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確かに、そこにいた。 <ポンペイ展>

自室の本棚が美術展の図録でいっぱいになってきたので、そろそろ「図録を何でも欲しがる病」を克服しなければなりません。本当に必要な、そしてしっかり読み込む自信がある一冊に限定しなくては!と決意しました。

と、先週行ってきた<ポンペイ展>で図録を購入しました(笑)。
展示作品の全てが写真撮影OKだったため、気になった作品はしっかりスマホのアルバムに収めることができました。にもかかわらず、ポンペイのことがもっと知りたくなって 我慢できなかったのです。

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西暦79年、イタリア南部にあるヴェスヴィオ山の大噴火で街ごと埋まった古代都市ポンペイ。
掘り出された遺跡たち=<展示品>は、城壁で囲まれた街の中に裕福な人々が暮らしていたことを物語っています。

まず、そのデザイン性に惹かれたのは調理器具・装飾品など。

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左)『料理保存器』。膨らんだ胴に開いた穴から燃料を入れて使用するそうです。このフォルム、愛らしいですね。
右)ブロンズでできた『燭台』は、高さ120cmあるスラッとした逸品。こんな燭台が家にあったらお洒落✨。

近づいてじっと見ていると、センス光る✨装飾が施されていました。

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左『料理保存器』の土台3本の脚部分は、ギリシア神話に登場する海の怪物、セイレーンになっています。
そして、右『燭台」の正体は互いに絡み合いながら柄を作っている三匹のヘビ!
とぐろを巻いた尾が燭台の土台となり、蝋燭を乗せる台の部分は蛇の頭となっています。カッコイイ!!!。ますます欲しくなりました。この燭台のミニチュア版がグッズで売られていたら、お高くても購入したこと間違いなし!です。

他にも気になる品々がたくさんありました。
下・左)はワインを注ぐための容器。花瓶として使いたい✨。
下・右上)は『フライパン』の持ち手の部分が面白いですね。
下・右下)は『パレード用の兜』。す、すごいです…。

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ポンペイでは、色が付いた小さな石のかけらを寄せ集めて作られた【モザイク画】で住宅の床や室内を飾っていたのですね。
精巧な【モザイク画】は、専門の工房でプロの職人たちによって作られていたそうですが、1cm四方にも満たない小さな石を渡す人、それを埋め込んでいく人が作業している工程を想像するだけで楽しくなります。

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訪問者に番犬の存在を示す『猛犬注意』(中段・左)は大いに好まれて、ローマの住宅にも普及していたそうです。こんな【モザイク画】を埋め込んだ住宅があったら、現代でも素敵ですね。
『葉綱と悲劇の仮面』(下段)には、約20万個以上の石が使われているというのですから、気が遠くなりそうです。

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そして私が大注目したのは、やはり絵画。湿った漆喰の上に水彩絵の具を塗る伝統的な【フレスコ画】法を用いた壁画が数多く展示されていました。
上段・左)『書字版と尖筆を持つ女性(通称「サッフォー」)(50〜79年)。
上段・右)『三美神』(前15〜後50年)。私が今までに観た中で一番古い時代の『三美神』。うわーっ、仕上がってますねぇ。美しい✨
下段)『職人仕事をするクピドたち』(50〜79年)。面白いですね。クピドがいろいろな活動に従事する絵は 初めて見ました。 左から「鋳造工」「土地測量官」「靴職人」「家具職人」ですって!楽しい(^^)。

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現存しているギリシャ・ローマ絵画はごくわずか、と言われている中で、79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって鮮明に保存されたポンペイの壁画たちは、大変貴重なものとなっているそうです。

ポンペイの街が火山灰に閉じ込められた後、キリスト教がイタリア半島に伝わり、ヨーロッパは中世と呼ばれるキリスト教文化の時代に突入していきます。そこで描かれるようになっていく【宗教画】も、迫害→公認、偶像崇拝禁止、イコン、イコノクラスム(偶像破壊運動)と大きな制約を受けるようになるのです。
そんな重苦しい時代の到来を考えると、ポンペイの壁画は 型に縛られない 自然で生き生きとしているように感じました。のびのび〜。

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日用品に施された装飾、床や壁を飾る【モザイク画】に【フレスコ画】。
ポンペイの街に住む人々は、生活が豊かで他国との交易が盛ん。そして何より誰かに自分たちの裕福さや知的レベルを見せつけることが求められていたのですね。
今から約2000年前の日本は、集落の水田で米づくりを始めた弥生時代。同じ時代にイタリア南部でこんな生活が送られていたなんて…。

と、展示室で夢心地になっていた私の目の前に突然現れた『奴隷の拘束器具』。

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奴隷たちは脚を固定され、自由に行動できないようになっていたのですね。
こんな器具、全く身動きが取れないじゃないですか…。
以前読んだ『その女 アレックス』(ピエール・ルメートル)の冒頭シーンで強く感じた閉塞感と圧迫感、胸が詰まる思いが一気に蘇って来ました。苦しい…。

今回の<ポンペイ展>ではあまり取り上げらていなかったもう一つの側面。奴隷制度に異教徒の迫害、戦争、支配する側に立つための勢力争い…。

前回投稿した『国際文化画報』(1952年)の特集記事ポンペイに、
「悲惨な奴隷の競技や異教徒の迫害のために猛獣を放ってその餌食にしたと言われる円形競技場は、血生臭い不気味な沈黙で永遠の呪を含んでいる。血の遺跡である」
とありました。

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        ↑ 1952(昭和27)年4月号の特集記事より
過去の英雄たちが築いてきた輝かしい栄光の影には、犠牲となった人たち、虐げられた人々がいて、その存在すら消し去られているという現実。
周囲に流されやすく、物事を深く考えない私が、もしポンペイの上級家族に生まれていたら、奴隷は我々のために働くのが当然だ、と思っていたかもしれません。
広い視点から物事を見極め、しっかり善悪の判断をし、真っ直ぐ行動できる、そんな人間になりなさい!、とポンペイの遺跡たちからメッセージをもらったような気がしました。

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帰宅して<ポンペイ展>の図録を読みながら 当時の人々に思いを馳せていたら、歌手ビヨンセが 2012年の世界人道の日(8月19日)に国連本部で歌った
『I was here』を思い出しました。

(歌詞)
時の層に足跡を残したい
生きた証を何か残したい
最期の時に悔いがないように
みんなが私を忘れないように
ここにいたわ
生きて愛した
ここにいたわ

すべて終えた
それは私の望み以上のことだった
みんなが分かるような印を残そう
ここにいたのよ

命が尽きる日まで懸命に生きた
きっと誰かの人生に何かを残せた
触れ合えた心こそが生きた証よ
何かが変わったと分かるはずよ
ここにいたわ
知ってほしい

私はベストを尽くした
誰かを幸せにした
少し世界をよくした
そのために私はいたの
ここにいたのよ


久しぶりに動画を見て、不覚にも泣きそうになりました。

約2000年前のポンペイ。あなたたちは確かにそこにいたのですね。
あなたたちが残した足跡を、私は受け取りました。
ありがとう。今の自分がこうして生きていることを愛おしく思います。

「世界人道の日」にビヨンセはメッセージを送りました。
「何か1つ誰かのためになることをしましょう。どんなに小さなことでも構いません。一人ひとりのそんな行動から人道支援は生まれるのです」

大それたことはできません。でも、誰かのために何かをしたい!そんな小さな心意気が私の存在価値なのであり、世の中を変えていくのかも知れません。

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大いに心揺さぶられた<ポンペイ展>。図録もしっかり読み込むことができました。

<終わり>

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