第1章 コローがつなぐ自然と時間
《自然と人のダイアローグ展》は、まだスタートの12作品しか投稿できていません。今回の投稿で第1章を終わらせたいと思っています。
(写真は、左からコロー、ルノワール、モネ、リヒター)
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第1章の展示会場は、モネからカミーユ・コローへと続いていました。
コローの風景画をみると、いつも不思議な気持ちになります。足元がふわふわして幻想の世界に引き込まれるような感覚というのでしょうか。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875年)。
【バルビゾン派】ルソーやミレー よりひと世代前のコローは、もし美術展を時代順に構成するならば ブーダン(1824-1898年)の前、トップバッターかもしれません。
2020年2月 コローについて投稿するために準備した[ 美術ノート]には、
◉ 戸外でのスケッチにこだわり続け 自然と深く関わった画家
◉ 繊細で詩的情緒あふれる風景を描く
◉ 霧がかったようなソフトフォーカス効果がある “銀灰色” を生み出した画家
そして
◉ 人格者…多くの子供を遺して亡くなったミレーの未亡人に多額の弔慰金を贈ったり、視力が弱くなったドーミエに家を買い与えた。また生活に困窮していた若い画家たちを支援していた
◉ 女性人物画が素敵
と書き残していました。
カタログ・レゾネに3,000点以上収録されており、模写や贋作も多いコロー。
美術史における “時間の流れ” を感じるために、今回はコローが後世の画家たちに与えた影響について少し触れたいと思います。
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1855年に開催されたパリ万国博覧会に “抒情的な幻想風景画” を出品して、ドラクロワやアングルを抑えて金賞を獲得したコロー。その作品は【印象派】に大きな影響を与えます。
カミーユ・ピサロ(1830-1903年)は、戸外でスケッチに出かけるコローに同行して助言をもらったそうで、自身のサインの後ろに「コローの弟子」と書き込んだ作品も残っているようです。ピサロがコローから学んだ風景画における空間構成法は、のちにピサロからセザンヌ(1839-1906年)へと伝えられることになるのですね!
またベルト・モリゾ(1841-95年)は正式にコローに師事していたそうです。
コローがイタリアで描いた風景を追い求めて【ナビ派】モーリス・ドニ(1870-1943年)はイタリアを旅しています。イタリア・ローマのヴィラ・メディチの噴水を初めて訪れた際には「コローの噴水だ!」と叫び、このモティーフを描き続けたそうです。
以前 私が国立西洋美術館の常設展で観たモーリス・ドニの作品(下の作品)には、そんな物語があったのですね!(現在は展示されていないようです)。
そして【キュビスム】の画家たち。
おおーーッ!グリス(1887-1927年)、ブラック(1882-1963年)ですか。
【キュビスム】への理解がまだまだ乏しい私にとって「この作品をもとにして描きました」と元ネタ(?)を示してくれるのは楽しいものです。
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“コローについて次回探究すること!” として、2020年に作成した[美術ノート]には、
◉ <風景画>に必ずと言っていいほど描きこまれている人物と<女性人物画>について
◉ 当時の写真=ソフトフォーカス(露光時間が長いため木立を撮影すると枝先が風で動いてぶれる)とコローが銀灰色で描いた木立の関係
と書いてありました(汗)。
探究は、次の機会に先延ばしさせていただきます。
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おっと、また長くなりそうなので(汗)急いで進みます!
