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フラ・アンジェリコと “謙遜”のマリア

日めくりルーヴル 2021年7月27日(火)
『聖母戴冠』(1435年以前)
グイード・ディ・ピエトロ通称、フラ・アンジェリコ(1395頃−1455年)

2019年 ルーヴル美術館を訪れたときの私は、ルネサンスといえばレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロであり、それ以前の画家は かろうじてボッティチェッリの名前を知っている程度。この作品についても “古い時代の宗教画の一つ” として鑑賞したのでしょう、なんの記憶もありません(涙)。

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本日のカレンダーは、15世紀前半のフィレンツェを代表する画家フラ・アンジェリコが描いた祭壇画。
地上での生を終えた聖母マリアが、天上で 神の子キリストに迎えられ祝福を受ける『聖母戴冠』は、1435年以前の作品というのですから、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)が生まれる前の時代です。

iPadの画面で改めて作品を鑑賞してみました。
前景の人物と同じ目線で玉座の戴冠式を見上げていくと、細かな模様の床や階段、色鮮やかな衣装に目を奪われます。天上の世界がこんなにも煌びやかで華やいだ所ならば、行ってみたいものだなぁ、などと思えてきます。
一方 祭壇画の下の小さな画面には、地上の世界(聖ドミニクの軌跡とキリストの復活)が、抑えた色彩で重苦しく描かれています。隅々まで見応えのある作品だったのですね。
この作品、ナポレオン軍によってパリへと運ばれたそうです。

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世の中が落ち着いて 状況が許すならば、イタリア・美術館巡りの旅に行きたい!と目論んでいるのですが、そのとき絶対に外したくないのがサン・マルコ美術館。フラ・アンジェリコの『受胎告知』に会いたいからです。

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丸いアーチとそれを支える柱が連続する回廊の中に舞い降りた、美しい羽を持つ天使が何かを告げています。両手を胸に合わせて天使と目を合わせるマリアも、静かに何かを呟いたように思えます。二人の間に交わされた言葉によって その場に漂う空気が僅かに動いたのを感じとることができる、そんな静謐で心に沁みる作品です。

このフレスコ画に これほどまでに惹かれるのはどうしてでしょうか。

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新約聖書(ルカによる福音書)に記されている【受胎告知】。
聖書を手にしたこともない私ですが、多くの画家たちが描いてきたマリアの動作や表情を見ることで、何が起こったのかを知ることができます。

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① 突然現れた大天使ガブリエルの訪問に “驚き” 怪しむマリア。

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ティントレット『受胎告知』(1582-1587年)

__大天使「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」
② この祝福の言葉に “戸惑う” マリア。

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ティツィアーノ『受胎告知』(1559-1564年)

③ 天使の言葉の意味について考えるマリア= “思慮”

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デル・サルト『受胎告知』(1512年頃)

__大天使はマリアが救世主を生むと予告。その子をイエスと名付けよ、と。
④ どうして自分にそんなことが起こるのかと “問う” マリア。

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ウェイデン工房作『受胎告知』(1435年頃)

__大天使は聖霊の恵みによって身籠ると告げる
⑤ 天使の言葉をきいて、神の言葉どおりにしてくださいと “謙遜(恭順)” するマリア。
そして大天使が立ち去る。
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バクサンドール氏(『ルネサンス絵画の社会史』著者)の観察によれば、ボッティチェッリが愛好したのは “戸惑い” である(下の2つの画像はいずれもボッティチェッリ『受胎告知』)が、

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フラ・アンジェリコの『受胎告知』は必ず “謙遜” (恭順)あると述べています。

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なるほど。フラ・アンジェリコ『受胎告知』のマリアは、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」
と答えていたのですね。
鑑賞している私が 穏やかで幸せな気持ちになるのは、全てを受け入れたマリアの心情に影響されているのかも知れません。
現実の世界に舞い降りた2人の天使を見ているようです。

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天使のような修道士” =フラ・アンジェリコという愛称で呼ばれた画家は、敬虔な修道士でした。
ジョルジョ・ヴァザーリは『ルネサンス画人伝』で最大限の賛辞を送っています。

「心善き人々のためにあえてこう言いたい。すべての信仰に生きる人々は生涯の時を、この天使のような僧侶(フラ・アンジェリコ)の如く過ごすべきだと神は望み給うだろう」
「仕事振りと話において謙虚であり、作品において練達かつ敬虔であった。この人ほど、聖者らしい聖者を描いた人は他に見あたらない」
「彼の描く人物の表情や姿に、キリストに対して彼が抱いていた深い真面目な信仰心が見出されるのも当然といえよう」(訳:小谷年司氏)

