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〜怖い〜 ホルバインとシャンペーニュ

ハンス・ホルバインの本や資料を読んでいたら、彼の代表作の一つ『墓の中の死せるキリスト』(1521-22年・バーゼル美術館)を見つけました。

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うわっ。
顔や手足の指先が黒く変色し、死後硬直が始まっている痩せ細った亡骸なきがら
思わず目を背けたくなるような “怖さ” があります。
ホルバインはライン川から引き上げられた死体をモデルにしてこの作品を描いたそうです。30.5cm ×  200cm というそのサイズはまるで棺桶。閉塞感を覚えて、息苦しくなってきます…💦。
右脇腹にある 槍で突かれた傷、右手と足の甲の傷痕がなければ、一個の「人間の死体」。目と口を半開きにしたまま放置されたこの人物が救世主だとわからないのです。

復活すべきイエスの肉体を、絶望的な「死体」として克明に描写したこの作品に衝撃を受けたのは文豪・ドストエフスキー。
著書『白痴』の中で、
「この亡骸を目の当たりにしたら、誰一人、その復活を信じることはできないであろう」と登場人物に語らせています。
確かに…。
無宗教の私は、死せる『キリスト』だと知らされても、恐れる対象はあくまで「死体」に対するもの。固まった身体の中は “から” であり、そこに精神的な何かを感じることはできないのです。

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この作品が描かれたのは1521-1522年というのですから、ホルバインが人文主義者エラスムスたちと親しくしていた時期。
中世的な 神 中心の世界観に疑問を呈し、“人間の意思を尊重し擁護すべき” と考えていた人文主義者は、知的追求、人間の幸福こそ最も重要なものであると考えました。
ホルバインも  死せる『キリスト』を極端に神聖化することなく、現世での人間の存在として描くことで、その重要性を表現したかったのかも知れません。

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さて。
ホルバインの作品解説には「キリストがこのような状態(墓の中で人間でも神でもなく死んでいる状態)で描かれることはめったにない」とあります。
しかし私はすぐに 2019年に訪れたルーヴル美術館で見たシャンペーニュの作品を思い出しました。

フィリップ・ド・シャンペーニュ
『屍衣の上に横たわる死せるキリスト』(1654年以前)

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絵画作品がズラーっと展示されている美術館の壁が そこだけくり抜かれて、本当にキリストが横たわっているのではないか!と驚き、
気を抜くと、2000年以上 時が止まったままの空間に引きずり込まれてしまうような緊張感があった

と以前の記事に投稿しました。
無宗教の私が、これまで感じたことがない強烈な “宗教性” を全身で感じたのを覚えています。
右脇腹と手足の傷や、傍に置かれた茨冠がなくても、そこに横たわっているのは間違いなく救世主。人間としての死を迎え 身体の機能こそ停止していますが、必ずや復活し我々を救済してくれることを確信させてくれる、そんなキリストの亡骸に畏怖の念を抱いたのです。
筋肉がこわばり からだ全体が硬直したのは、この作品におののいた私の方でした。

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画家 シャンペーニュは、人間の自由意志の無力さ、罪深さを強調する極端に禁欲的なカトリックの一派=「ジャンセニスト」。
ジャンセニスム思想によれば、生まれつき罪に汚れた人間が善へ向かうためには、神の恩寵の導きを受けるしかない=人間の自由意志など無力である。
聖体拝領(キリストのからだとなったとされるパンとぶどう酒を食する)を受けることは恐れ多いことである=恩寵(神が人間に与える恵み)の絶対化
救われることが予定づけられている人間は本当に少ない=罪深さを強調し極端に禁欲的であるべきというもの。

そんな思想を持つシャンペーニュが描く絶対的存在のキリストは、亡骸であるはずなのに近寄り難いほどの強烈な力を放っています。鑑賞している私は為すすべもなくそこに引き込まれ、ついには自分自身の存在を忘れてしまいそうになるのです。
すごいパワー!

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極端に禁欲的なジャンセニスト…。
信仰や宗教に限らず、極端に突き詰めた思想を持つ人は、悩みを抱え、苦しみ、大いに迷いながらその境地にたどり着くのだと思います。
もし本人が苦しみから解放され、幸せを感じることができるのであれば、極端な思想も “救い” の道としてアリなのかも知れません。
しかし私は そんな一途な思いや、たゆまぬ信念を持つことが到底できないフニャフニャした人間なので、理解し難い一種の “不気味さ” を感じてしまうのです(個人的な感覚をお許しください)。
無宗教な私がこの作品に感じる “怖さ” の原因は、そこにあるのかもしれません。

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信仰や呪術から生まれた「芸術」は 宗教と切り離せないものでしたが、ルネサンスと宗教改革によって「信仰(宗教性重視)の時代」から「美術(芸術的価値の重視)の時代」に変化した、と読んだことがあります。なるほど。

2021年を生きる、西洋絵画鑑賞が好きな日本人の私。
同じ題材を扱った画家たちの作品を比べてみるとき、構図、色彩や筆致といったその描き方や、画家の国境、美術史的位置付けといった画家のバックボーンにしか注目できませんでした。

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しかし今回、作品自体が放つ 目に見えない精神世界のパワーを強烈に意識させられたのです。新鮮な感覚です✨。

隠し部屋を見つけた子供のようにドキドキ、ワクワク。自分に起こるであろう今後の展開が楽しみでなりません。
同時に、自分がどのような “怖さ” を抱いているのか、的確に伝えられる言葉や表現力を持たねばなぁ…と反省した次第であります。

<終わり>

◉以前投稿したシャンペーニュの記事はこちらです。


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