今回展示室で実践してきた “作品に描かれている「自然を全身で感じる」” ことについて触れて、第1章を締めたいと思います。
再度、展示室のコロー作品 登場。
展示室『ナポリの浜の思い出』の前。
かつて 夏になると毎日のように海で遊んでいた姉と二人で、しばらく無言のままコローの世界=浜の思い出に浸っていました。
「あの、まとわりつくような潮風の匂いや肌触り、波の音、いつの間にか頭皮に入り込んだ砂のざらざら感は、経験した人しか感じられないだろうね。」と語る姉も、自然を全身で感じていたようです。
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マックス・リーバーマンさん はじめまして。
森の中にある学校に通う子供たちでしょうか、木洩れる光の表現が美しいですね。ドイツの画家なのですが40年間にわたって、夏の期間をオランダで過ごしたリーバーマン。オランダ・ラーレン地方を描いた本作は、森の中にある寄宿舎で繰り広げられる映画のワンシーンのように感じました。
その映画は、大自然に囲まれた寄宿舎で成長していく子供たちを 生き生きと描くストーリーでしょうか。いえいえ。
上部を少し隠すだけで緑の葉が見えなくなる不思議な画面構成。同じような太さの木の幹が、まるで建築物の柱…そして規則によって統制された空間のように見えてきました。同じような印象を受ける子供たちが、小さな戸口に吸い込まれていく光景には、何か秘密が隠されているに違いありません。。。
また一つの絵の前で長居をしてしまいました(汗)。
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そして ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919年)。
ルノワールが描く木立ちはなんとも色鮮やか。“幸福感に満ちたバラ色の大気” をはらんでいますね。
ただ、晩年のルノワールは「女性の裸体」も「風景画」もどれも同じような作品ばかりなんだよなぁ…とあまり興味が持てないのです。
と次の作品に進もうとした時、フォルクヴァング美術館の礎となったコレクター・オストハウス氏の言葉を展示室の壁に見つけました。
“あらゆるものに魂を吹き込まれた自然との一体化の幸福” って、どういうことでしょうか。
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ルノワールが筆触分割といった【印象主義】の技法で描いていた時代(41歳位まで)は、モネと同じように “大気の移ろいや目に映る光” を描こうとしていました。それでも モネが描こうとした “大気や光そのもの” ではなく、それらが ”若い女性といった対象物に点々と落ちてくる様” を描くことに熱意を持っていたようです。
その後 ルノワールの作風はいろいろ変わっていくのですが、晩年のルノワールは「時代遅れ」 とも思われていたグレーズ技法(溶き油で薄めた絵具を何層にも重ねるという手間も時間もかかる技法)を用いた、と読んだことがあります。
透明感ある輝きを画面にもたらすというグレーズ技法を使うことで、
“大気や光そのもの” でも、
“それらが対象物に点々と落ちてくる様” でもなく、
“対象物「それ自体」が発する輝き” を描き出したかったのかも知れません。
植物の生命力や華やかな女性の輝きが一体となって画面から溢れ出る作品を観ていると、オストハウスが表現した “あらゆるものに魂を吹き込まれた自然との一体化の幸福” を感じることができたような気がします。
おっ。ルノワールにとって「自然の風景」も「女性たち」も一体となり そこに差異がなくなっていたとしたら、彼の晩年の作品に私が感じた感想(「どれも同じ」)も間違いではなかったのだ!と無理やりこじつけて満足するのでした。
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第1章の最後は、モネとリヒター。
展示室中央に造られた広いスペースに二つの大きな絵が飾られています。
展示室の中央にどーーんッと造られた白い空間に足を踏み入れて、思わず360°ぐるりと一回転しました。
展示室で天井を見上げたのは、初めてかもしれません。
テーマは「雲」ですね。
まずは、これまで何度も観てきた『舟遊び』。
水面に映るビジュアルは、ボート遊びを楽しむ姉妹や空に浮かんでいる実際の雲ではなく、光が作り出す虚構の世界。ですが、ゆらゆら揺れる水面をじっと見下ろしていると、何が実物で何が虚像なのかわからなくなってきます。
今度は一転、空を見上げます。そこには雲が一面に広がっています。
うわーっ、近くで見るとこのリヒターの雲は本当に素敵ですね。
じっと見つめていると、雲が少しずつ動いていきます。次第にフワフワと体が浮遊し、雲に運ばれそうになりました。不思議 不思議。
展示室の白い壁にリヒターの言葉が記されています。
“ひたすら仮象” って表現、素敵です。
「仮象」とは ドイツ語「Schein」の訳で、
実在的対象を反映しているように見えながら、対応すべき客観的実在性のない、単なる主観的な形象。仮の形。偽りの姿。
モネもリヒターも客観的実在性のないものを描き出そうとしていたのですね。
私なりに、それをしっかり感じ取れるようになりたいものです。
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第1章のテーマは<空を流れる時間>でした。
展示室で、自然の中に流れる時間をしっかり味わうことができました。
次は第2章に進みます。
<終わり>
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