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芸術は、国と国との間に橋をかけることを促す一つの誘惑

奇蹟の芸術都市<バルセロナ展>に行ってきました。
とても刺激的で勉強になったので、私が心動かされた事をいくつか記録させて下さい。

◉「バルセロナ」について
オリンピックが開催されたスペインの主要都市で、サグラダ・ファミリアがある…これ以外は知らなかったので 展示会場で勉強してきました。
バルセロナはカタルーニャ自治州の州都。かつて独立国であったカタルーニャ自治州は独自の言語を持ち、面積はスペイン全体の約 20分の1 しかないものの、スペイン経済の約10%を担い 人口もスペイン全体の約15%を占めているのです。現在スペインからの独立問題を抱えています。
私は図録の裏表紙にあるバルセロナの航空写真を見て仰天しました。

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えっ!こんな街があるの⁉️いろいろな意味で、これがバルセロナなのですね。

◉恵まれた環境に感謝!
<バルセロナ展>は2019年4月に始まり、長崎→姫路→札幌→静岡と巡回して最後が東京でした。多くの方が既にSNSで写真を投稿していたので、 ‘ついに来たか!’ という喜びでいっぱい。
多くの美術展が最初に開催される東京、その環境に自分がいるという日常の幸せを再認識できました。

「スペインから独立」その賛否で現在も揺れているカタルーニャ自治州バルセロナを題材にした企画展。首都・東京を巡回の最後にした事には意味があったように思えます。

昨年から 日本で <ウィーン展>、<ブダペスト展>が開催されたことで、私は芸術作品の国籍を初めて意識し、行ったことがない都市に興味を持つようになりました。
そして昨年 初めて訪れたパリでは、見る物・聞く物 全てに大興奮!それと同時に自分の視野の狭さを痛感したのです。
実際に海外に行かずとも、あふれる情報から地理・歴史や文化を学んだり、人そして芸術に触れることで世界観を広げることはできるはずなのですが、私は今までそれを怠ってきました。これからの人生は無駄にしません!

さっそく図録をチェック。 心を持っていかれた言葉があったのでご紹介します。
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「芸術は、国と国との間に橋をかけることを促す一つの誘惑です。その時代の持つ意味が、個人的であると同時に変換可能なやり方で表されています。
文化交流、展覧会や翻訳といった方法を通じて、我々は様々な文化の道程を統合し続けることができるのであり、今日においては、固有の道のりと共有された道のりの両方を描くことが、かつてないほど重要な使命を帯びています」
       _____イオランダ・バタリェ氏(ラモン・リュイ財団)
これは私に与えられた使命か‼︎ そんな訳はないのですが、この言葉を噛み砕いてノートにメモしておきます❗️
芸術を学べる時代に生まれたこと、そして自由に学べる今の環境にひたすら感謝です。

◉アントニ・ガウディ
パリに住む私の姪が、先月バルセロナに行きました(タイムリー!)。明るい太陽、美味しそうな食べ物、陽気な人々 … そして送ってくれた写真の中にグエル公園、カサ・バッリョー(バトリョ)そしてサグラダ・ファミリアの写真がありました。誰も思いつかない形、色…見れば見るほど細部まで面白くて美しい✨

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サグラダ・ファミリアの内部の動画を見て、やはりガウディは天才!とその偉大さを再認識した次第です。
そういえばオルセー美術館に行った時、ガウディ作品を納めた小さなスペースがありました。

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オルセーでは少し違和感を覚えたのですが、今になって写真を見ていると これぞガウディ!まさにガウディ!バルセロナが生んだ類い稀なる才能に納得です😊

◉パリとの繋がり
<バルセロナ展>第4章ではカフェ「四匹の猫」を取り上げています。
1897年に開店した「四匹の猫」は、ルシニョル(1861−1931)、カザス(1866−1932)、ウトリリョ(1862−1934)らバルセロナの画家たちによって創設されました。
ここは1881年に開店したパリのキャバレー「シャ・ノワール」をモデルにしており、影絵芝居や人形劇、音楽会といった大衆演芸やイベントを行なっていたそうです。(モンマルトル美術館で「シャ・ノワール」のポスター見ました!)。
「四匹の猫」で開催していた新世代の芸術家の作品を紹介する小規模な展覧会には、ピカソ(1881−1973年)も出展していたのです!ピカソはここで知り合った先輩画家の影響でパリに行く事にしたそうですよ。

ルシニョルやカザスはモンマルトルの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の敷地内にあるアパルトマンに滞在したことがあったそうで、二人が描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」も展示されていました。

そして ウトリリョが描く「シュザンヌ・ヴァラドン」(ユトリロの母)や、ルシニョルが描く「エリック・サティ」(←当時「シャ・ノワール」のピアニスト)

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ルシニョルが描く「ミケル・ウトリリョ」(←ユトリロを認知した人)もありました。

モンマルトル美術館を思い出しながら、自分がパリで心 動かされた人・場所や展示作品との繋がりを発見して大興奮❗️ 脳細胞と細胞がシナプスを介してネットワークを作っていくときのシグナル伝達、ビビビッ⚡️。脳内はパニック状態で全神経が震えっ放しでした。

◉エル・グレコ
「四匹の猫」の創設者であったルシニョルやカザスは、エル・グレコを高く評価して彼の作品を購入していたそうです。エル・グレコ好きの私は何だかドキドキするのです。
そしてピカソもエル・グレコに興味を持ち、プラド美術館で模写したそうです。そして描いたのが『エル・グレコ風の男』。そんな情報、初めて知りました。嬉しいっ!

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確かに全体の雰囲気はエル・グレコ風、カッコいい!
そういえばエル・グレコが活躍したのはスペインでしたね💦

◉ピカソ、“青の時代”へ
ピカソが“青の時代”へ導かれたのは ‘大親友が失恋を理由に自殺したことにショックを受けたから’ ということは知っていました。<バルセロナ展>では、その親友カザジェマスの絵が展示されている…はずでした。

ピカソが描くカザジェマス(エル・グレコ風を描いていた頃)↓図録を参照

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↑ これ、イイですね。
しかし実はこの作品、東京展には来ていませんでした。図録に掲載されているのですが、会場にも作品リストにもありませんでした。長崎、姫路、札幌、静岡のいずれかの展示会では出展されていたのですね…残念、実物が見たかったです💦
他にも作品リストの抜け番で東京で展示されていなかったのが以下の作品。うゎーっ、こんなに素敵な作品が…😭 巡回の美術展です、やむなし。

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◉芸術作品は生き続ける
最後に再びイオランダ・バタリェ氏の言葉から。
「専攻する研究や調査の存在、それぞれの地で芸術をいかに表現し知覚するかについての相互理解、そして一つの文化を別の文化によって照らし出すこと」がこの展示会成功のカギとなります。そして、
「この地球は東から西へと周り続け、人々と文化、そこから生み出される芸術作品は永遠に生き続けます」

日本に生まれ育ち、西洋絵画に興味を持ってまだ3年の私。
これから芸術をいかに表現し知覚するかということを念頭に置いて、
広い視野を持って学び、旅し、出会い、感じ、考えることで、世界観を広げていけたらいいなぁ、と考えた次第でありまする。
・                     <終わり>

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