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<日本の中のマネ展>・マネって何者?

練馬区立美術館で開催中の<日本の中のマネ>展に行ってきました。

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絵画鑑賞を始めたばかりの5年前の私は。。。
日本の美術館で何点かのマネ作品を観て「走り書きみたい。これが完成品⁈ 」

左上)『散歩(ガンビー夫人)』1880-81年(東京富士美術館)
右上)『ブラン氏の肖像』1879年頃(国立西洋美術館)※今回展示なし
下)『花の中の子供(ジャック・オシュデ』1876年(国立西洋美術館)※今回展示なし

「私にはマネの良さは一生わからないかも…」
と思っていました。

3年前オルセー美術館の展示室で。

上)『草上の昼食』1863年(オルセー美術館)
下)『オランピア』1863年(オルセー美術館)
※いずれも今回は展示されていません

『草上の昼食』『オランピア』の前で動けなくなったとき、初めてマネの威力を知りました。怖いほどの魅力に惹き込まれたのです。
美術史上に燦然と名を残すマネ。彼なしで近代美術は語れないのですね。
そして帰国後。
東京都美術館<コートールド展>で『フォリー=ベルジェールのバー』を前に、「私、マネの魅力がわかったかも…」と。

『フォリー・ベルジェールのバー』1882年(コートールド・ギャラリー)
※今回は展示されていません
『フォリー・ベルジェールのバー』一部の拡大

その素早く的確な筆運びに唸りました。。。

しかし、しかし。マネを理解するのはそんなに甘いものではありませんでした。
それから。
出会う作品の多くが やはり「???」
マネのマネたるマネらしさ”ってなんでしょう。マネの作品って?

そんな謎を解いてくれるかも知れない、とちょっと期待に胸を膨らませて、ほとんど利用したことがない西武池袋線に乗って練馬区立美術館に足を運んだのです。

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エドゥアール・マネ(1832-1883年)フランスの画家。
結論から言うと、“マネのマネたるマネらしさ” はよく分かりませんでした(笑)。でも当たり前です。

西洋近代美術史の専門家、東京大学 教授の三浦篤先生は図録で次のように語っていらっしゃいます。

マネの絵を見ることは喜びであり、と同時に難しい。

『エドゥアール・マネの絵画〜闘争と快楽のはざま』三浦篤先生

その絵画の抗しがたい魅力は明らかで、とりわけ鮮烈な絵肌マチエールに衝撃を受け、的確な色調や伸びやかな筆遣いにほれぼれと見入った経験は数知れない。と同時に、作品を前にして当惑し、違和感や奇異な印象を受けて、その前に立ちつくした記憶も同じくらいある。マネを画家として把握すること、その作品を理解することは意外に困難で、歴史的な位置づけも容易ではない。端的に言えば、マネとその絵については、結局「よく分からない」というのが率直な印象だったのである。

『エドゥアール・マネの絵画〜闘争と快楽のはざま』三浦篤先生

マネ作品のほんの一部しか見たことがなく、美術史もよく理解していない素人の私に “マネらしさ” などわかるはずがないのです。

最近、何でも「理解したい!」思いが強すぎて、その場を楽しむことを疎かにしていたような気がします。反省。
と言うわけで、展示会について自由な感想をそのまま書かせていただきます。

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アメリカの作家エドガー・アラン・ポーの詩『大鴉おおがらす』にマネが提供した挿絵が展示されていました。

エドガー・アラン・ポー『大鴉』1875年(フランス版)・挿画:マネ

あらっ。マネの挿絵だなんて 贅沢ですね。
怖いけどとても面白かった『黒猫』を書いたエドガー・アラン・ポーの詩って、どんな内容だろう?。挿絵から『大鴉』という詩の世界観を読み取ろうとしましたが、今ひとつわかりません。
とても興味が湧いたので帰宅してから『大鴉』を読んでみました。

詩は少し哲学的でとても難解なのですが、何人かの日本語訳を読んでみると大筋はこんな感じでしょうか。

12月の真夜中、愛おしい恋人を亡くした「わたし」の前に現れた突然の訪問者は「Nevermore(もう二度と…ない)」と話す大鴉おおがらす
戸惑い、混乱しながら「わたし」は その黒い生き物(鴉)に問いを発し、自問自答を重ねていきます。
そして。
理性を保つべくあらがいながらも 精神を崩壊させていく「わたし」。

詩の中に登場する
「わたし」の部屋のドアの上に飾っている“パラス・アテナ女神の胸像” と、
突然 「わたし」を訪れた “大鴉”  は、
“光と闇”、“現実と幻想”、“希望と絶望”、“生と死”、“理性と混沌” の象徴なのですね。
詩の結びで描かれる「これからも“パラスの胸像”の上に飛び立つこともなく座り続ける “大鴉” 」は、「わたし」の魂の敗北を意味しているのでしょうか。。。
胸が詰まるような悲しみと無力感から、読んでいる私も 闇に引きずり込まれそうになりました。危ない危ない。

原語版(英語)はとても難解なのですが、よくわからないまま全文を音読してみると、evermore、 nothing more、 Nevermore で終わる エドガー・アラン・ポーの綴る「詩」は美しいメロディを奏でているような気がします。

