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夢の引越し便 #3-①

記憶を食べる怪物の悪夢が頻繁に訪れるようになった。
僕は怪物の存在に気付くとすぐに目を覚まそうと抗い、意識と無意識の境目を漂った。
大きく目を開き、天井の細かい凹凸を凝視して自分の部屋であること、そして起きていることを確かめる。確かめてもすぐに睡魔に吸い寄せられていく。
またもや背後に怪物を感じる。
だんだん自分は寝転んでいるのか、道を歩いているのか分からなくなってくる。
いや起きているんだ。そう言い聞かせる。
意識を別の記憶の引き出しに向ける。
今までに初めて体験したことをいくつか回想する。初めて自転車が乗れるようになった時のこと、初めてオーバーヘッドキックができた時のこと、初めてキスをした時のこと、初めて観た映画のことなど、悪夢を導かないように出来る限り楽しく、温かく鮮明な記憶をたどる。
この繰り返しでいいんだ。そう言い聞かせながら夢を見ない眠りというものをじっと待った。

「カコン」

玄関のポストに郵便物が放り込まれた音だった。どうやらしばらく眠れたようだった。

郵便受けを覗くと手紙が一通入っていた。
高校時代の恋人、ヒトミからだった。
グレーの封筒に丁寧に書かれた宛先を見た途端に誰からの手紙なのかすぐに分かった。長い間手紙のやり取りをしていて彼女の文字の特徴が記憶に刷り込まれていたからだ。それはおそらく上京してから始めて、つまり4年ぶりに手にするヒトミからの手紙だった。
僕はしまい込んだペーパーナイフを探したが見つけられず、ハサミでゆっくり開封して大きく息を吐いてから手紙を取り出した。書き出しは勝手に決めつけられた「こんばんは」からだった。

~~~
こんばんは。お元気ですか。久しぶりに手紙を書いています。
電話で話をしたかったけれど、いつもそこにあなたはいないようです。
本当にそこに居るのか少し不安です。この手紙が誰か別の人に届いてしまうかもしれません。それともあなたはかなり忙しいのでしょうか。私のタイミングが悪いだけなのでしょうか。
私は昨日、あなたに手紙を書きました、実は。
でも、書き終わる前に少し前にちょっと気がかりなことを発見して、そのことについて手紙を書き改めているのです。今更ながら、こんなことをあなたに聞くのはどうかと思ったのだけれど、気がかりで仕方がないので我慢して下さい。
気を悪くするかもしれません。だから先に謝っておきます。ごめんなさい。
さっそくですが、以前、私とあなたが一緒にいたころ、あるいは、その時から今までの間で、あなたと私との間に何か、とても重要なことがあって、それについてのはっきりとした結論のようなものを私は忘れているようなのですが、あなたにはそれが分かりますか?
何かにはっきり白黒つけて、それを明確にしなければならないのだけれど、私にはそれが何であるのか分からずに苦しんでいるところです。
はっきりさせなければならない何かなんです。
あなたはそれが何であるか知っていますか?
あなたと私との間にあるものに間違いはありません。
そしてそれは少なくとも私にとって、とても重要であるようです。変なこと聞いてごめんね。
今までしっくりきてない感じで、その原因が昨日あなたに手紙を書いているときに分かってしまってからは気になって仕方なくて、それで電話をしました。
何度も。
もしかすると全然何でもなかったりして、そのうち思い出すのかもしれないけれど。
それとも、私だけが知ってた事で、あなたには見当もつかない事ってこともありえるしね。
でも、とても大切なことみたいなので、私は早くはっきりしたいのです。
こんな手紙は本当に困らせてしまうと思うし、イヤな思いをさせているかもしれない。
でもあなたには分かると思ったの。あなたなら知っていると思ったんです。
多分、あなたか私しか知らない事なんだと思う。何だろうね。
はずかしい話ですが、私はあなたと会わない間に2度頭を打って一時的に何かを忘れてしまうことがありました。2度も。しかも同じ場所をぶつけて。
でもそれはあくまで一時的なことで、多少生活がストップしたけれど、今はだいたいは前の通りだと思うのです。
つまり、ころんでしまう前のとおりということ。でも自分では分からないの。
全部前の通りになっているのか、それとも忘れていることすら気が付かない忘れたことがあるのか。
今でもたまに、誰かと話していると、自分に覚えのないことを聞くことがあったりして戸惑ってしまいます。
忘れている事は確実にあるみたいだけど、それはささいなことだけだと思っていたのです。
普通に生きていたって、忘れることは沢山あるでしょ?
私は忘れたいことがあったりして、それをとても消したいと思ってしまうと、何かの拍子に本当に消してしまうようなのです。
忘れたいことを含んだある部分をごっそり。情けない話だけど、つまり逃げているの。
良く言えば自分の心を守っているのだそうです。私はとても面倒な人間だと思います。
そんな人は私以外の人間だったら、さっさと縁を切りたいけど。
多分そんなことが2度あったせいなのか、その大切な何かが分からずに、イライラしています。こんな勝手な長い手紙を書いて、あなたには本当に申し訳なく思っています。
あなたにとって私はそれほどの人ではないと思うし。でもあなたに聞くしかないんです。
だからごめんなさい。許してね。
話を変えるけれど、私はこれから先ずっと田舎で過ごします。
小銭を貯めながら生きていくことにしました。彼もあと一年で田舎に帰るそうです。
そういうことで、私は教習所に行っています。
あとの時間は3月5日の国家試験のためにすごく真剣に勉強しています。そんなところです。
あなたが倖せに生きていることを願っています。とても真剣にね。
でもできれば会いたかった。今どんな顔をしているのか見たかった。
あなたはとても忙しそうなので、多分、当分は会えないのでしょうね。残念です。
ヒトミ
~~~

その手紙は僕をひどく混乱させた。この世に今生の別れなんてものは無くて、一方的に同意なく繋がることができるんだと知った。僕のことを想うのは彼女の勝手だけれど、僕が彼女を忘れさせてくれないことへの怒りが込み上げてきた。半面、とても温かい気持ちにもなった。僕はまだ誰かに頼られている。愛されてはいないけれど、彼女の心に僕が存在し続けているのだ。

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