破壊と修復。ベラスケスとぎっくり腰
同じ職場の女性がぎっくり腰になったと聞いて、
と心から祈りました。
私もぎっくり腰の経験者として その痛みがよくわかるから、だけではありません。
毎朝 颯爽と出勤してくる彼女は、長時間ずっと同じ姿勢で全神経を美術品に集中する = 修復家です。
彼女は、美術館の収蔵庫にある作品の修復はもちろん、作品調査・報告、点検から埃払いまでを手がける一方で、依頼される大規模な修復、そして震災に遭った芸術作品を救うプロジェクトなど いろいろな活動の責任者でもあります。
芸術作品を心から愛し、見守り、劣化や傷を治して未来の世代にリレーすることを使命とする彼女は、美術界の宝なのです。
にもかかわらず、誰に対しても威張ることなく、気さくに周囲に温かい言葉をかけてくれる素敵な女性。わたくし、彼女のカッコいい見た目と仕事に向き合う姿勢に憧れ、会うたびに見せてくれる優しい笑顔に惚れてしまっているから、なのです。
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さて近年。
環境活動家などによる、芸術作品を標的にした事件をよく耳にします。
記憶に新しいのは、ルーヴル美術館『モナ・リザ』にスープがかけられた事件。
もちろん、『モナ・リザ』は強化ガラスに守られているので、額縁や周囲の壁がダメージを受けても作品自体に影響はないのかも知れません。
しかし何よりその行為自体にショックを受けます。
ふと、江戸時代に隠れキリシタンを発見するために行われた「絵踏み」を思い出しました。
芸術を心から愛する人たちは、絶対にこんなことはできないはずです。
もちろん私も。
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他にも驚きの報道がありました。
モネ『ジヴェルニーの画家の庭』に赤い塗料(画像・左上)、『積みわら』にマッシュポテト(右上)が塗りつけられています。
ゴッホ『ひまわり』(左下)、ドガ『小さな踊り子』(右下)のケースにも塗料がかけられています。
すぐに連行されないために、自分の手を壁や額縁に糊付けする行為はよく目にするのですが、うわーっ!
モネの『ジヴェルニーの画家の庭』(画像・左上)は、壁ではなく作品の上に直接 手を貼り付けています。
もちろん保護ガラスに覆われているはずです。しかし、作品に衝撃が加えられたり ガラス面と作品が触れることで、絵の具が剥がれ落ちたり、画家の筆致が失われたりすることがあるそうです。
画像を見ているだけでハラハラします。
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そして、何百年も前に描かれた貴重な作品も被害に遭っていたのですね。これらの報道については全く知らなかったので、画像を見つけて驚きました。
(左上)『プリマヴェーラ(春)』は540年以上前にボッティチェッリが描いた美術界の至宝。イタリアでもこんな事件が起きていたのですね。
(右上)はルーベンス『幼児虐殺』。
そして、二つ並んで展示しているところをいつの日にか見たかった『着衣のマハ』と『裸のマハ』(下)。こんな場面を見ると悲しくなります。
作品に罪はないのです。本当にお願いです、作品を汚さないで下さい。作品に触れないでください!!
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そして衝撃はこの画像。
なんと、ロンドン・ナショナル・ギャラリーで あのベラスケス『鏡のヴィーナス』がハンマーで何度も殴打されています!!!!!
「肝を冷やす」という表現がありますが、本当に自分の体の中心部分が冷えるのを感じました。
たとえ強化ガラスに守られているとはいえ、よくもまあ こんな事ができるものです。これは単なる破壊行為、無抵抗な(←当然ですが)作品に対する暴力、こんな恐ろしい事、許されていいはずはありません。
今、写真を見るだけでも涙が出そうになります。
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ロンドン・ナショナル・ギャラリーに行くことができたならば、何としても観る!と決めている作品の一つが、このベラスケス『鏡のヴィーナス』です。
ディエゴ・ベラスケスは『青いドレスのマルゲリータ』や『ラス・メニーナス』を描いたスペイン【バロック期】の宮廷画家。
画像を見るだけではその素晴らしさが全く理解できなかったのですが、この数年間で、15点以上のベラスケス作品を実際に観ることができました。
ドレスの布感や手触りまでわかるような描写、装飾品の見事な輝きに引き寄せられて作品に近づくと、ベラスケスの筆致が 奔放で荒々しいことに驚かされます。
しかし作品から離れると、写実よりも現実!。静止画像に息を吹き込んだようなゆらめきを感じるのです。
ベラスケスの “簡潔にして完全で揺るぎない筆運び” が、光と影、時の移ろい、流れる空気をも描き出しているのですね。
“精緻ながら自由”、“重厚にして軽やか”・・・うーーん、私の拙い語彙では表現しきれないのですが、これがエドゥアール・マネに “至高の画家” と言わしめた超絶技巧です。
ベラスケスが【ロマン主義】や【印象派】にも大きな影響を与えたと聞いて大きく納得するのです。
それ以上に私がベラスケス作品に惹かれる理由を、このnoteでも何度か投稿しています。
ベラスケスの ‘まなざし‘ を通して描かれる作品は、私を神聖で穏やかな気持ちにさせてくれるのです。
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スペインで活躍したベラスケスは、ルーベンスの誘いもありイタリア旅行に出ることになります。二度目のイタリア滞在期に描いたのが『鏡のヴィーナス』です。
17世紀のスペインは、厳格なカトリック教国であったため、女性の裸体画は異端審問等で完全に弾圧されていたそうです。イタリアに滞在したからこそ描けた、ベラスケスの裸婦画で唯一存在している貴重な作品が『鏡のヴィーナス』です。
最初に美術本でこの画像を見つけた時、これが、あのベラスケス⁈と驚きました。モデルと真摯に向き合い、優しい思いを込めて筆を運ぶベラスケスが女性の裸体を描いたというだけで、私はドキドキしてしまうのです。
ヴィーナスの美しい肢体を見て下さい!
