ニューノーマルを生きるわたしたち
最近は家で、または近場のカフェでずっと仕事をしていることが多いけれど、今日は朝から打ち合わせ、夜は本日ラストの仕事で英語のレッスンと、「会うと楽しく話せる人たち」と時間を過ごせて少し元気が出た。
もちろん街は表参道と渋谷なのに異様に静かだし、帰る頃には休校のニュースにツイッターは揺れていて、電車は混んでいるのに誰もが無言で、異様さが家までついてくる。
家の前にはクッションが落ちていて、今日は風が強かったからどこかの家から飛ばされてきたのだろう。不思議な異様さが続く。
テレビをつけると異様に明るいアナウンサーが、どうなるかわからない東京オリンピックに向けてのスポーツニュースを伝えていて、チャンネルを変えて「普通」の風景を探す。
普通。Normal。
英語に「the new normal」という言葉があって、以前は考えられなかったことが今は当たり前になってしまったという、デジタイズされた社会のこともそうだけれど、トランプ政権になってから起きている「信じられない出来事」に人がびっくりしなくなってしまっていることを、「これが私たちのnew normalだ」と嘆く場面が増えている。
考えてもいなかったことが「普通」になっていってしまう。
人間は驚くほど順応性が高いので、iPhone Xに変えて「どうやってつけるの?」とホームボタンを探していた夫は当たり前のように使いこなしているし、お財布がなくても一日が過ごせるようになっているし、手書きの手紙が届いたら「どうした、何があった?」と心配するし、電話が来ると「え、なんで?」と思うようになったし、突然ZOOMが普及しているし。
The new normalで生活が便利になった部分と、絶対にこれを normal にしてはいけない(人種差別など)と思うことがあって、でも何がノーマルで、何がアブノーマルなのか、一斉に考えなくてはならない時が来てしまった。
異様なことは「異様」と感じ続けたいのだと思うし、ガラガラのお店やホテルやイベントに早くまた人が集まれますようにと願う。学校があるから春休みが待ち遠しいと思える日々が戻ってきますように。
The new normal、言葉通り複雑です。
桜が咲くという「newじゃない normal」に、私たちはどれほど癒されるのだろう。
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