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仮面ライダーBLACK SUN 感想

2022年10月28日に全話一挙配信された特撮ドラマ、「仮面ライダーBLACK SUN」。
今更ではあるのだが、感想を書いていきたいと思う。

1.良かったと思うところ

まず、私が良かったと思うところは政治ネタを入れていることである。
まぁ、「仮面ライダーに政治を持ち込むな」と珍妙な意見を言ってくる輩がいるが、仮面ライダーの萬画版は当時の政治を物語の中に入れている。
まず、ショッカーはナチスの残党であり、日本政府の計画していた国民総背番号制を乗っ取って悪用した(巷でよく勘違いされているショッカーの正体は日本政府という俗説は有名である)。

歴史と仮面ライダーを絡めたことが良かった。
テレビ版仮面ライダーは1971年に放送開始された。「仮面ライダーBLACK SUN」のゴルゴムのモデルとなった学生運動はあさま山荘事件の起こった1972年だろう。
さらにいえば、怪人たちは戦時中のある部隊が改造人間を生み出すために人体実験を行っていたために産み出された。
「戦時中」、「部隊」と聞いたら「満州国の731部隊」を想起させるだろう。劇中では堂波道之助が1936年に改造人間の兵器化を行った。因みに史実では、同年、岸信介が満州国国務院実業部総務司長に就任した。
国と怪人が共存を掲げて半世紀たつ物語だが、因縁自体は約1世紀なのだ。

このように歴史と政治とヒーローが絡み合う話というのは、ウォッチメンやキャプテンアメリカ/ウィンターソルジャーなどのアメコミ作品や海外作品では見かけるが、日本で有名な作品は分からない。
だが、「仮面ライダーBLACK SUN」は歴史と政治とヒーローが絡み合う話を日本でも出来ると、まさに特撮の幅を広げた作品ではないだろうか。

2.悪いところ

この物語において何度も出てきたフレーズに「人間も怪人も命の重さは地球以上。1グラムだって違いはない」という台詞がある。
最終話において、主人公である南光太郎は「怪人は人間だ。誰かと出会って恋もする。子どもだってつくる」という台詞を言っていた。
これらの台詞から、怪人と人間は同じであり、命の重さも暴力性も変わらない、といえるのではないのであろうか。
本作の最終話では、堂波首相がコオロギ怪人とコウモリ怪人によって殺害されるが、そのシーンに「仮面ライダーBLACK」のopのイントロが流れてから、首相の顔が吹き飛ばされて殺害される。
本作は怪人と人間の命の重さは同じと台詞で何度も言っている以上、作品の倫理観を設定しているのではないのであろうか。それにも関わらず、悪役であるからという理由で首相をコメディチックに殺害するのは、物語の倫理観に反するのではないのであろうか。

また、現実と差別の描き方が乱暴すぎるのではないかと思った。
怪人に複数のメタファーがあるがくくり方の乱暴さが原因である。
怪人には大きく分けて3つのメタファーがある。
一つ目は、731部隊の被害者としての怪人である。敗戦時、一般人が大陸に取り残されたことから、在留邦人のメタファーでもあるか?
二つ目は、学生運動のメタファーとしての怪人でもある。
三つめは、在日コリアンのメタファーとしての怪人である。
これらのメタファーはそれぞれ別物である。
余談だが、x-menではミュータントのメタファーに黒人差別と性的マイノリティへの差別があるが、アメリカでは複数のマイノリティが協力して差別に抵抗することがあったため、違和感は感じられない。
ここで話を戻すが、何故雑なくくりをするのであろうか。
大日本帝国時代、当局は政府への反対意見を潰すために民主主義者、自由主義者、共産主義者を一括りにして弾圧した。
だが、これらの主義者は別物ではないのであろうか。民主主義や自由主義、人権は近代以降、人類の普遍的な価値観である(つまり、左右関係ないということだ)。
この雑な認識が、敗戦後、広まったのではないのであろうか。
ネトウヨしかり、パヨクしかり。
よって、グレタ・トゥーンベリのような和泉葵が新左翼的なテロリストに転向してしまうバッドエンドの理由ではないのであろうか。
日本赤軍や連合赤軍、共産党を乱暴な一括りにして、ひるおび!に出てる某弁護士のように「共産党は暴力革命を企んでいる」などとデマを飛ばすものはいる。

3.結論

この作品はとても楽しめた。
勿論、差別描写の括りが乱暴すぎる、設定面の粗が多いなどの問題点もあるが、仮面ライダーで政治や歴史を扱っていたのが良かった。
だが、政治や歴史を粗雑に扱っているのが悪かった。
これからの作品には、政治を扱うのは当たり前として、もっと設定や演出を練りに練った作品を作ってほしい。

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