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心地よいボーダーライン

日めくりルーヴル
2020年10月22日(木)『朝食』(1739年)
フランソワ・ブーシェ(1703−1770年)

ブーシェといえば、<ロココ芸術> 最盛期を代表する画家。
本日の作品『朝食』は、ルーヴル美術館で見たかも知れないのですが、よく覚えていません。

実は pick up したいのはこの作品ではなく、同じくブーシェが描いた10月17日(土)の日めくりカレンダー『オダリスク』。

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2019年秋のルーヴル美術館、この作品の前で少し “引く” 自分がいたことをはっきり覚えています。なんとも…、どういえばいいのかわからないのですが、私の “鑑賞したい芸術作品” に入って来なかったのです。

その原因の一つは <ロココ> にあるのかも知れません。
<バロック>の反動で もてはやされるようになった繊細で優雅な<ロココ>様式。「何だかフワフワ浮かれた別世界の夢物語だなぁ」と。
<ロココ> が生まれた時代背景や歴史・文化をよく知らないため、私自身がまだ興味を持って歩み寄っていないのです。

そして二つ目にして最大の原因は “ヌード描写”。
ベッドに横たわりこちらを見つめるモデルは画家ブーシェの13歳年下の奥さんだそうです。幼い顔立ちの彼女はとても愛らしく、挑発的とも思える姿勢をとってこちらを振り返っています。
女神でも物語の登場人物でもなく、日常に実在する一番美しいと思う対象を描いたのでしょう。そしておそらくブーシェが官能的(とりわけ性的)な美しさを全身で感じながらそれを表現しているのであろうと、勝手に想像する次第なのです。

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いわゆる “<芸術>と猥褻” のボーダーライン。
ヌードを描いた絵画作品について考えてみると、私の “鑑賞したい芸術作品” ラインは、この3年間で大きく広がりました。

西洋絵画に興味をもつ以前は、神話の女神を描いた古典的な作品にも抵抗がありました。「どうして こうも女性の裸ばかり描くんだろう😤」と。

だんだん作者の区別がつくようになり、描かれている題材にも興味を持ち始めると、カンヴァス上で画家の手によって命を吹き込まれた人々が “洋服を着ているか否か” 気にならなくなることが増えました。
今や、ルーベンスの描いた肉感的な女神たちが一矢纏わぬ姿で入り乱れていても “引く” ことはありません。むしろ「この柔らかな曲線はどうやって描いているの?この揺れ動く感じはどんな色を使っているの?」と近づいて見てしまうほどです。

以前、クラナハの『三美神』の記事を<Instagram> に投稿して削除されたことがあります(Instagramより少し長文の投稿がこちら↓ )。

クラナハの描く独特のムード漂う女性たち。そういえば以前の私も、なんだか見るのが “恥ずかし” くて、少し嫌悪感すら抱いていました。
“鑑賞したい芸術作品” が少しずつ広がり、クラナハ作品の不思議な魅力の正体を知りたくなった今では、作品をじっくり観察したくて仕方ありません。
ボーダーラインが、大きく広がったのですね。
ちなみに投稿が削除されたことで、<Instagram>という老若男女が 主に画像を見て楽しむコミュニティの場に気軽に投稿すべき画像ではなかった!と気づかせてもらいました。反省と感謝です。
(今回、冒頭の画像にブーシェ『朝食』を選んでみました😊)

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広がりつつある現在の “鑑賞したい芸術作品” ラインについて、何か基準はあるのかしら?といくつかの作品を思い浮かべてみました。
オルセー美術館で見たクールベ『世界の起源』はダメ。作品に近づきたいと思わなかったし、至近距離でマジマジと見つめているアジア系の男性の団体のことも見たくなかったです💦。今でもボーダーラインの ‘はるか外’ にあります。
神話の物語や古典的な美はOKだが、日常の性的表現はダメ!って、「お前は かつてのサロンの審査員のような堅物なのか!」と突っ込んで ひと笑い😅。

しかし一概にそうとも言えず、同じ『ヴィーナスの誕生』でもボッティチェッリは全然OK(いつかこの作品の前に立ちたい!)ですが、サロンで高く評価されたというカバネル版はまだ抵抗があります。

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(上:ボッティチェッリ、下:カバネル)

また『オダリスク』について考えると 以前は良さが全くわからなかったアングル『グランド・オダリスク』は、西洋絵画史上欠かせない重要な作品であることを理解してからは、好き嫌い抜きにして もう一度じっくり観たい作品に入っています。
しかし今回の紹介作品ブーシェの『オダリスク」は微妙な所ですが、まだダメですね。どうやらこの作品がボーダーライン上にあるようです。

題材が何か、描写が写実的か否か、画面のシーン設定やモデルのポージング、そして画家の ‘まなざし’ =何を伝えたいか、によっても違っているようです。
そして “鑑賞したい芸術作品” ラインの変化は、私の西洋絵画への理解度合いが大きく関係しています。自分で興味を持って調べた作品や画家については寛容になるようです。<ロココ> のことをもっと勉強して愛着が湧くようになったら、ブーシェ『オダリスク』も “いける” かも(笑)知れません。

これからは自分の “鑑賞したい芸術” ラインの微妙な変化も楽しみながら、絵画作品と対話していきたいと思います。

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外的要因について自分がどう感じるかのボーダーライン。絵画作品だけでなく日常の色々なところにあります。「いい人・悪い人」「好き・嫌い」「許せる・許せない」「楽しい・楽しくない」…。
人や物事を、見た目やその発言だけで決めつけて壁を作り、立ち入らせないようにしていることが往々にしてあります。
今回、日めくりカレンダー『オダリスク』を見て考えを巡らせていると「自分が勝手に線引きをしている いろいろなボーダーライン。絵画作品のように相手を知れば知るほど許容範囲が広がっていくことが多いはず!」とピンっ💡ときました。
「いまさら?小学生じゃないんだからもっと早く気がつけよ!」と、また突っ込みを入れて ふた笑い目😅。

宣言。ボーダーラインの調整を、精神的な成長のバロメーターにします!
方向性は、「こうありたい!」と目指す自分像に近づけること。
大切にしたいのは、自分が心地よいと思えること。
そしてラインの外にいる人や物ともうまく付き合っていけるようにすること。

うわーっ、まとまりがつかなくなってきました。
「これからも成長を続けるのだーぁ!」と<バカボンのパパ>のテンションで終わらせていただきます。

<終わり>

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