フラ・アンジェリコの死後500年以上も経った1982年、教皇ヨハネ・パウロ2世が “天使のような修道士” を “福者” に認定したそうです。
「すべての信仰に生きる人々は…フラ・アンジェリコの如く過ごすべきだ」と評したヴァザーリも祝福したことでしょう。

そんなフラ・アンジェリコの『受胎告知』。
私が言葉にできなかった感動と魅力を3人の先生から教えていただきました。

その静謐な雰囲気や敬虔で優雅で純潔な人物像などから、ある意味では純粋な芸術的感動を与える(若桑みどり先生)。
この上なく純粋で無垢な印象を与える(高階秀爾先生)。
そのすがすがしさにおいて比類がない(千足伸行先生)。

これらのフレーズを口に出して読み上げながらサン・マルコ美術館の『受胎告知』を見ていたら、天使のように描かれた “謙遜(恭順)” のマリアが、フラ・アンジェリコ本人と重なって見えてきました!

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若桑みどり先生『絵画を読む〜イコノロジー入門〜』を読みながら、
【宗教画】の描かれた目的を考えてみました。

① 無知な人々の教化
…ラテン語が読めない人々に聖書の内容を知らせること。

② 宗教的神秘を具体的に示すこと
…神の子キリストが人間の身体を得る(まさに受胎告知)という神秘や、聖人たちの行いを、我々の記憶に定着させ、日常の中で生き生きと思い起こせるようにすること。

③ 信心の感情を起こさせること
…言葉で理性に訴えるより、目で見ることによって人々に信心の感情を起こさせること。
その時代時代に応じて人々が「真実らしい」とイメージできるように、宗教画も変化を遂げてきたわけです。
鮮やかな色彩や金色を多用し、「天上の世界は偉大で素晴らしいもの、行ってみたいなぁ」と私に思わせる本日のカレンダー『聖母戴冠』も信心の感情を起こさせる宗教画ですね。

そして今回フラ・アンジェリコの宗教画を見ていてもう一つの目的を見つけました。
④ 修道界にある人々の信仰心を深めること
…サン・マルコ美術館の『受胎告知』は、この目的を果たすためにあるのですね。修道士であったフラ・アンジュリコ本人も、この作品の前で祈りを捧げていたのではないでしょうか。

明快な描線と鮮やかな色彩は、精神面での強い信念と静けさを表している。マザッチオのように空間を写実的そして調和的に描くこともできたが、作品の純粋な宗教性に集中できるよう、あえて背景に何も描かなかった(高階秀爾先生)。

やはり、どうしてもサン・マルコ美術館に行ってみたいです!

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最後に。フラ・アンジェリコは他にも10点ほど『受胎告知』を描いています。
1432−1433年頃に描かれた作品(コルトーナ司教区美術館)がこちら。

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漫画の吹き出しのように セリフが描きこまれていますね。
天使のお告げに「お言葉どおり」と全てを受け入れたマリアの言葉も描かれています。
目に見えない敬虔な信仰心を見える形にしたフラ・アンジェリコ。
静かな空間を漂うように発せられた言葉は、まるで音楽の調べのように絵画の空間に溶け込んでいて素敵です✨。

吹き出しセリフが描かれた『受胎告知』は 他にもあります。
シモーネ・マルティーニ『受胎告知』(1333年)

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これでもか!という まばゆい✨金地の上に、さらに金色で文字が盛り上がっています。繊細な百合の花とオリーブに台詞が重なっているのを見ていると、楽譜の上を自由に飛び交う音符が、五線譜を爪弾いているようで…思わずiPadに耳をそばだててしまいました。

ヤン・ファン・エイク『受胎告知』(1435-1437年)にもセリフを発見!

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極端に縦長の画面は、天井にのびる柱と窓、そして高所からマリアに降り注ぐ神の光と祝福の鳩という上下の動きが生きています。それとは対照的に横方向に短く発せられる奇跡の言葉は、ヤン・ファン・エイクによって重くズッシリと確実なものとして描かれているのです。

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絵画に描かれた文字、そこから聞こえてくる音楽…。素敵ですねぇ。
絵を描くことも楽器を奏でることもできず、「個性的すぎて読めない字」と指摘される私は、どの分野にも直接携わっていないのですが どの分野にも憧れます。

なので日々の生活で西洋絵画鑑賞に勤しみ、
週に2−3回は note で、音楽に携わっている人の楽しい投稿、カリグラフィーで美しい文字を投稿してくれる人の記事を読ませてもらっています。
幸せな刺激を受けています。

<終わり>


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