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『二枚の絵』③・大空に舞う鳥

『二枚の絵』の中で私が見どころNo. 1に選んだのがこちら。
日本の文学者・比較文学者である芳賀徹(はが・とおる)氏が選んだ二枚です。

左)ピーテル・ブリューゲル『絞首台の上のカササギ』1568年
右)小野田直武『不忍池図』江戸時代後期

描かれた時代も国も違うこの二枚・・・ただ漂う空気感には共通点がある予感がします。
左)ブリューゲル『絞首台の上のカササギ』は知っていましたが、右)小野田直武はお名前さえ知りませんでした。

ちょっと調べてみます。
小田野直武(1750-1780年)は、江戸時代中期の画家。
平賀源内から簡単な陰影法や遠近法を学び、また平賀源内所蔵の洋書挿画(銅版画)を写し取ることで、洋風(オランダ)の図像を学んだそうです。その後 杉田玄白らが翻訳した『解体新書』の精密な挿絵を描き上げた人⁈。
あの『解体新書』ですか⁈。

小野田直武が描いた『解体新書』扉絵と挿絵

『解体新書』=ターヘル・アナトミアの原書はドイツの医師クルムス著の解剖学書。そのオランダ語・翻訳版を入手した蘭学者の杉田玄白たちが、解剖の現場でその正確さに驚き日本語への翻訳に挑んだのですね。挿絵を担当することになった小野田直武が参考にした挿絵も、オランダの銅版画だったというわけです。

小野田直武は31歳で早世するのですが、江戸洋風画で有名な司馬江漢を指導したというのですから、日本における洋風画の開拓者と言えるわけです。

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話を『二枚の絵』に戻しましょう。
二枚の絵の選者・芳賀徹氏が設定したテーマは “青空に舞う鳥”。鳥⁈。あら、『不忍池図」右)で、鳥はどこにいるのかしら?

画中左手の本郷台地の上空には、からすとびのような鳥が三羽ほど、逆さハの字に翼を広げて舞っている。これが、もの静かな青空に一種の生気をよびおこしていることはたしかだ。

『二枚の絵』芳賀徹氏より

画像ではよくわからないのですが、本誌では三羽の鳥がはっきり見えました。

小野田直武『不忍池図』と三羽の鳥の拡大部分(左)

大空に舞う鳥” に注目して、見どころポイントを挙げてみましょう。

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◉見どころ[1]…  選者・芳賀氏がこの二枚を選んだ理由が面白い。

芳賀氏は以下のように述べています。
江戸時代後期の洋風画は秋田蘭画(=秋田のオランダ絵)から始まる。
そして秋田蘭画は、1773年 洋学の先駆者平賀源内が秋田藩に招かれたときに秋田藩士だった小野田直武に西洋画法を伝授したことで始まった。
洋風画は江戸時代の小野田直武によって拡がった、と言っても過言ではない!
(↑ ふむふむ。先ほど学習しました)

さらに芳賀氏は、
小野田直武「以前」の日本の絵画の中に描かれる鳥は、みな木にとまっていたり水辺に遊んだりしているのであり、こんなふうに青い空を舞う鳥が描かれていることがなかった。しかし、小野田直武の作品とそれ「以降」の作品はどこにでも鳥が大空を舞っていることに気がついたそうです。

『不忍池図』の三羽の鳥は、
「小野田直武の秋田蘭画になって初めて西洋から東洋の空に渡ってきた鳥たちなのだ!
(↑ この表現、素敵ですね。)
「その証拠に小野田直武が見て参考にしたオランダ銅版画=17世紀オランダのレンブラント、ホッベマ、ロイスダールの空にも鳥が何羽も群れて舞っている」

こちらは銅版画ではなく油絵ですが参考までに。
左)メインデルト・ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』1689年
右)ヤーコプ・ファン・ロイスダール『ウェイク・ベイ・ドゥールステーデの風車』1670年頃

「そしてそれをさらに遡れば、16世紀フランドルのピーテル・ブリューゲル(1525〜1530-1569年)の空にもいたはずだ!」

ブリューゲル『絞首台の上のカササギ』と鳥の拡大部分(左)

確かにいます!
小野田直武とブリューゲルのこの二枚には、ルーツという繋がりがあるのですね!

なるほど、なるほど。とてもとても興味深く読ませてもらいました。

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◉見どころ[2]… 森洋子氏の解説が興味深い!