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さて、出版された『大鴉』は 有名なイラストレーターや画家たちが挿画を手がけています。1858年英国版の挿画を担当したのは『不思議の国のアリス』の挿絵で有名なジョン・テニエル。

挿絵:ジョン・テニエル『大鴉』1858年英国版
※今回は展示されていません

ジョン・テニエルの『大鴉』は躍動感あふれ、舞台の一場面を見ているような印象を受けます。

1884年のアメリカでは、ギュスターヴ・ドレの贅沢な木版画を挿画とした『大鴉』が出版されたそうです。

挿絵:ギュスターヴ・ドレ『大鴉』1884年米国版
※今回は展示されていません

ギュスターヴ・ドレが、『ドン・キホーテ』(ミゲル・デ・セルバンテス)の挿絵を担当したことについては先日の投稿で少し触れました。『大鴉』の挿絵も描いていたのですね。
ドレの『大鴉』は幻想的で、語り手の深い悲しみや苦悩、精神世界を描き出しているように感じます。

そして、1875年に英語・フランス語対訳のフランス版でリトグラフを担当したのがマネでした。

再登場、『大鴉』1875年版 挿絵:マネ

先ほど、この挿絵では「物語の世界観がよくわからない」…と書きました。
マネ版『大鴉』は、「マネ自身の解釈」や「マネ独自の世界観」を一切排除しているのですね。そのことで、語り手「わたし」の心情や、作者ポーが紡ぐ「詩」を、読み手がいかようにも受け取れる ような気がしてきました!。
自身の世界観に固執しないマネ…。ふむふむ。

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さて、このフランス語版『大鴉』を翻訳した詩人ステファヌ・マラルメとマネは親しい友人でした。マネの描いたマラルメがこちら。

『ステファヌ・マラルメの肖像画』1876年(オルセー美術館)
※今回は展示されていません

10歳年下のマラルメとマネは1873年に出会い、一時期は毎日のように会っていたそうです。肘掛け椅子でくつろぐマラルメを素早く捉えた作品からは、二人の信頼関係や愛情を感じます。この肖像画、好きです。

マラルメ氏は、マネの挿絵についてこう語っているそうです。

もしすべての要素が調和していて、もしもう一筆付け加えることで簡単に壊れてしまう魅力があったとしたら、何が未完成の作品なのか?

これまでマネの作品を「これが完成品?」と感じていた私。“すべての要素が調和し、あとひと筆でも付け加えてしまうと壊れてしまう魅力” を感じ取れない自分が恥ずかしいです。

マネは、アトリエではまるで一度も絵を描いたことがないかのように、白いカンヴァスに激情を投げつけていた

真摯にカンヴァスに向かうマネ。マラルメの語るマネらしい魅力、素敵です。

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さて。
<日本の中のマネ展>は、海外から有名作品が来日しているわけではないのですが、油彩、版画を含めて多くのマネ作品を見ることができます。
そして【第3章 日本におけるマネ受容】。
いやぁ〜。日本・洋画界の巨匠たちの作品、見応えがありました。

まずは、こちら。

小磯良平『斉唱』(1941年)
※画像は図録を撮影したものです

素敵な作品です。
パリに滞在した時、当時ルーヴル美術館にあったマネの『オランピア』『笛吹く少年』をよく見ていたという小磯良平の作品は、「マネの特徴と共通する点が多い」と解説にあります。他の小磯作品が見たくなりました!。

続いてこの2点。

上)石井柏亭『草上の小憩』1904年
下)安井曽太郎『水浴裸婦』1914年

『草上の小憩』は石井柏亭がマネ『草上の昼食』に感化されて制作した作品。
実の弟妹をモデルに描いたという情景からは、日本らしさや、見ていてほっこりする温かさを感じました。
安井曽太郎の『水浴裸婦』も構図こそマネ『草上の昼食』を思い起こさせますが、背景は明らかにセザンヌ!、裸婦たちはルノワールに影響を受けているようです。

第3章はテーマに【日本におけるマネ受容】とありますが、並んだ作品から “マネらしさ” を感じることは難しかったです。

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最後に。
高橋明也(現東京都美術館)館長が、
「マネと日本の美術界との接触は不思議なほど少ない」
として、その理由を分析されているので紹介させてください。

「ようやくアカデミスム絵画を習得し終えた明治中期以降の日本は、欧米の美術状況の急激な展開に短時間で追いつくことが至上命題であり、すでに定着した印象派と現在形で進行中の前衛美術の波にしがみつき、振り落とされないようにするだけで精一杯だった。」

「また、一般の美術愛好家にとっても、マネが背負っていたものはあまりに広く、深かったため、理解し難かったと思われる。」

アート・ビギナーズ・コレクション『もっと知りたい マネ』東京美術出版

なるほど。

マネのマネたるマネらしさ” を理解することの難しさ自体が、マネの存在がいかに偉大でいかに多くの人を惹きつけて止まないのかを証明しているのかも知れません。

ちょっとだけ、マネに近づけたような気がします。

<終わり>

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