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暗闇の中で見つけた 光

日めくりルーヴル 2021年1月8日(金)
『アヴィニョンのピエタ』(1453−1454年頃)
アンゲラン・カルトンに帰属

2019年秋にルーヴル美術館を訪れた際に作成した、
“よく知らないけど、なぜだか気になる作品” リストに入っていました。
金地に光輪、キリストの亡骸を抱く聖母マリアから、“ピエタ” というワードをかろうじて思い浮かべた程度の知識で「画面の中ほどに左右の筋が入っているし、修復も難しいほど古い作品なんだろうなぁ」と。
しかし、作品の前で立ち止まり 手を合わせたくなったことを覚えています。

今朝カレンダーをめくって「そうそう、いつか調べようと思っていたのよ」と。

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『ヴィルヌーヴ=レ=サヴィニョンのピエタ』(1453−1454年頃)
通称『アヴィニョンのピエタ』は、1834年に歴史建造物保護のためにヴィルヌーヴ=レ=サヴィニョンという町(小教区)を訪れた検査官が、教会の薄暗い礼拝堂の中で発見したそうです。

その後作品は、パリで開かれた展覧会で絶賛されるなど評価が高まり、1905年にルーヴル友の会(一般市民が会員)が美術館に寄贈するために購入。制作年数が1455年頃であるとの推定や、アンゲラン・カルトンの作品であることの主張がなされたのは、1959年になってからだそうですよ。

今回、写真や画像で改めて作品を鑑賞してみました。

画像1

キリストを囲んで、右からマグダラのマリア、中央に聖母マリア、その左は福音書記者聖ヨハネ。それぞれの頭上には名前入りの光輪が描かれています。アトリビュート(約束ごと)を知らない初心者にもわかりやすい(笑)。
遠景に街が描かれていますが、背景は金地で空間の奥行を感じることはできません。しかし、人物の表情やしぐさ、からだの立体感の描き方はとても絶妙!な気がしてきました。

キリストの弓なりに反りかえった亡骸。その硬直とフォルムからは緊張感が伝わってきます。
我が子、救世主を失った激しい悲しみを抑制した「静」の表情に対して、首を折り曲げ、視線を落とす身体の「動」きを描くことで、悲痛、哀悼、慈悲、敬虔…(←信仰心のない私には薄い表現しかできません💦)、とにかくあらゆる感情をより一層深く生み出しているような気がするのです。
作品を前にして、手を合わせたくなった理由はココにあるのかも知れませんね。
(個人的には聖ヨハネの指が、優しく美しく音楽を奏でるようで … 好きです。)

画面一番左で白衣を着て静かに立っている人物には光輪がなく、1455年の当時に実在した寄進者であると考えられています。手を合わせて静かに立っている彼は、しっかり目の前の出来事の意味を理解しようとしているようです。
彼は言います。
「私と共に悲しみ、感謝し、そして魂の救済について深く考えなさい!」と。

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作者とされるアンゲラン・カルトン(Enguerrand Quarton)は、15世紀フランスを代表するアヴィニョン派の画家。1444年から20年ほどプロヴァンス地方で活躍した記録が残っているものの、生没年を含めその多くが謎に包まれているそうです。

ルーヴル美術館のHPによると、1.63m×2.18mの本作品は、胡桃材の3枚の板に描かれた油彩。板に描かれた油彩ですか。ヤン・ファン・エイクが『アルノルフィーニ夫妻』を描いたのはおよそ10年前の1434年。ふむふむ。
そして私が気になった 作品に残る横2本の折れ目は、板の継ぎ目だったのですね。納得です。

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さてさて、1834年。私はフランス南東部の町で建造物の歴史的価値を把握しようと教会を訪れます。何年前に 誰によって どのように建てられたのか、建築様式はどうなっているのか…検査員として隅々まで確認していきます。薄暗い中を進んでいくとそこは礼拝堂。そこに飾られていたのが、この光り輝く “ピエタ” 。
発見した時の驚きと感動はいかほどだったか…。しばらく目を閉じ、想像しているだけで全身が震えて涙が出そうになりました(笑)。

実際にこの作品を発見した検査官は、その13年後に小説『カルメン』を発表することになるプロスペル・メリメです。
歴史家であり作家のプロスペル・メルメ、そして『アヴィニョンのピエタ』と『カルメン』。何だか面白そう!!ですが話が大きく脱線しそうなので、
“いつか調べてみる” リストに入れておきます。

<終わり>

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