次の見どころはブリューゲル『絞首台の上のカササギ』についての美術史家・森洋子氏の解説です。

絞首台のカササギ』は、ピーテル・ブリューゲルがサインと制作年代を記した最後の作品のひとつで、死ぬまで彼の家にかけられていたそうです。
ブリューゲルは自然観や人生観を家族に “遺言” しようとしたのではないだろうか、と分析しています。
その上で、“遺言” の内容をこう語ります。

絞首台で踊る」という古いフランドルのことわざがある。絞首台にぶらさがった罪人の身体が揺れている様を揶揄やゆした表現である。ブリューゲルはそうした不気味な姿ではなく、絞首台の側で踊る農民たちでこのことわざを暗示させた。絞首台の上に一羽のカササギが止まっているが、フランドルの俗信によると、人々に不幸を予告する不吉な鳥だった。カササギは村人に誰かがここで“踊る”ことを告げているのであろう。平穏な人生と思われる日々に、思いがけない不幸が起こる。それが画家のメッセージであった。

『二枚の絵』森洋子氏の解説より

「明日は何が起こるかわからない、心して生きよ!」
ブリューゲルから、私へのメッセージだと思ってしっかり受け止めます。
森氏が研究を重ねたフランドル地方のことわざ文化とブリューゲル作品。本当に面白いのです。

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◉見どころ[3]… 自分なりの共通点を見つけてテーマを設定!
もし私がこの二枚の絵を選出したならば、どんなテーマにしましょうか。

『不忍池図』右)について芳賀氏は「何べん見ても心が吸い込まれるような静かないい絵だ」と語ります。
しかし、この二枚の絵を鑑賞して私に湧きおこる感情やキーワードは、
静か→「のどか」ではなく、「胸をキュッと掴まれるような痛み」「厳しさ」「はかなさ」といった、ちょっと切ないものです。
日本特有の美意識であるとされる「び」ってこういうことかしら、と勝手に解釈するのです。

再登場!  左)ピーテル・ブリューゲル『絞首台の上のカササギ』1568年
右)小野田直武『不忍池図』江戸時代後期

ここからは、大した根拠もない単なる感想と連想ゲームとなりますのでご容赦ください。

私が思う「侘び寂び」には表と裏、 二つの側面があります。
「侘び寂び」のの側面が、
つつましく、質素なものにこそおもむきがあると感じる心や、時間の経過によって現れる美しさという日本独自の美意識であるとするならば、
それは “死” の存在に気づいていないフリをしながら生きていく「潔さ」のことかも知れません。
それを絵画に表したのが『不忍池図」・・・。日本の「無常」や「悟り」の概念も描かれているような気がします。

そして、私の考える「侘び寂び」の側面は、
“死” を直視して恐怖と向き合う事で、生きる喜びを感じろ!ということ。
これ、死を忘れるな!というラテン語の「メメントモリ」と同義ですね。
そして絢爛豪華が伝統的価値観と認識されているイタリアやフランス絵画とは異なり、独自性を持つフランドル絵画は、このメメントモリと親和性が高い!ような気がします。『絞首台の上のカササギ』は「侘び寂び」の裏の側面なのです。

「侘び寂び」(『不忍池図』)と「メメントモリ」(『絞首台の上のカササギ』)は、いずれも「死への恐怖」を潜在・顕在的に持ちながら、それとどのように向き合って生きるべきなのか、という美徳の違いがあるだけなのかも!知れません。
とするならば、ブリューゲルの描いた鳥たちが西洋から日本の空に渡ってきたのは、単に平賀源内やオランダ銅版画という人・物質を介した伝承というだけではなかったのです。
そこにはフランドルと日本に流れる共通の伝統的価値観、心意気があったからなのですね。

・・・そんなこんなことを漠然と考えながらブリューゲル『絞首台の上のカササギ』を再び鑑賞してみます。

ブリューゲル『絞首台の上のカササギ』と鳥の拡大部分(左)

北国に特有の鈍い日差しの中、絞首台の上にとまって農民たちを見つめるカササギは「侘び寂び」のの側面=「メメントモリ」です。
しかしカンヴァスの左上、大空を優雅に舞う一羽の鳥は、潔くてかっこいい!=「侘び寂び」なのです。
何が起こるかわからない死の恐怖と隣り合わせの人生において、一種の生気をよびおこしているのが “大空を舞う鳥” なのですね。

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思うがままにダラダラと書いていたら長くなりました。

私がこの二枚の絵にテーマをつけるならば、“侘び寂びとメメントモリ” にしましょうか。
いえいえ、それではちょっとロマンがなさ過ぎますね。
やはり “大空を舞う鳥” がピッタリ来ます。芳賀徹氏、さすがです。

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いや〜っ、本当に楽しいですね。
私にとって『二枚の絵』は本当に刺激を受ける大切な一冊になりました。
noteに紹介したのはたった7つの『二枚の絵』。まだ43人分あります。
今回で一旦終わりにしますが、どうしても誰かに話したくて我慢できない『二枚の絵』があったら、またここに投稿させてください。

<終わり>

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