そのしなやかなフォルム、理想的な筋・肉付き、なめらかな肌感、ポーズ・仕草。。。全てが完璧ではありませんか!美しい✨。
ベラスケスの ‘まなざし’ を通して描かれた裸のヴィーナスを、いつかこの眼で観なくてはならない!と思っています。
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実はこの作品、1914年にも包丁で切りつけられ、ひどく損傷したのです。
肉切り包丁でヴィーナスの肩から腰にかけて7箇所も切りつけたフェミニスト活動家の女性は、禁錮6ヶ月(←美術品破壊に対する刑罰としては最高刑だそうです)。当時の記者たちは「殺人」(murder)という言葉を使っていたそうです。
その通りです!。
作品は “ほぼ元通りになった” と聞きますが、ベラスケスがカンヴァスに乗せた色彩には確実に亀裂が入り、彼の筆致が少なからず失われたことに間違いないのです。
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このような行動を起こした環境活動家の人たちは主張します。
ごもっともな主張。
人類が直面している危機を、現代を生きる我々が何とか食い止めなくてはなりません。
しかし。
どうして芸術作品がその標的になるのでしょうか・・・。
確かに、芸術振興や作品の保護に多額の予算を費やしているヨーロッパ諸国では、そのことに不満を抱いている人が多いのかも知れません。
そして、自分の主張が正しい!と大勢の人に賛同してもらうために、わかりやすい理論構成や目立つ方法を考えなくてはならないでしょう。注目を集めるためにマスコミを巻き込んで、訴えの正当性を広く知ってもらうことは有効かも知れません。
しかしその手段として、何かを攻撃することは大反対です。
たとえ、ピカソが戦争に抗議するために『ゲルニカ』を制作したような影響力のある表現方法が、一般人には取れないのだとしても。。。
ある環境活動家は言いました。
犯罪にはならない節度をわきまえた方法であったと。
しかし、どのような大義があっても、また実質的な被害は出なかったとしても、それが攻撃的な行為であれば「言うことを聞かないと こうなるぞ!」という脅迫や見せしめになります。
「ゴッホがダメなら、次もやるぞ!」
また行動はエスカレートする危険があります。
第一の行為は節度を弁えたつもりでも、影響を受けて同様の行動に走る人たちはどうでしょう。
塗料をかける、油を塗りつける、ハンマーで殴打する・・・次に何が起きてもおかしくないのです。
過去の人々が受け継いできた遺産は、わたし達だけのものではなく、未来の世代のためにあることを忘れてはなりません。
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貴重な人類の遺産を未来の世代に伝えたい!と誰よりも願い、それを実践する修復家の人たちに思いを馳せてみましょう。
経年劣化の修復、過去の過度な保護剤の使用や書き足しを取り除き、今後の作品保護のために芸術作品に向き合うとき。
彼ら・彼女らは、制作者の偉大な功績に直接触れることに胸躍らせ、作品に寄り添いながら、使命感に燃えて修復に全神経を傾けることでしょう。
一方で、芸術を愛する全ての人がこれまで守り続けてきた作品が、誰かの訴えの “道具” として汚され、傷つけられ、一部が失われた状態になって戻ってきたとき。
彼ら・彼女たちは何が行われたのか理解できず呆然とし、深い悲しみのために胸が苦しくてすぐには筆が持てないことでしょう。そして今後もこのようなことが起きかねない恐怖にどれほど胸を痛めることでしょう。
私は心から祈るしかありません。
<終わり>
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