妬」には犬、「憤怒」には獅子、そして「貧欲」の足元で寝ているのは狐かしら?
自らの “罪” に全く気がついていない人間に対して、動物たちはちょっと怖い顔をしています。

『七つの大罪』といえば、ダンテ・アリギエーリの『神曲』煉獄篇。
映画『7(SEVEN)』で、事件解決のキーポイントになっていました。
興味はあっても『神曲』を読むのはハードルが高い・・・のですが、『神曲』にまつわる芸術に注目するのも面白いかも知れませんね。

サンドロ・ボッティチェッリ『ダンテ・アリギエーリ』1495年

そういえば以前、私の携帯ストラップ(考える人)をアリギエーリと名付けた経緯について投稿していました。その時に引用したボッティチェッリの描いたダンテを再掲します(上の画像)。ルネサンス文化の先駆者の顔を 再度脳裏に焼き付けておくことにします。

そうそう。近くに展示されていたこちらの『大食』は愛嬌がありました。

ジェイムズ・アンソール『大罪:大食』1904年

アンソールが描いた、他の六つの『大罪』も見たくなりました。

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そして絵画でお馴染みの題材には、こんな版画作品も並べられていました。

左)ウィレム・パネールス『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』1631年
右)ボエティウス・ボルスヴェルト『最後の晩餐(ルーベンスによる)』

サロメの表情(左)、ユダの表情(右)。「悪もの」が魅力的ですね。
そんな人々の表情だけでなく、布やお皿・テーブルといった物の質感、そして明暗表現・・・うぉーーーっ、凄い!
色のない版画の世界で、これほどまで生き生きと物語を表現できるとは。。。
鑑賞している私が、自分の想像の世界で自分だけの色彩を乗せることができるのですね。【版画】って絵画作品と同じように、いや…絵画作品より、魅力あるかも!

展示室に並ぶ、マンテーニャ、ブリューゲル、デューラー、クラーナハ・・・巨匠たちの作品は必見。引き込まれること間違いなし!です。
彼らの彫り出した作品を観ていると、
絵を描く才能に恵まれた人々の中でも、さらに一握りの天才にしか生み出せなかったのが【版画】なのではないかしら?と思えるほど素晴らしいです。
だって、絵画は「線」と「色」で表現できるのですが、【版画】は「線」しかない、しかも「彫る」技術も必要なのですから。

そして、ひと口に【版画】と言っても、その手法(エッチング、エングレーヴィング、ドライポイント、木版など)によって印象が全く違います。
いやぁ〜。【版画】の世界、面白そう!

そして前述した「絵画作品より、観者の想像力を掻き立てる」という特徴から、【版画】は文学作品の挿絵と相性が良いのですね。

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以下は、勉強不足=私 のひとり言です。気にしないでください。

オノエ・ドーミエ、ムンク、ルドン・・・展示室 後半には、かつての巨匠たちの版画とは趣を異にする作品が並んでいます。
絵画に【ルネサンス】【バロック】【印象派】など分類があるように、版画にも分類があるのかも知れません。今度資料を読んで勉強することにします。

私見。
今回の小企画展を見ている限り、【版画】を大きく分類するとしたら、
◉ 現実に見える世界を、色のない【版画】でいかに写し出すのかを追求した作品
ブリューゲル、デューラー、クラーナハetc. … 正確に精緻に、そして明暗、表情、質感までも彫り出す・・・まさに神技。
◉ 現実に見える世界をそのまま写し出さず、寓意を含ませ、また物事の本質やそれに対する評価(批判や嘲笑など)を込めて観者を楽しませる作品
に分かれるかしら。。。

そして、その分岐点となったのは・・・?
直感ですが、もしかしてフランシスコ・ゴヤが創り出した【版画】作品= “寓意に満ちた幻想版画” が大きな転機になっているのかも!
(全くの素人の勝手な想像をお許しください)
今後、独自に調査・探求してみます。

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話を<美術館の悪ものたち展>に戻します。
最後に注目したいのが、こちらの作品&芸術家。

アルフレート・クビーン『死の舞踏:死の仮面』1918年

アルフレート・クビーンは、Alfred Kubin = “クービン” と表記する本や、“クービーン” と発音する映像を見たことがあったので、私もクービンと覚えていました。ここでは美術館に合わせてクビーンと表記することにします。

アルフレート・クビーン(1877-1959)は、オーストリアの版画家、イラストレーター・挿絵画家。
クビーンについて語っている大手拓次氏の詩集『藍色のひきがえる』について、2021年2月の記事で「もっとクビーンの作品が見たい!」と投稿していました。

ブレエクより、ビアヅレエより、モロオより、ロオトレエクより、ドオミエより、ベツクリンより、ゴヤより、クリンゲルより、ロツプスより、ホルバインより、ムンクより、カンペンドンクより、怪奇なる幻想のなまなまと血のしたたるクビンである。

大手拓次『藍色のひきがえる』より
アルフレート・クビーン『良き医者』

『良き医者』とは、息の根を止めてくれる死神のような存在なのかも⁈。
クビーンが創りだすモノクロームの世界を見ていると、
いつの間にか自分の心の中に溜まっていた、「残酷」という名のざらざらした砂の存在に気づいて驚愕するのです。自分が持つ「悪」に鳥肌が立ちます。

クビーン、デッサン作品

カンディンスキーやクレーらの表現主義グループ[青騎士]に参加していたというクビーン。ドストエフスキーやエドガー・アラン・ポー作品の挿絵も担当していたというクビーン。
うわぁーー!。クビーンが挿絵を担当したエドガー・アラン・ポー作品、読んでみたいものです。

そんなクビーンの作品が今回の小企画展のポスターになっています。

<美術館の悪ものたち展>ポスターの一部

人間の格好をした死神が「さて、いっちょやったりますか!」と腕を鳴らしているのでしょうか。
企画展のタイトル字、「悪」にツノが生えているのが可愛いですね。

ともあれ、この部屋にうごめく悪ものたちは、まるで反省の色を見せず、みな生き生きとしています。また、正しくない者たちであるがゆえに、あるべき姿で描く必要がなく、その造形にはしばしば、制約に縛られない芸術家の自由な想像力が発揮されています。悪ものたちがかもし出す魅力をお楽しみください。

展示会場のパネルより

生き生きとしている悪ものたちが本当に魅力的。
2023年9月3日(日)まで展示されているので、必ずまた行きます!

<終わり>

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